20年以上にわたって日本の宇宙開発を支え続けた主力ロケット「H2A」の最終号機は29日未明、満天の星に吸い込まれていった。幾多の困難を乗り越え、98%という高い成功率を実現させた関係者は、晴れやかな笑顔を見せた。
熟練エンジニア「まさに有終の美」
午前1時50分頃、打ち上げ成功が伝えられると、種子島宇宙センター(鹿児島県)に待機していた三菱重工業などのスタッフからは「よくやった」などの歓声が上がり、拍手に包まれた。
H2Aで唯一失敗した2003年の6号機打ち上げ後、再発防止の責任者を務めた元同社技術者の浅田正一郎さん(69)は、同センターの展望台で航跡を見守った。「あの失敗があったからこそ、H2Aは成長することができた」と語る。
浅田さんは、H2Aの前身となる初の純国産ロケット「H2」の設計などに携わった熟練エンジニア。技術者として大切にしてきたのは「失敗は神様の贈り物」という思いだ。6号機失敗で気落ちする部下を「失敗は自分たちの考えが及ばなかったことに気づかせてくれる。それを改善すれば、次は必ずうまくいく」と励ました。
浅田さんらは7号機打ち上げに向け、見過ごされた問題がないか洗い出しを徹底。課題は約790項目に上り、対策の要否を一つ一つ検証した。職場のある名古屋市から東京の本社、種子島、全国の各メーカーへの出張が重なり、「ほとんど自宅にいなかった」。
「ロケット野郎」を自称する熱血漢でもある。失敗原因を究明する文部科学省の委員会では、なぜ自動車のように信頼性が高まらないのかとの批判に、「大量生産の車とは違う」と反論し、「技術に100%なんてない」と啖呵(たんか)を切った。
今も、人工衛星を造る東京の宇宙新興企業に籍を置く。思い出深いロケットの最後を見届けようと、種子島に駆けつけた。失敗を糧に成長したH2Aが上昇するさまを見て、目を細めた。「あの時から一度も失敗せず、44回連続で成功を続けてきたことに称賛を送りたい。まさに有終の美を飾ってくれた」
三菱重工責任者「まだ夢を見ているみたいです」
最後の打ち上げでも、細心の注意が払われた。50号機は当初、24日に打ち上げる予定だったが、ロケットの2段目で電力を分配する機器に、通常とは異なる電圧の変化が検出される不具合が見つかった。延期を決断したのは、予定日の5日前。電圧は規定内だったが、三菱重工業で打ち上げの責任者を務める鈴木啓司さん(59)は「正体の分からない不適合を抱えたまま打ち上げはできない。最優先させるべきは成功。迷わなかった」と説明した。
50号機は延期を経て、29日午前1時33分、予定通りの時刻に打ち上げられた。打ち上げ後に記者会見した鈴木さんは「全てをH2Aに懸けてきた。成功したというけれど、まだ夢を見ているみたいです」と感慨深げに語った。
種子島宇宙センターから約3キロ離れた恵美之江(えびのえ)展望公園では、未明の打ち上げにもかかわらず、詰めかけた多くのファンが最後の雄姿を見届けた。
埼玉県川口市から初めて訪れた会社員男性(26)は事前に購入した記念Tシャツを着て見守り、「映像で見るのとは迫力が全然違い、感動した」と興奮気味に語った。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の協力で宇宙について学べる「宇宙留学」で、関東から家族と種子島に移住した南種子町立花峰小5年男児(10)は、H2Aのポスターが貼られた地元の盛り上がりに触れ、「H2Aは最後だけど、これからも見に来たい」と声を弾ませた。