「無口・風変わり」が定評の津田三蔵、「実直・温厚」な側面明らかに…警察の活動家・政治家の内偵記録も

滋賀県立公文書館が所蔵していた大津事件に関する2点の未公開資料からは、約130年前の前代未聞の政治的事件に、明治期の警察がどのように対処したのかが生々しく伝わってくる。事件の捜査に関わる資料は、官庁が事後に編さんした文献が多く、新井勉・元日大教授(日本法制史)は「編さん者の手が加わる前の一次資料で、事件の実相を知る手がかりになる」と評価する。(大津支局 藤岡一樹)
「実直なれども、やや頑固」「行状、方正にして、兄と老母を養へり」――。「津田三蔵性行履歴 申牒書 (しんちょうしょ)編冊」は、1891年5月11日に起きた事件の2日後から約10日間かけて、津田の性格や思想について約80人の同僚警察官らから聞き取った証言をまとめている。
津田はロシア皇太子ニコライの来日目的が、日本の偵察だと妄信するなどして犯行に及んだとされている。
その人柄は、司法省編さんの事件記録「大津事件に就て」(1939年)が記す「平素交際を好まず、無口な風変わりな人物で頑固なところがある」が一つの見方だった。
今回の資料には、これを裏付ける証言だけでなく、「実直」「温厚篤実」という異なった評価、親しくしていた同僚がいたことがわかる証言もあり、新井元教授は「犯行動機にもつながる津田の人物像を重層的に知る材料になる」と話す。
警察、緻密な情報網

もう一つの「壮士ニ関スル書類編冊」は、事件発生前の5月1日から事件後の6月上旬に、警察がロシアに反感を持つ壮士(活動家)や政治家を尾行、内偵した記録だ。
当時はアジアでの勢力拡大を図るロシアへの警戒感から、国内には反露感情がくすぶっており、政府の関心は対露関係を悪化させずに来日を友好ムードに終わらせることにあった。

資料には、これらを背景に、警察がどう動いたかが記録されている。全国各地の警察が、ロシアに対する示威行動を呼びかけそうな人物らについて情報を交換し、「性質、履歴、挙動を至急内報してほしい」「隠密追尾してほしい」と互いに依頼している状況がうかがえる。
中江兆民とともに自由民権運動を推進した政治家・大井憲太郎(1843~1922年)らの動静に、注意を促す警視庁から滋賀県警宛ての通知文も収められている。
京都大名誉教授の伊藤之雄氏(近現代日本政治外交史)は「『壮士ニ関スル――』のような警察の治安維持活動の実態を記載した文献はほとんどない。現代で言うところのテロ対策に、当時の警察が 緻密 (ちみつ)な情報網を張っていたことが分かり、興味深い」と話している。
条例施行で公開

今回明らかになった2種の資料は、1990年頃に滋賀県警内でその存在が確認されていた。
県警は個人情報の観点から、非公開文書として管理してきたが、2020年の県公文書管理条例施行を受け、22年12月に公文書館に移され、開示請求の対象となった。
今回の読売新聞の請求で初めて公開され、個人情報が一部黒塗りとなっている。