性被害の末に妊娠し、家族にも相談できないと思い詰めた20代のエリさん(仮名)。西日本に住む彼女は熊本市の慈恵病院にまで足を運び、病院のスタッフだけに身元を明かして出産した。 利用したのは、病院以外に身元を明かさなくてもいい「内密出産制度」。エリさんは、制度を知らなければ「子どもを殺して、私も死んでいた」と苦しい過去を吐露する。
性被害や不倫、ドメスティックバイオレンス(DV)など、さまざまな事情で予期せず妊娠する女性がいる。誰にも相談できないまま孤立し、医師などが立ち会わない状態での出産を余儀なくされた末に、乳児を殺害したり、遺棄したりする痛ましい事件は全国で後を絶たない。
エリさんはこうした現状に心を痛め、匿名を条件に共同通信の取材に応じた。内密出産制度は慈恵病院が2019年12月、母親の危険な孤立出産を防ぐ狙いから独自に導入した。初事例となる出産が21年12月になされてから3年が過ぎた。母子を巡る悲しい事件を少しでも減らせるよう、エリさんは強く訴える。「内密出産の存在を広く知ってほしい」(共同通信=石原聡美)
▽「なんで私だけがこんなつらい思いにならなくちゃいけないのか」
慈恵病院の新生児室
まだ肌寒さが残る2024年の春ごろ、記者は、西日本の地方都市にあるカラオケルームにいた。「人目につかないところで」。それが彼女の要望だった。当初は午前中にホテルの部屋で取材する予定だったが、エリさんの都合がつかなくなり、午後に変更となった。ホテルのチェックアウト時間は午前11時。午後には退室していなくてはならない。今すぐにでも使えて、人目につかない場所はどこかと考え、カラオケルームを思いついた。
本当にエリさんに会えるのだろうか―。不安と緊張を抱えながら、待つこと約30分。現れたエリさんは、よく通る声と、しっかりとした口調で、その凄惨な経験を語り始めた。
エリさんは屋内で性被害に遭った。周期通りに来るはずの生理が1週間遅れ、妊娠に気付いた。性被害に遭った際、あざや切り傷も負ったが、加害男性からの報復を恐れ、通報はできなかった。「めちゃめちゃ怖かった。でも、警察に届けたら殺される」。家族はいるが、幼少期から母や自分に暴力を振るう父が支配してきた家庭環境を考えると、妊娠の事実を相談することはできなかった。
「流産しろ」とやけになり、飲酒や喫煙を繰り返したが、体調は悪くならない。わが子を宿したおなかを、ベルトで締め付けたり、毎日お風呂で殴ったりもした。日に日に膨らむおなかは喜びではなく、苦しみとしか感じられなかった。加害男性は妊娠の事実を知らない。「なんで私だけがこんなつらい思いにならなくちゃいけないのか」。そう考えずにはいられなかった。
▽育てられなくてごめんね
内密出産に至った状況を話すエリさん(仮名)
中絶をしようと駆け込んだ最初の病院では「子の父親である加害男性の同意書と、手術費用が必要だ」と言われた。いずれも到底用意できない。妊娠相談窓口にメールで助けを求めると、「親に話してみましょう」との回答が戻ってきた。「言えないから相談してるんじゃん」。苦しまない答えがほしかったのに、通り一遍の対応でそでにされたと感じた。
絶望しかけた妊娠8カ月のころ、慈恵病院の取り組みを知人に教えてもらった。「親に内緒で産みたい」と病院に伝え、2カ月ほど入院した後、担当した新生児相談室長にだけ身元を明かして出産した。「あんなにしんどい思いをさせたのに、生きてる」。わが子を眺めながら、驚きを覚えた。
病院にいる間も、母が父に暴力を振るわれていないか、不安に襲われた。病院からは、自治体の支援を受けて自ら育てる選択肢もあると説明を受けたが、家庭環境は出産前のまま。実家に子どもを連れて帰っても「何をされるか分からない」状況だ。同居して子が幸せになれるか、確証が持てなかった。
実家を離れて子と2人で住む選択肢もあったが、選ばなかった。「父親の下に母親だけを置いてはいけない」と考えたからだ。出産の数日後、子と離れて一人実家に帰った。
病院には、「育てられなくてごめんね」と記した手紙や、おもちゃを託してきた。エリさん自身が名付けた子どもの名前には、「強くなってほしい」との思いを込めた。子どもには「新しい家族に迎えてもらい、幸せな家庭を築いてほしい」と願う。
