先月発足した高市内閣が異例の高支持率にわいている。報道各社の世論調査で概ね7割前後、なかには8割を超すものもある。一時は「知性的」「改革派」とも呼ばれた石破政権だったが、その失敗の本質はどこにあったのか?
【画像】会場はガラガラ…総理退任直前に行われた、国連総会での石破氏の演説模様
国民に対する姿勢の「だらしなさ」こそが、彼らを敗北へと導いた
高市内閣が異例の高支持率にわいている。勝者の高らかな凱歌の陰で、敗北の苦汁をなめる者たちがいる。その筆頭が、総理の座にしがみつきながら、自民党員から見放された石破茂前首相である。
そして、石破政権で中枢を担っていた側近、平将明氏と木原誠二氏。この三人の政治家の凋落は、単なる権力闘争の帰結ではない。それは、彼らが掲げた政策の底の浅さ、国民を欺く姿勢、そして政治家としての本質の欠如が招いた、必然の結末であった。
かつて石破内閣が発足した際、閣僚写真で見せたズボンのだぶつきを、世間は「だらし内閣」と揶揄した。しかし、問題の本質は服装のだらしなさにあるのではない。思想の、政策の、そして国民に対する姿勢の「だらしなさ」こそが、彼らを敗北へと導いたのである。
本稿では、石破氏、平氏、木原氏の三名に焦点を当て、その失敗の本質を冷徹に解剖していく。これは彼らへの鎮魂歌であり、同時に、日本の政治が二度と同じ過ちを繰り返さないための、痛烈な警鐘でもある。
石破氏は本当に「知性的」「政策通」だったのか
石破茂という政治家は、常に「知性的」「政策通」というイメージを纏ってきた。しかし、そのメッキは、いとも容易く剥がれ落ちる。最近で象徴的だったのが、戦後80年談話で披露した、その驚くべき歴史認識の浅薄さである。
石破茂は、リベラルなポーズを取り繕うかのように、政治学者・丸山眞男を引用し、「元老院のおかげで軍事の暴走が止められた」と主張した。一見、知的な響きを持つこの発言は、しかし、歴史的事実を致命的に誤解した、空虚な言葉の戯れに過ぎなかった。
丸山眞男が論じたのは、明治期において元老院が一定の軍事コントロール機能を果たしたという点である。昭和初期、日本を破滅へと導いた満州事変以降の軍部の暴走は、元老院の衰退が直接の原因なのではなく、政党政治の機能不全や統帥権の独立など、国家システム全体の構造的欠陥に根差している。
カネを配れば地域が活性化するという発想
この一件が暴き出したのは、石破氏の知識が、深い思索や哲学に裏打ちされたものではなく、単なる引用と受け売りの寄せ集めであるという事実だ。歴史を、自身の「知性」を演出するための小道具としてしか見ていない。
それは政策面においても一貫している。石破氏は、またしても地方創生などと言って、補助金をばらまいた。カネを配れば地域が活性化するという発想自体が、地方が抱える構造的な問題を全く理解していない証左である。
理念なき資金投下は、単なる富の再分配ゲームに堕し、納税者の汗の結晶を無に帰すだけである。
大阪・関西万博における石破氏の振る舞いもまた、空虚であった。公式キャラクターのミャクミャクを抱え、「楽しい日本」などと空疎な言葉を繰り返した。しかし、石破茂自身が万博の成功に具体的に何を貢献したというのか。その姿は、中身のない政策を覆い隠すための、象徴的パフォーマンスに終始した。
平将明氏がその主張を裏付ける物的証拠を示すことは、ついになかった
石破氏の側近としてデジタル大臣の重責を担った平氏は、その職責とは裏腹に、デジタル社会と自由な言論空間への冒涜者として歴史に名を刻むことになった。
それは、自身の理解を超える複雑な事象に直面した際、熟慮や分析を放棄し、安易な「陰謀論」に逃げ込んだことにある。権力者として最も恥ずべき知的怠慢であった。
時事通信の報じるところでは、<平将明デジタル相も閣議後の記者会見で、「外国においては、他国から介入される事例なども見て取れる。今回の参議院選挙も一部そういう報告もある」と述べ、注意深く見守る姿勢を示した>という。
