能登地震の復興支援へ「都市住民ができること」 都内で「関係人口」の役割考えるイベント

能登半島地震の発生から5カ月となった1日、復旧や復興支援へ東京など都市部の住民がどう関われるかを考えるイベントが東京都内の会場で開かれた。都市住民が特定の地域へ継続的に関わる「関係人口」として支援に参画することの意義や、とりわけ能登地域の出身で現在は都市部に暮らす人々の思いが語られた。
イベントはNPO法人「ETIC.(エティック)」(東京)が事務局を務める「ビヨンドカンファレンス2024」。企業などの肩書を外して社会課題の解決を目指し協働する仲間づくりの場で、2022年4月の鎌倉・建長寺、23年5月の京都に続き3回目の開催。今年は能登の復興支援を柱に、5月31日から2日間にわたり延べ計700人以上が参加した。
能登で元気もらう
初日の31日は、能登地域で復興支援に携わる企業や団体8組が来場。それぞれの抱負や課題を話し、活動への参加を募った。その後、能登地域の関係人口として復旧や復興支援を続ける個人5人が登壇し、この5カ月の経験を語った。
日本航空で地域活性化事業を担当する上入佐(かみいりさ)慶太さん(31)は昨年11月、ワーケーションで石川県能登町に4日間滞在。人や自然に魅了されたという。今年元日に地震が起きて「自分に何かできないか、いてもたってもいられなくなった」。以来、週末に東京から能登へ通い、伝統祭礼「あばれ祭」の再興など復旧や復興を手伝っている。
「自分は車の運転が得意だったので、支援物資の運搬やキッチンカーの運転などできることは何でもやった。地元の人たちと話すうちに、だんだんなじんできて、いまは平日は東京で働いて、週末は能登という『二地域居住』みたいな生活になっている」
上入佐さんはこう続けた。
「能登の温かい人や自然に触れて心がリフレッシュし、元気をもらうことで、また月曜から東京で頑張れる」
故郷の関係人口に
同県穴水町出身で、都内のネットメディア運営会社で事業開発や広告営業の仕事をしている東井孝允(とうい・たかみつ)さん(41)は正月、さいたま市から実家へ帰省していて大地震を経験した。
「仕事や子供たちの学校のため、両親らを実家に残して、後ろ髪を引かれる思いで東京へ戻った。それ以来、自分にできることはないか考え続けた」
月1回ほどふるさとへ帰り、高齢化が極まる地域で「若手」の一人として復興カフェやマルシェの運営を始めた。「それまで、自分が故郷の『関係人口』になることなど考えたこともなかった」という東井さん。地域で「復興応援団」を立ち上げ、今後は地震で廃業を余儀なくされた地域の小売店の再建を考えている。
目下の最大の課題は、東京と能登の往復交通費という。
「新幹線が往復3万円、月1回帰ると年間36万円。正直、負担に感じる。能登から金沢へ広域避難している人からは、往復のガソリン代もばかにならないと聞いた。でも、災害に限らず、親の介護などで頻繁に都市と地方の二地域居住を迫られている人は少なくないと思う」
生まれたての政策
石川県の復興計画「創造的復興プラン」は、関係人口の創出、拡大を「最重点課題」と位置づけ、都市と地方を行き来する二地域居住を能登地域で進めるための環境整備を打ちだした。地震により過疎が20年早まるといわれる中、もともとの住民だけでなく、都市住民が関係人口となり、二地域居住などをしながら復興に関わってもらいたいとの考えからだ。
ただ、人口減少と高齢化が進むわが国で、それは災害復興という「有事」だけの課題ではない。
5月15日には、二地域居住を促進する初の関連法が国会で成立した。今回のイベントにも、法律を所管する国土交通省の三善由幸・広域地方政策課長(45)が登壇。「まだまだ生まれたばかりの政策で、課題が山積みだが、皆さん一人一人の熱意が後押しになる」と語った。
三善さんは20年ほど前、入省時の最初の仕事が観光振興だった。「観光のようないわば遊びを、なぜ国がお金を出してまで外国人に宣伝しなければならないのか」と疑問に感じることもあったという。
「でもやっているうちに、観光によって経済が活性化するとか、日本文化のよさに改めて気づくとか、いろいろな価値が見いだされてきた。いまでは国交省が最も力を入れて取り組む政策の一つにまで育った。関係人口や二地域居住の政策も、20年後、そんなふうに育っていけばいいなと考えている」
出身者の友達から
2日目の6月1日は、能登出身で現在は東京などで働く個人9人がマイクを握り、思いや課題を話した。その後、約40人の参加者が3つの車座に分かれ、能登の復旧や復興のためにできることは何か話し合った。
参加者からは、被災者の生活の「復旧」がままならない中、まだまだ「復興」について考えられない人が多くいる現実について、また、地震から5カ月になる中で能登から遠く離れた都市部の人々の間では関心が薄れていることについて案じる声が上がった。
能登半島の羽咋(はくい)市出身で、川崎市内の建築系スタートアップ(新興企業)で空間デザイナーをしている沼田汐里さん(30)は地震の際、実家へ帰省していて被災した。実家は全壊判定を受け、5月に解体された。自身は木工など、ものづくりで復興支援を続けている。
「当事者意識を持つのはすごく難しい。私の周りでは、私という能登出身者が友達にいて、『支援したい』と連絡をくれた人が多かった。私たちのような出身者から、友達がつなげてくれて、小さな活動体が関係し合っていくといいなと思う」
今回の地震は、2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故などと比べ、災害ボランティアやコーディネーターら外部からの支援者が少ないとの指摘がある。参加者の一人は「能登の被災者の中には『自分たちは見捨てられた』と口にする人さえいる。まるで誰もいない沿道を走っているマラソンランナーのようだ」と話し、こう続けた。
「マラソンって、つらいときに沿道から『がんばれー』って声をかけてくれる人がいるから、頑張れる。沿道で見守ってくれる人がいるから、42・195キロを走りきれる。復興は長期戦。都市の人たちが能登の人たちに寄り添っていけるよう、盛り返していきたい」