子の戸籍は、熊本市の区長の職権で作成された。ゆくゆくは、希望する家族の下へ特別養子縁組される。子どもが18歳になった際には、自分の名前など身元情報を知ることができるよう、出自情報を開示するつもりだ。
エリさんは家族や親しい友人を含め、出産したことを誰にも伝えていない。「誰かにこの苦しみを分かってもらおうとは思わない。絶対に誰も分かってくれないと思っていた」
エリさんは取材中、ふと漏らした。「会いたいけれど、会いに行けない」。つらくなった時や会いたくなった時は、スマートフォンに残る子どもの写真を見返しながら泣いている。
▽3年で40人近くが利用
内密出産の流れ
慈恵病院が内密出産制度を導入したのは2019年。家族との関係に問題を抱えるなど、さまざまな事情から母親が危険な孤立出産に至る事態を防ぎ、安心して出産できる環境を提供し、母子の命を守ることを目的としている。
この制度に基づく出産が慈恵病院で初めて実施されたのは21年12月。以来、24年11月までの約3年間で、38人が出産した。
独自に導入に踏み切った慈恵病院の動きを受け、国は22年に運用指針を公表した。母親の身元情報の管理方法などを規定し、明文化することを医療機関側に求める内容などが盛り込まれたが、制度の法制化には至らず、24年末の時点で、慈恵病院に追随して導入、実施した病院はなかった。
内密出産を選ぶ女性の多くは周りに頼れる人がおらず、困窮した状況に陥っている場合が少なくない。しかし現状では出産費用や病院までの交通費など、費用負担に関する規定はなく、慈恵病院が自己負担を強いられている。「手弁当」で運用を続ける蓮田健院長は「海外に比べ、予期せぬ妊娠を自己責任と考える風潮が根強い。社会も政治も、孤立出産に無関心だ」と訴える。
▽ドイツやフランスでは法制化も
記者会見で話す蓮田健院長
慈恵病院は内密出産の導入に先立つ2007年に、親が育てられない乳幼児を匿名で受け入れる「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用を始めた。蓮田院長の先代が、全国で頻発する乳幼児の殺害・遺棄事件に胸を痛めたのがきっかけだった。
慈恵病院で保護したケースの多くが孤立出産による子どもたちだったことが分かり、後を継いだ蓮田院長が内密出産の運用も始めた。
慈恵病院に来院する母親たちの背景には、多岐にわたる事情がある。妊娠を「家族に言えない」という人、「誰にも相談できない」という人。10代による若年妊娠や、性暴力の被害に遭った女性も。蓮田院長は、慈恵病院を頼って訪ねてくる母親たちを取り巻く環境に思いをはせ、こう断言する。「遺棄を防ぐには内密出産が有効だ。(出産時の)匿名性を保障しないと来てくれない」
慈恵病院が内密出産制度を導入する際に参考にしたのは、ドイツの法制度だ。ドイツでは2014年に内密出産を規定した法律が施行された。フランスでも妊婦が身元を明かさずに出産する「匿名出産」制度が法で定められている。いずれも、子の出自情報の管理方法などが規定されている。
▽「消えた赤ちゃん問題」で韓国でも始まった「保護出産」
韓国のベビーボックス
お隣の韓国でも、内密出産と同様の「保護出産」を認める特別法が2024年7月に施行された。日本と韓国を行き来し、二つの国の妊産婦支援や養子縁組制度に詳しい目白大の姜恩和(カン・ウナ)教授(社会福祉学)などによると、困難を抱えた妊婦は、全国に16カ所ある「地域相談機関」に相談し、保護出産を選んだ場合、仮名で出産できる。
地域相談機関は、実の父母の名前などの個人情報や、保護出産に至った経緯や背景を記した「出生証書」を作成し、日本の「こども家庭庁」に相当する「児童権利保障院」に提出する。児童権利保障院は出生証書を永久保存しなければならない。子どもが出自を知る権利を保障するためだ。
子は開示を請求でき、児童権利保障院は実父母の同意を得て開示に応じなければならない。実父母が同意しなかったり、同意を確認できなかったりした場合でも、実父母の個人情報を除外する形で出生証書を公開する必要があると定めた。
韓国で保護出産が法制化されたきっかけは、2023年に表面化した「消えた赤ちゃん問題」にあった。病院で生まれた記録はあるが、出生届が提出されず所在が分からない子どもが8年間で2千人を超えることが韓国政府の調査で判明した。親が貧困を理由に乳児を殺害し遺棄する事件が発覚したほか、違法に養子に出されるケースも。慈恵病院の赤ちゃんポストと同様の施設「ベビーボックス」に預けられた子も相当いるとみられる。
