沖縄のシンボルだった「赤い王宮」はなぜ、一夜にして失われたのか-。那覇市の首里城で令和元年10月、火災で正殿などを焼失したのは、指定管理者の沖縄美ら島財団が防火管理上の注意義務を怠ったためとして、沖縄県内の住民8人が、県が財団に約2億円を賠償請求するよう訴訟を提起した。火災の原因も責任の所在も明確になっておらず、住民らは訴訟を通じて原因を究明したい考えだ。
原因「コードの短絡」
「コードを踏みつけたり、ひっかけたりした可能性は十分に考えられる」
今月7日、那覇地裁(片瀬亮裁判長)で開かれた口頭弁論で、火災分析などに詳しい京都市の技術士、鍵谷司氏(80)が証人として出廷し、こう証言した。
那覇市消防局は令和2年3月、火災の原因について「焼損が激しく、特定には至らなかった」と結論付けたが、出火元とみられる正殿1階の延長コードが原因となった可能性が高いとも指摘していた。記録を確認した鍵谷氏は「火災原因は照明につながるコードのショート(短絡)以外考えられない」と述べ、火災原因を「特定できない」とした市消防局や県警の結論を疑問視した。
鍵谷氏によると、出火当時、正殿内の分電盤室には、発光ダイオード(LED)照明器具2基につながる延長コードが置かれていた。管理が国から県に移行するタイミングで新しい展示施設ができ、財団がその見学通路を分電盤室を通るルートに変更したことで、コードが不特定多数の人に踏みつけられ、コードの銅線が損傷、断線した可能性があるという。
正殿の電気系統は午後9時半に自動的にブレーカーが落ちる設定になっていたが、防犯カメラと照明の電源は常時通電状態となっていた。火災現場で見つかった照明につながるコードには溶融痕があった。
調査結果に批判の声
鍵谷氏は、コンセントからプラグが抜かれていた近くの送風機のコードには溶融痕がなかったことに着目。照明のコードの溶融痕は火災の熱によるものでなかったとの見方を示して「コードが踏みつけられ、断線した部分から発熱した」と推定した。
消防試験研究センターの燃焼実験の目的も、火災による熱で溶融したか、ショートかどうかという実験としては不十分であったと指摘。その上でコードに使われる銅の融点より高い温度で燃焼実験が行われていたとして「普通は温度をコントロールできる電気炉を使うのに、炭火を使って加熱していた。信じられない」と語った。
原告の代理人、徳永信一弁護士は「溶融痕はショートによっても、火災の熱によっても生じ得るとの論法で『原因不明』という結論になったが、わざわざ(原因を)分からないようにしたのかと思いたくなる調査結果のまとめ方だ」と批判する。
焼失した正殿は現在、復元工事が進んでおり、8年秋の完成を目指している。
原告の男性は「延長コードのコンセントプラグを抜いていれば首里城は燃えなかった。なぜ燃えたのかうやむやのまま再建が進むのは納得がいかない」と強調する。
司法の場で火災原因と責任の所在はどこまで明らかになるのか。地裁の判断が注目される。
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首里城火災 令和元年10月31日午前2時半ごろ、正殿から出火し、正殿や南殿など主要建築7棟約4800平方メートルが焼失した。首里城の管理・運営を県から委託されている沖縄美ら島財団が収蔵していた文化財も焼失。施設にはスプリンクラーがなく、鎮火まで約11時間かかった。首里城は琉球の国王一家が暮らしたかつての王宮で、行政府でもあった。15~16世紀に完成したとみられる。創建以来、度重なる火災に見舞われており、焼失は5回目だった。
記者の独り言 首里城が焼け落ちる姿は痛々しく、多くの県民が喪失感を抱いた。夜間を想定した防災訓練が行われておらず、初期消火の課題も浮き彫りとなった。教訓を踏まえ、再建中の正殿にはスプリンクラーが設置され、夜間訓練も行われるようになったが、裁判を傍聴し、二度と悲劇を繰り返さないためにも、火災原因を究明した上で改めてリスク管理を検証することが必要だと感じた。(大竹直樹)