いま、SNSで「ラーメン」と検索すれば、美味しそうなラーメンの写真が無数に出てきます。そしてよく見ると“真上から撮られた”ラーメンが多いことに気づきます。
【写真】昔懐かしの「ナルト」がのったラーメン
おいしいラーメンの美しい姿を見せるためにあえて真俯瞰で撮ったという、カメラマンの飯窪敏彦さん。撮影を担当した“ラーメン写真集”『ベスト オブ ラーメン』(文藝春秋)は、まだラーメンの食べ歩きが趣味として確立される前の時代に、全国のラーメンを原寸大で大胆に紹介しています。
新横浜ラーメン博物館ホームページの「日本のラーメンの歴史」にも記録されている伝説の1冊は、どのように生まれたのかを聞きました。
カメラマンの飯窪敏彦さん
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――今でこそ、週末にイベントが開催されてたくさんの人が集まったり、専門誌が作られたりと、すっかり国民食として認知されているラーメンですが、その先駆けとして全国のラーメンを紹介する『ベスト オブ ラーメン』が1986年に刊行されました。
飯窪 内藤厚というグルメな先輩編集者が「これを全国100杯集めて写真集作ろうよ」と。僕もそれは面白いと賛同して、一緒に作ることになったんです。僕の感覚ではそれから徐々にラーメンが取り上げられる機会が増えて、いわゆるラーメンブームが起こった感覚です。
――ラーメンの写真集は大胆ですね。
飯窪 僕ら以外にもデザイナーさんだったり関わってくれた人たちはみんなラーメンが好きで、何よりも楽しんで作っていました。「1杯のラーメンをじっと観察して、作る人も食べる人もお店がある土地柄までも観察し尽くそうじゃないか」という学術的なコンセプトもありましたよ(笑)。
――ですが「ラーメン屋を取材する」こと自体も当時はなかなかないですよね。
飯窪 取材に慣れていないお店がほとんど。基本的に、内藤さんが文章で僕が撮影担当でしたが、内藤さんがリサーチから取材依頼もして。「取材NGなんで」と断られると、何度も何度も手紙を出してようやく取材を許可していただくなんてこともありました。
――1994年に刊行された続編の『ベスト オブ ラーメン 元祖激選版』には「本書記事の無断TV特番化は固くお断りいたします」や「粗悪類似本が出回っております」などの注意書きがあります。
飯窪 ありますね(笑)。取材の大まかな流れは、内藤さんが覆面調査員みたいな形で、全国のラーメン屋を回ってお店を選んで、依頼をして、撮影に行く。一緒に行くこともありましたが、北海道から沖縄、台湾まで基本的には僕1人で写真を撮りに取材に行っていました。結構な手間をかけて1年以上かかって作っていたんですが、徐々にラーメンも人気が出始めて、苦労して取材したラーメン屋をTV特番で使用されていたり、類似した粗悪本が増えたりするようになったんです。この本をきっかけにラーメンに興味を持つ人が増えたことは嬉しかったんですが、苦労してやっと取材できた成果を無断で使われてしまうのはさすがにショックでしたね。
――今では珍しくありませんが、「ラーメンを真上から撮る」という方法は飯窪さんが最初と聞きました。
飯窪 少なくともそれまでは真上から撮っている写真は見たことなかったです。料理の撮影方法は斜め上が基本。でも最初に撮影を任された時に、じっとラーメンを観察していたら「同じ丸い丼でも、それぞれ全然違う」ということに気づいたんです。その個性をどうやったら活かせるか考えた時に、「真上から撮ってみようか」と。
――確かに真上から撮ったラーメンの写真を見ると、ラーメンの個性が際立ちますよね。具の種類や麺の形、盛り付けの仕方、器の縁なんかも見ていて面白いです。
飯窪 器が額縁のように見えてくるんですよね。実際にラーメンを作っている人からも喜んでもらえて、切り抜いてメニューに使っていたお店もありました(笑)。
――しかし、ラーメンの色って基本が茶色だったりしますよね。写真として少し地味になりすぎるなんてことは……。
飯窪 それが不思議なことにないんです。ナルト1つでも形が違うものがたくさんあったりして。印刷された見本を見て、スープの色なんかは特に気を配って確認していました。あとは出来立てを撮らないと美味しそうな写真にならない。なので、毎回の撮影は時間との勝負でした。
――そこまで分かっちゃうものなんですね。1杯をどれくらいの時間で撮っていたんですか?
飯窪 出されてから1分以内です。最初の3、4枚で必ず撮りきる感じでした。スープ越しに麺がのびるのがわかってしまうんです。でもラーメン撮影には時間以外にも色々と注意しないといけないことも多くて……。
――他にどんなことに気を付けていたんですか?
飯窪 湯気です。出来立てであればあるほど湯気が出るわけですけど、写真を撮るときはレンズが曇ってしまうんです。でも普通のうちわで湯気を飛ばそうとすると、ラーメンにのってるのりも一緒に飛ばされてしまう。
――大変ですね。どう対処するんですか?
