旧国立の聖火台61年ぶり里帰り 鋳物職人の町、川口に

埼玉県川口市の鋳物職人たちが手がけた1964年東京五輪の聖火台が3日、JR川口駅東口のキュポ・ラ広場に設置され、61年ぶりの「里帰り」を果たした。聖火台は旧国立競技場の解体に伴って取り外された後、東日本大震災からの復興のシンボルとして東北の被災地を巡回していた。川口での展示は来年3月まで。6日午前9時半から同広場で開かれる記念式典で点火される。
聖火台は高さと最大直径が共に2・1メートル、重さ約4トンで、名工と呼ばれた川口の鋳物師、鈴木万之助さんと息子の文吾さんらが製作した。最初に手がけた台は、鋳型が破損して流し込んだ鉄が噴き出すトラブルに見舞われ失敗。その数日後に万之助さんが亡くなるという二重の苦難を乗り越え、文吾さんらが完成させた。
親子で造り上げた台は、58年のアジア競技大会に合わせて旧国立競技場に設置され、64年東京五輪でも聖火台として採用された。文吾さんは2008年に他界したが、晩年まで五輪が開催された10月になると毎年、旧国立競技場に出かけて聖火台を磨いた。失敗した最初の台は修復され、川口市内の青木町公園総合運動場に展示されている。
解体工事のため撤去された聖火台は15年6月、管理する日本スポーツ振興センターから宮城県石巻市に貸し出され、復興マラソンなどイベントの際に点火され、被災者を励ましてきた。今年5月からは岩手、福島両県の被災地を巡回。今後は川口での展示を経て、新国立競技場の正面入り口付近に飾られる予定という。

キュポ・ラ広場での設置作業は午前10時半から始まり、新たに造ったコンクリート製の台座に聖火台をクレーンで降ろして据え付けた。6日の記念式典では、04年アテネ五輪陸上男子ハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんが、市内の子供たちとともに聖火台を磨いた後、点火のセレモニーを行う。
「聖火台は川口の誇り。よく戻ってきてくれた」と、設置作業を見守った奥ノ木信夫市長。64年五輪の開会式で聖火の点火を見たという近くに住む加納嘉昭さん(85)は「川口で造られたものということを多くの子供たちにも知ってほしい」と話す。文吾さんに鋳物の手ほどきを受けた川口鋳金工芸研究会前会長の岸洋さん(84)は「立派で、鋳物屋の思い入れを感じる。これで五輪をやったんだから」と感慨深そうに話した。【鈴木篤志】