選挙という民主主義の根幹を揺るがす重大な指摘である。しかし、平氏がその主張を裏付ける物的証拠を示すことは、ついになかった。何の根拠もなく自分たちへの批判に「外国の陰謀」というレッテルを貼り、言論を封殺しようとする、極めて危険な試みであった。
根拠の薄い介入仮説に依拠した姿勢
客観的な分析は、平氏の主張がいかに杜撰なものであったかを物語っている。
東京大学の鳥海不二夫教授は、Yahoo!ニュース(2025年7月16日)に寄せた分析で、特定のニュースサイト関連アカウントのフォロワーに、ロシア政府系メディア「Sputnik」の情報を拡散する層が多いことをデータで示した。これは事実である。
しかし、鳥海教授は、このデータから「ロシア製ボットが参政党と深い関係にある」と結論付けることは飛躍であり、陰謀論的な過大評価であると明確に釘を刺している。冷静な専門家の分析を称賛したい。平氏は、この科学的な態度を爪の垢ほどでも煎じて飲むべきであった。
平氏の行動は、気に入らない意見を持つ級友を「あいつはスパイだ」と叫んで排斥しようとする「こどもの論理」だ。複雑な現実を理解する努力を怠り、全ての原因を単純な敵の存在に求める。権力者がこの陰謀論という麻薬に溺れるとき、社会の分断は決定的なものとなり、自由な議論の土壌は完全に破壊される。
「現金2万円給付」の木原誠二氏
そして、石破派のブレーンと目され、岸田政権から石破政権に至るまで権力の中枢にあり続けた木原誠二氏。その本質は、国家の百年を見据える経世家ではなく、目先の選挙と政権維持のためだけに知恵を絞る、小手先の策士といえないか。
木原誠二氏の政策には、経済合理性というものが存在しない。あるのはただ、「いかに国民の不満を一時的に逸らし、政権を延命させるか」という、冷徹な政治工学だけである。
その典型が、岸田文雄元首相の「増税メガネ」という不名誉なあだ名への対応として推進した、4万円の定額減税であった。
この政策は、多くの専門家やメディアから「手間ばかりかかり、経済効果は薄い無意味な減税」と酷評された。経済を良くするための手術ではなく、国民の怒りという痛みをごまかすための一時的な鎮痛剤ともいえる。
高市政権によって当然の如く葬られた「現金2万円給付」。週刊文春(2025年6月19日)が「自民党が突如、7月の参院選公約に、全国民に1人当たり2万円の給付金を配るとぶちあげた。野党がこぞって打ち出した消費減税への対抗策だが、このプランを考えたのは自民党の木原誠二選対委員長(55)だった」と報じた。
国民はもはや、空疎な言葉や小手先の政策には騙されない
木原氏は国民にアメを配る政策の立案に長けている。しかし、それは国民を賢明なパートナーとしてではなく、容易に操作できる愚かな大衆と見なしているからこそ可能な芸当である。
国民は、目先の現金給付よりも、持続可能な社会保障や安定した経済成長を望んでいる。この根本的な願いを理解せず、騙し討ちのようなトリックを弄する政治家は、国民からの信頼を永遠に失う。
この状況は単なる権力闘争の敗北ではない。「政策の浅さと失敗の本質」が、国民に見透かされたからである。
石破氏が弄した歴史からの引用は、深い洞察を欠いた浅はかな屁理屈に過ぎなかった。平氏が見せた言論統制への欲望は、民主主義の根幹を揺るがす自由への敵意そのものであった。そして木原誠二氏が主導した付け焼き刃のバラマキで日本経済はどん底寸前に追いやることになる。
彼らの退場は、日本の政治がようやく、この致命的な病から回復するための一歩を踏み出したことを意味しているのかもしれない。この苦い教訓を、我々は決して忘れてはならない。
国民はもはや、空疎な言葉や小手先の政策には騙されない。その冷徹な視線は、次なる指導者が、確固たる哲学と誠実さを持っているか否かを、静かに、そして厳しく見定めている。
文/小倉健一