飯窪 京都の祇園でお姐さんたちが配る名入りの団扇があるんですけど、それで湯気を飛ばすとのりが飛ばされないという現象を発見したんです。少し練習は必要なんですが(笑)。
――ラーメンを撮るには舞妓さんの団扇じゃないといけないんですね。
飯窪 そうなんです。いつもラーメンの撮影に行く時はハッセルブラッドのフィルムカメラと100mmレンズ、複写台といってカメラを固定する台と、ものさしと祇園の団扇を持っていきました。
――ものさしは何に使うんですか?
飯窪 『ベスト オブ ラーメン』では原寸大でラーメンの写真を掲載していたので、現地で器の直径をものさしで測っておかないといけないんです。でも段々慣れてきて、目測でも測れるようになりましたよ(笑)。
――当時は撮影する際にフィルムカメラを使用されていたんですよね? フィルムカメラだとその場で撮ったものを確認できないわけですが、全国のラーメンを撮る中でそれってすごく怖いですよね。
飯窪 それこそ札幌で撮ってからそのまま飛行機で福岡に飛んで、九州を徐々に南下して何軒もラーメンを撮っていくこともありました。そういう時はちょっと怖いですよね。これどっかでミスってたらどうするんだろう……って。でもそのドキドキ感も病みつきになるというか。
――撮り直しは一度もなかったんですか?
飯窪 いや、現像したらくっきりとストロボ用のコードが映ってしまっていたことがあって。しかもそのラーメン屋が山口県だったんですね。
――山口! 結構遠いですよね。
飯窪 コードはさすがにまずいので、もう一回お願いをして撮りに行ったら店主に「俺もこれでいいのかなって見てたんだよ」って言われて。「教えてくださいよ……」という苦い体験もありました(笑)。
――全国の様々なラーメン屋を訪れて色んな店主の方々に出会われてきたと思います。
飯窪 印象深いのは六本木のあるラーメン屋で、ラーメンを撮るときにトッピングされている絹サヤの位置が気になって少し移動させたことがあったんです。それを店主が見ていて後ろから「おい、俺も30年ぐらいやってんだぜ」とピシャリ。それからは多少縁が汚れていても、トッピングがずれていても「この店の個性だ」と出されたものをそのまま撮るようになりました。
――今では取材NGの大人気店も『ベスト オブ ラーメン』で取材されています。移転前のラーメン二郎・三田本店なども見られますね。
飯窪 ラーメン二郎は当時から大人気だったので、カウンターの端で撮影をさせていただいて。比較的客数が減る14時~16時の時間帯を狙ってお邪魔するようにはしていたんですが、人気店だと常に満席という状況だったりするのでやっぱり時間との勝負でしたね。
――出来立てですから、どんなに狭くてもカウンターで撮影するわけですよね。
飯窪 やっぱりそうなりますね。当時写真学校の学生から「卒業制作にラーメンの撮影をしたいから、撮り方を教えて下さい」と言われたことがあったんです。その時に「ライトバンみたいなものを用意して、お店からラーメンを持っていって別の場所で撮っているんですか?」とか聞かれたんですが、そんなことしていたら出来立てじゃなくなってしまう(笑)。行列でも端の方をお借りして細々と撮影していました。
――大好きなラーメンを撮り続けて、どうでしたか?
飯窪 被写体としては変わり種なので、「飯窪はラーメンを撮り始めてダメになった」なんてことも言われたりしましたよ。でも面白い人たちと面白いことに参加できて、すごく楽しかった思い出ばかりですね。当時のラーメン屋さんは取材をあまり受けていないから、こっそり「秘伝の作り方」を教えてくれたり……。
――「秘伝の作り方」?
飯窪 秘伝なので言えないですけどね。でも「最近は若い世代がラーメン屋を継ぐために修業しに来てレシピを教えても、途中からサボったり簡単にしてしまって味がダメになっちゃう」なんて愚痴も聞きました。美味しいラーメン屋は作るのも、それを維持するのも大変ですよ。『ベスト オブ ラーメン』で紹介したお店も閉店してしまったところがあって残念です。
――今でもラーメンを頻繁に食べているんですか?
飯窪 築地場外にあるあっさり系の「若葉」、高円寺の老舗「太陽」は好きですね。あとは東小金井にお気に入りの店が何軒かあって、駅近くにある「宝華」や「くじら食堂」はよく行きます。自分で好みの味を探すのもラーメンの魅力だったりするんですよ。
――これからまたラーメンを100軒はどうでしょうか?
飯窪 結構大変ですねえ(笑)。よく「好きなものをたくさん食べれていいね」なんて言われたりしたんですが、1日3~4軒を限られた時間の中で回るわけですよね。撮り終えても、そのまま戻すわけにはいかないし、とは言っても全部は食べられない。ちょっと大げさに「今日は5軒目なんですよ~」と言って逃げることもありました。
でも相変わらずラーメンは好きなので、個人的に好きなお店を探し続けたいですね。
写真=釜谷洋史/文藝春秋
(「文春オンライン」編集部)