日本各地にある「負の歴史」を記した碑や説明板が撤去される事態が相次いでいます。その裏では、設置自治体に「反日的だ」「でたらめだ」などという抗議が集中していました。そうした状況に直面した奈良県・天理市の市長が、歴史認識をめぐる対立の板挟みになる自治体の難しい立場を話しました。
朝鮮人労働者の追悼碑を撤去…「反日的だ」「でたらめだ」県に寄せられた抗議
多くの反対がある中、群馬の県立公園に建つ追悼碑が撤去されました。戦時中、群馬県で亡くなった朝鮮人労働者を弔う碑でした。
戦争による労働力不足を補うため、植民地だった朝鮮半島から多くの人々が労務動員されました。日本の戦争遂行のために駆り出されたのです。国の統計(1945年 厚生省)では、その数、少なくとも66万人だとされています。
追悼碑をめぐっては「反日的だ」「でたらめだ」などの抗議が群馬県に寄せられていました。
同じような抗議を受けて、自治体が撤去を決めるケースが相次いでいます。
朝鮮人を強制連行…“負の歴史”を記した説明板を撤去
その一つ、奈良県の天理市です。ここでも、戦前、飛行場建設のために多くの朝鮮の人たちが動員されたといいます。
日下部正樹キャスター「ここにはかつて天理市と市の教育委員会が設置した柳本飛行場についての説明板があったんですけど、10年前に撤去されて、今はこうして説明板を支えていた枠組みだけが残っている状態です」
説明板は今も市の倉庫に保管されていました。飛行場建設に従事していた朝鮮の人が「寝ているときに急に人が入ってきて連れていかれた」など、強制的に連行されたことを示す証言が記されていました。
天理市長がTBSの取材に応じました。撤去を決めたのは、多様な見方がある歴史について、市の公式見解を示すことは難しいと判断したからだといいます。
歴史認識めぐる対立…天理市長「自治体が板挟みに」
天理市 並河健 市長「個々の様態であったり、あるいはその強制性の中身がどういったことかを、なかなか基礎自治体の立場で検証するというのは難しい。そこは本当に歴史の専門家の皆さんに是非しっかり研究をいただければと思います。ただ、是非ご理解いただきたいのは、我々、戦争であったり、あるいはその植民地支配、ある民族が他の民族を支配し、抑圧するというのは最大の人権侵害だと思っていますので、決して繰り返すことがあってはいけない」
日下部キャスター「専門家にゆだねるっていうんですけど、歴史はどんどん動いていっているわけですよね。一番正しいことを知っているのは、たぶん当時の人ですよね。後世の者が『待つ待つ』といっていたら、これはもう生涯、本当の歴史が残せなくなっちゃうんじゃないかと、僕なんかは思ってますけど」
天理市 並河健 市長「その時代の当事者が少しずつ数が減ってしまって、そこから二次的、三次的に聞かれた方の間で、どんどん意見がわかれていくっていう難しさはおっしゃる通りかなという風に思います」
歴史認識をめぐる軋轢がある一方、朽ちていく飛行場関係の史跡をどう保存し、受け継いでいくべきか、課題となっているといいます。
天理市 並河健 市長「いわゆる保守派の皆さん、あるいは平和人権活動をされている皆さん、それぞれの正義をかざしながら、自治体が板挟みになってしまっている現状がある。(双方が)できれば直接しっかり対話をし、協議いただきたい。これはもう率直な思いとしてございます」
戦争をどう記憶し、後世に伝えていくのか。歴史の負の遺産ときちんと向き合うことができるのか。私たち一人一人が問われています。