「令和の米騒動」は一過性の出来事ではない。緊縮財政のもと農業予算が削減され続けてきた農政の末路である。東京大学大学院特任教授(食の安全保障)の鈴木宣弘さんは 『令和の米騒動 食糧敗戦はなぜ起きたか?』 (文春新書)で分析する。いまこそ「農業にこそ積極財政」を。「財政の壁」を超えられるかどうかが、日本の未来を左右しそうだ。 果たして高市新政権下で日本の食をめぐる政策は良い方向に向かうのか? 「おこめ券」配布の是非は?
「財政の壁」を乗り越える 今こそ「農業にこそ積極財政」を
高市新総理は以前から「食料自給率100%を目指す」と宣言していた。すぐに達成できるかと言えば実現性の乏しい目標ではあるが、その方向性と意欲は賛同できる。令和の米騒動で多くの人が実感したように、食の安全保障は命に関わる一大事だからだ。
また、「積極財政」を掲げていることも評価される。緊縮財政のもと、米国からの要請に対応した多大な支出を埋め合わせるために、農業予算は長らく歳出削減の標的にされてきた。今度こそ、「農業にこそ積極財政」を実現できるか。まさに正念場だろう。自民党の「積極財政議員連盟」リーダーの城内実議員が引き続き入閣されているのも期待したいところだ。
植物工場で食料自給率向上?
しかし、どうやって食料自給率を上げていくのか具体的な方策について問われ、総理から第一に挙げられるのは植物工場だ。これでは、現場の実態をよく把握しているとは言い難い。
屋内で生育環境を人工的に制御しながら野菜などを栽培する植物工場は、初期投資もランニングコスト(特にエネルギーコスト)も高く、採算ベースに乗っているものはベビーリーフ(葉丈10~15cm程度で収穫した幼葉の総称)などかなり少ない事例だと関係者は口を揃えて言う。土壌からの微量栄養素に欠けるという問題はさておいても、植物工場で食料自給率が大幅に向上できるという発想は現実離れしている。
しかも、外国のお客様に饗するのは自国の自慢料理が当然なのに、訪日したトランプ大統領に米国産米と米国産牛肉を出すのはおもてなしではない。日本の国産米と和牛のレベルの高さを実感してもらうのが自給率向上の観点からも当然ではないか。
朝令暮改の農政では再び米騒動が起きかねない
また、コメ政策については、石破政権では増産の方向性が示されたのが、あっという間に覆されて、来年は減産の方向性が示された。高市総理の所信表明にもあった「需要に応じた生産」が何よりも原則だとの主張はわかるが、米騒動の原因を顧みてほしい。
『令和の米騒動 食糧敗戦はなぜ起きたか?』(文春新書)で詳述したように、米騒動が起きた背景には、需給調整を減反でギリギリに行おうとして消費の変化と猛暑の影響に対応できなかったという事情がある。消費の変化はトレンドで単純に予測するのは困難なことも判明した。不確かな需要予測に合わせて生産を絞り込もうと「再生協議会」ルートで全国に指示すると、生産現場の疲弊と猛暑の影響で生産が減りすぎてしまう(再生協議会とはコメ需給の見通しをもとに示される「生産の目安」(適正生産量)を県、市町村、農協などを通じて農家まで周知する組織)。
迷走するコメ政策 わずか数か月で増産から減産の理不尽
この反省なしに、また生産を絞り込んだら元の木阿弥である。米騒動が再燃しかねない。いま必要なのは、農家が安心して増産できるセーフティーネット策を明確にしたうえで、需給にゆとりができるように生産を確保することではないだろうか。
生産者のコストに見合う価格を市場価格が下回ったら、その差額を直接支払いする政策を導入すれば、消費者は安く買えて、農家は所得が確保できる。「価格にコミット(関与)しない」政策というのは、まさに、こういう政策だ。しかし、この直接支払いには、少なく見積もっても5千億円以上の予算が必要になる。農業予算を絞り込もうとしている財政当局がウンと言うわけがない。
「価格に関与しない」の論理矛盾
増産で価格を引き下げて消費者を助けると生産者への直接支払いが必要になり、それは財政制約で不可能である。そこで、生産を抑制して価格はできるだけ下がらないようにして、消費者には「おこめ券」の配布という愚策が登場した。
そもそも、「価格に関与しない」と言いながら生産を抑制したら、それはまさに価格に関与していることになるということが理解されていないようである。下がらないコメ価格に対して何らかの手当てをする姿勢を消費者に示す必要がある。そこで「おこめ券」を配布するという付け焼刃の対策が出された。仕組みの作り方によるが、このほうが財政負担は少なく済むだろう。
しかし、これが需給と価格の安定につながる根本的解決策では到底ないことは明らかだ。「おこめ券」の配布によって消費者のコメ購入が増えれば、むしろ、「おこめ券」にはコメ価格自体を上昇させる効果があると思われる。
米騒動の教訓から学べ 備蓄を減らす国に未来はない
農業とはそもそも豊凶変動が大きい営みなので、生産で調整しようとしても限界がある。猛暑の影響も強まる中ではなおさらだ。見込んだ収量が確保できるとは限らない。変動要因はますます強まっている。これまで農家も農協もよく頑張ったが、これからは生産調整でなく出口で調整する仕組みの強化が不可欠だ。
1つは備蓄用のコメや国内外の援助用のコメについて政府買上げ制度を構築することだ。買上げと放出のルールを明確にして需給の調整弁とする。さらに、輸入小麦のパンや麺をコメで代替し、飼料用の輸入トウモロコシもコメで代替し、コメ油で輸入の油脂類も代替するといったコメの需要創出に財政出動することだ。主食としてのコメ消費の他に、様々な出口が考えられるだろう。
しかし、備蓄米について指摘しておきたいのは、政府が掲げる100万トン程度という数字は日本国内のコメ消費の1.5カ月分でしかなく、いざというときにどれだけの期間、子ども達の命を守れるかと考えたら少なすぎるということだ。命に直結する問題であるからこそ、備蓄米を増やすのは安全保障のコストとして負担されるべきと考えられる。ところが逆に、予算をかけたくないから政府備蓄米を減らす方向での検討に入っている。
「朝令暮改」とこのような逆行政策では米騒動は解決できない。しかも、コメの高価格が続くと、輸入米がさらに増加して市場を圧迫し、稲作農家の廃業を加速してしまいかねない。「あと5年以内にここでコメ作る人はいなくなる。この集落は人が住めなくなってくる」との懸念が全国各地で聞かれる現実を直視してほしい。
ピントのずれた植物工場や「おこめ券」ではなく、安心してコメを増産できるセーフティーネットの整備、そして備蓄米を含む政府在庫の買い入れ・放出ルールを明確化した運用こそが求められるのではないだろうか。需給と価格を安定化させ、農家と消費者の双方を守る政策が待たれる。
鈴木憲和農水大臣は、職員への訓示で、「財務の壁を乗り越えよう。全責任は私が負います」と発言した。ぜひ、有言実行に期待したいところである。
(鈴木 宣弘/文春新書)