「関門海峡突破させるな」クマの生息域拡大に警戒の声 九州で絶滅も山口県で多数の目撃

東北など東日本を中心にクマによる人身被害が相次ぐ中、九州にクマがいないことが話題になっている。九州では昭和62年にツキノワグマが捕獲されたのが最後で、環境省が平成24年に絶滅を宣言した。ただ、今年は海峡を挟んで山口県でも多数の目撃情報があることから、九州に移動する可能性を巡ってさまざまな声が飛び交う。一方、生息数がわずかな四国では生物多様性の観点から保護活動が行われており、クマとの向き合い方は地方によって大きく異なっている。
固有は昭和32年が「最後」
九州は東北と同様に深い山が広がり、熊本県もあることから、クマがいる印象を持たれるが、実は「森」の環境は大きく異なる。
クマの生態に詳しい森林総合研究所東北支所の大西尚樹・動物生態遺伝チーム長によると、東北はクマが好む実がなる広葉樹林帯が広がるのに対し、九州は明治期に木材需要の増加で山林が広く伐採され、現在は人工林が多い。広葉樹が減少した時期にクマの生息域が狭まり、繁殖相手がいなくなったことで数が減少したとみられるという。
九州は60万~40万年前、陸続きだった朝鮮半島から最初にクマが渡ってきたとされ、かつては広く生息していたが、記録によると、明治から昭和初期に捕獲されたツキノワグマは46頭。昭和16年にオスが捕獲され、32年に子グマの死骸が発見されて以降は目撃が途絶えた。62年に大分県で発見されたオスも、同研究所などの遺伝子解析で、福井県から岐阜県に分布するタイプと判明した。本州から持ち込まれた可能性があり、九州固有のタイプが半世紀以上確認されていないとして、環境省が平成24年に絶滅を宣言した。
大西氏は「ツキノワグマが主に生活するのは広葉樹林の森で、東北は広く残ったため絶対数が多い。九州は山林伐採でクマなど森林に依存した動物が減り、繁殖相手の不在で数が回復できなくなった」と分析する。クマが希少生物となったことで明治以降は狩猟者の間で「クマを撃つと7代たたられる」ともいわれたといい、宮崎県にはクマ塚と呼ばれる供養墓も残る。
今年度は目撃200件
一方、海峡を挟んだ山口県では、今年度のクマの目撃件数はすでに200件に上る。東北などでの人身被害を受け、SNSでは「関門海峡を突破させるな」などの声が上がり、クマが海を渡る可能性について取り上げる報道も目立つ。
関門海峡は最も狭い所で約650メートルで、大西氏は「距離的には泳げるが、潮の流れを考えると難しいだろう」との見方を示す。しかし山口県内でクマの密度が高くなり、オスのクマに新天地を求めるモチベーションが出れば泳ぐこともあり得るとし、「5年後はないが、50年後はあるかもしれない」と指摘する。
山口県農林総合技術センターによると、同県内の目撃情報はこれまで東部が中心だったが、3年ほど前から西部にも相次ぎ、イノシシのわなにはまって捕獲されるケースもあった。河川に沿って移動している可能性があり、同センターの担当者は「捕獲されるのはオスで、東から移動したもののメスもおらず、元の場所にも戻れず動き回っている印象だ」と語る。クマに対する対処法を知らない住民も多いことから県は警戒を強め、住民が登山イベントを中止する動きも出ているという。
四国では保護対象に
九州と海を隔てた四国では徳島県と高知県にまたがる剣山系とその周辺に生息するが、NPO法人「四国自然史科学研究センター」(高知県)によると、昨年度確認されたツキノワグマはわずか26頭。数百~数千頭が目撃される東日本と大きく異なり、環境省レッドリストで「絶滅の恐れのある地域個体群」とされている。
四国のツキノワグマはアジア大陸の中でも古い系統を持つ希少な個体群で、独自の進化を遂げてきたとみられている。九州に続き四国でも絶滅すれば、多様な生物の一つが喪失することになり、同センターは関係機関と連携し、クマの保護と住民の暮らしを守るという課題に取り組んでいる。
山田孝樹センター長は「住民がクマに対する知識を習得し、誘引物の管理を徹底することが重要だ」と強調。「近年の状況を受けてクマに恐怖を抱く人も多いが、しっかりと対策することが、被害を出さずに共存することにつながる」と話している。(一居真由子)