根底には、社会全体に家父長制意識が強く残り、シングルマザーの存在を問題視する風潮があるとされる。こうした実態が社会に衝撃を与え、国内で議論が重なり、保護出産の法制化につながった。
▽日本は身元を明かすのが「大原則」、制度の運用を医療機関に任せきり
熊本市の慈恵病院
日本政府は「妊婦が身元情報を明らかにして出産することが大原則」との立場をとる。子どもの出自を知る権利の保障に重きを置くとともに、母子が出産前後に適切な支援を受けるために身元の確認が必要との考えが背景にある。
実母の身元情報の管理について、慈恵病院などは国が規定するべきだと主張しているが、国が示した指針には、身元情報の管理や開示の方法は医療機関側が決めるものだと規定されている。将来開示されるケースに備え、身元情報を「永年で保存することが望ましい」と示したものの、実際に子どもが開示請求した場合の対応の仕方は示されていない。
現状では医療機関が内密出産を導入しても、法的な裏付けはなく、子の出自に関する情報の管理を含め、制度の運用を医療機関側に任せきりにしている形となっている。
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目白大の姜恩和教授に話を聞いた。
姜恩和教授
日本政府による指針は、慈恵病院の現行の運営状況をベースにしているが、病院は情報管理の専門機関ではない。国は(実父母の名前などの)情報管理を含め、内密出産にどう関わるのかの姿勢を示すことが求められる。
予期せぬ妊娠をした女性が無事に出産を終えることは大事だが、それで課題が解決するとは限らない。女性たちがもともと背負っていた虐待被害や貧困といった根本的な課題が、妊娠や出産をきっかけに表面化する側面に注目するべきである。こうした課題の解決を見据えた包括的な支援が必要だ。
日本でも韓国でも「内密出産(保護出産)制度を利用できること」自体が重要なのではない。妊婦たちが内密出産制度に頼る手前の段階で、困難を抱えている女性たちを支えるにはどのような制度が必要なのかを議論し、充実させることが大事だ。
当事者の痛みを聴き、関わる人々がその声を社会に届ける、社会はその声にきちんと向き合うことで変化が起きるのではないか。韓国では、そうして制度改善に結びつけてきた。日本でも慈恵病院をはじめ、変化を求める声は上がり続けている。石破茂首相が2024年12月、国会で内密出産を巡り「赤ちゃんの権利、人権を最大限に重んじる法体系ができないか、政府内で検討させたい」と答弁した。少しずつ日本社会も動き始めていると感じる。
「遠慮」や「迷惑」という日本語に表れるように、目立つことをあまり好まず、規範性の強い日本社会で声を上げることは簡単ではないと感じるが、社会を変えることのハードルの高さを「文化のせい」で片付けてはならない。日本で内密出産の法制化が不可能とは思わない。困難を抱える妊婦を支えようと、懸命に取り組む現場の人々がいる。声が集まり、届けることで社会は変わっていく。
【取材後記】 内密出産したエリさんは、人物が特定されないならと写真撮影を了承した。爪や手の形から彼女だと分からないように、白い手袋を着用。服は、記者の着ていた白いダウンを貸して着てもらった。「父親にばれたら本当やばいんで」。彼女はそう話し、身元が判明することを徹底的に警戒した。彼女が日々さらされている恐怖と苦しみがどれだけのものか、考えずにはいられなかった。
2024年11月末までに内密出産した女性38人全員が、家族関係は「厳しい」と回答した。両親や父親、母親に知られたくないと答えたのは計29人で、大半が家族に何かしらの葛藤を抱える。家族だけでは担いきれない家庭内の課題があると察せられる。なぜ彼女たちだけが元の環境の過酷さに加え、つらい妊娠をひとり背負わなければならないのかと、強く疑問に思った。
石破茂首相は「赤ちゃんの権利、人権を最大限に重んじる法体系ができないか、政府内で検討させたい」と述べた。女性たちが安心して暮らせる環境が十分に保障されず、その結果として、子どもの命や権利がないがしろにされている事態に目を向けてほしい。一日でも早く、彼女たちが安心して生きられる社会になることを願ってやまない。