埼玉(さきたま)古墳群の被葬者の謎に焦点を当てた企画展「徹底解剖!埼玉古墳群~副葬品から探る被葬者像~」が、埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市)で開かれている。金錯銘(きんさくめい)鉄剣(国宝)などが出土した稲荷山古墳を「さきたまに君臨した初代王者」、国内で3例しか発見例のない馬冑(ばちゅう)が副葬された将軍山古墳を「激動の東アジア世界を生き抜いた王者」と大胆に推測している。11月14日まで。
埼玉古墳群は5世紀後半~7世紀中ごろ、150年以上にわたり造られた9基の大型古墳が残る国指定史跡。企画展では、古墳群の概要を紹介するとともに、豊富な副葬品が出土した稲荷山古墳と将軍山古墳を中心に370点以上の資料を紹介している。将軍山古墳から発掘され、普段は東京国立博物館などに分散して収蔵されている衝角付兜(しょうかくつきかぶと)や蛇行状鉄器なども里帰り展示されている。
古代の武蔵国(現在の埼玉県と東京都、神奈川県の一部)には、それまで大きな古墳がなかった地域に突如出現した巨大前方後円墳▽6世紀半ばに2勢力が国造(くにのみやつこ)の座を争ったと日本書紀に残る「武蔵国造の乱」――など多くの謎が残る。稲荷山古墳の南側に位置する武蔵国最大の二子山古墳(墳丘長132・2メートル、6世紀前半)の被葬者を武蔵国造の乱に勝った笠原直(かさはらのあたい)使主(おみ)とする説を専門家が唱えるなど、埼玉古墳群の被葬者像は注目のテーマとなっている。
企画展では稲荷山古墳の被葬者について、腰に帯金具などを装着した埋葬状態などから「当時の伽耶(かや)地域(朝鮮半島南部)と積極的な関わりを持った開明的な人物」と捉え、金錯銘鉄剣の銘文の内容も踏まえ「対外交渉に関わる倭政権内部の重要な立ち位置にいた人物」と推測。将軍山古墳については、伽耶地域や、6世紀初頭に伽耶を侵攻した新羅由来とみられる副葬品があることから「朝鮮半島南部の情勢変化と連動した対外交渉を行い、渡来系文物を多く手に入れた東日本各地の大型古墳被葬者と肩を並べるような存在」と想定している。
午前9時~午後4時半(入館は同4時まで)、月曜休館(祝日は開館)。観覧料は一般200円▽学生100円▽中学生以下無料。問い合わせは博物館(048・559・1181)。【中山信】