「建築界のノーベル賞」とも称されるプリツカー賞を受賞した建築家の山本理顕氏。日本人受賞者としては丹下健三、槇文彦らに続く9人目で、日本は受賞最多の国となった。その要因について山本氏は「建築家にとって厳しい環境の中で、どうすれば自分のメッセージやアイディアを伝えることができるのか、タフに考えてきた建築家が多いからではないでしょうか」と語る。
山本氏によれば、日本では「自治体などクライアントの意向が絶対視され、建築家の提案するコンセプトやアイディアが軽視されてきた例がたくさんある」といい、その結果、周辺環境への配慮を感じられない建築が増えている。その例のひとつが、来年開催が予定されている「2025年大阪・関西万博」だ。
万博の会場計画から配慮を感じることができない
〈今回の受賞で嬉しかったのは、主催財団や審査員が「建築を通じて人々が集い、新たなコミュニティを生み出すことに貢献している」という点を高く評価してくださったことです。ビジュアル的な美しさを求めることはもちろん大事ですが、そのためにも、私は建物を通じてその地域のコミュニティを創出することを何よりも大切にしてきました。こうした強い社会的メッセージを含む私の建築は、賞には直接結びつかないと思っていたので、受賞の一報を聞いた時は驚きの方が大きかったです。
しかし裏を返せば、建物だけでなくその周辺のことを考える建築家が希少になってしまっているのかもしれません。
例えば日本では今、来年開催が予定されている「2025年大阪・関西万博」の工期の遅れが話題になっていますが、万博の会場計画からは、残念ながら地元住民の声を聴こうとする姿勢や周辺環境への配慮を感じることができません〉
現在、万博会場ではシンボルとなる巨大な「木造リング」の建設が進んでいる。一周2キロメートルの会場をぐるりと囲う木造の大屋根で、万博協会によれば「完成すれば世界最大級の木造建築になる」という。しかしこの「木造リング」についても、主催者側の説明不足が目立つと山本氏は指摘する。
「木造リング」は必要だったのか
〈使用する木材の量は2万立方メートルで、通常の戸建てに換算すると住宅約800戸分にも及ぶようですが、これだけの木材をどのように調達するのか、十分な説明はされていないように思います。調達の過程で環境保護といった観点からの問題はないのか──建物の周辺ではなくても、建築がどこかの住民や環境に負担を強いることはあってはならないはずです〉
〈そもそも招致の段階での万博のキーコンセプトは、「非中心」「離散」でした。1970年大阪万博の「太陽の塔」のようなシンボルをあえて設けないことで、中心と周縁という格差を作らない、多様性を表す狙いだったのです。しかし、いつの間にか「木造リング」の計画が立ち上がった。会場をぐるりと囲う屋根が、「非中心」「離散」を表しているとは思えません。途中でコンセプトが変わることが悪いことだとは思いませんが、なぜ「木造リング」が必要だったのか。今回の万博は一貫して説明不足が目立ちます。万博の閉幕後には「木造リング」は解体され、木材を別の建築に再利用する可能性もあるようですが、それでは大阪の地には何が残るのでしょうか〉
日本の社会のためになっているのか
さらに山本氏は、万博会場跡地でカジノを含む統合型リゾート(IR)の整備を進める計画が上がっている点についても指摘した。
〈そこ(IR)で得られた利益は地元の人々にきちんと還元されるのでしょうか。ましてカジノは日常生活に悪影響を及ぼしかねない施設。地元経済のカジノ依存を招き、その地の産業のかたちを歪める「負の遺産」になることも考えられます。
私は万博を中止した方が良いとか、万博が「悪」だとは思っていません。ですが、今回の計画が地元住民、ひいては日本の社会のためになっているのかと考えると、疑問を抱かざるを得ない。万博協会や、この計画に携わる建築家たちは、そのことをもう一度立ち返って考える必要があると思います〉
7月9日(火)公開の「 文藝春秋 電子版 」、および7月10日(水)発売の「文藝春秋」8月号に掲載される「 大阪万博はコミュニティを忘れるな 」では、これまで設計した作品への想いや、地域コミュニティを大切にするようになったきっかけ、日本の建築業界の問題点について語っている。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2024年8月号)