「人の生命より法律が大事なのか」…人喰いグマに対しても”専守防衛”を貫かなければならない自衛隊のリアル

全国で熊による被害が拡大している。秋田県では今年、熊に襲われて怪我した者が57人、命を奪われた者は3人に上っている(11月5日現在)。県の猟友会に所属するハンターは2025年だけで、1000頭以上の熊を駆除したという。これは昨年度の2.5倍。それでも、熊による被害を根絶できていない。
この状況を鑑みて、10月28日、秋田県の鈴木健太知事は防衛省を訪れ、小泉進次郎防衛相に自衛隊の派遣を要請。11月5日から、陸上自衛隊秋田駐屯地の第21普通科連隊が鹿角市で熊対策の活動を始めた。自衛隊法100条に基づき、「訓練」として業務を請け負う「民生支援」の形で行う。
彼らは捕獲に必要な箱わなの輸送や見回りなど地元猟友会の後方支援を務める。火器は携行せず、武器による熊の駆除は行わない。自衛隊員の役割は熊を射殺することではない。
なぜ自衛隊員は熊を撃てないのか。これは「鳥獣保護及び管理法」によって、熊への発砲は、狩猟免許を持つ者に限られることや、そもそも自衛隊法に明記された自衛隊の任務に「野生動物の駆除」や「有害鳥獣対策」は含まれていない。また、銃や訓練の性質からも熊の駆除は難しいという。
しかし、過去には、自衛隊員の銃が、熊を仕留めたことがあった。
1962年、北海道の東端にある、標津(しべつ)郡標津町古多糠(こたぬか)部落でのことだ。これを詳しく報じた『週刊読売』(1962年11月4日号)を参照しながら、当時を振り返ってみよう。
9月の初めより、乳牛、馬、綿羊など20頭以上がヒグマの餌食となった。人家にも熊が現れ、村民は自らの命の危険も感じるようになる。
この村には、若い頃から63頭の熊を仕留めたという、当時では日本一の記録を持つ熊狩り名人、角田川運太郎さん(73)がいた。角田川さんは、山に熊狩りの罠“トラバサミ”を仕掛ける。その見廻りに1人で山に入ったところ、熊に襲われ命を奪われた。頭が砕かれ、カーキ色の作業着が裂かれた、無惨な姿で発見されたのだ。
父親の敵を取ろうと、息子の春雄さんが銃を手に山に入ったが、熊に襲われ全治2週間の傷を負った。
標津町から出動要請を受けた陸上自衛隊第5師団第27普通科連隊は、戦車2台を先頭に、トラック4台、ジープ1台で古多糠部落にやってきた。24人の隊員は、いずれも精鋭だ。
熊の出没によって休校となっていた、古多糠小中学校、上古多糠小学校は、自衛隊員の付き添いで登下校することによって再開された。その他、自衛隊が行ったのは、危険地帯をパトロールすることだ。
熊を撃つことはできないと、自衛隊は「鳥獣保護管理法」の規定を村民に説明した。だが「人の生命より法律がだいじなのか」と詰め寄られた。そこで自衛隊は、パトロールの最中に遭遇した場合の熊への発砲を決めた。
これは推測するに、自衛隊法第94条「災害派遣時等の権限」(警察官職務執行法に準ずる)に則ったものだろう。「狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合においては」、「危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる」とある。
熊の出没地帯に、毒入りの豚の臓物をばらまくという罠もしかけられた。10月15日の昼過ぎ、その罠を食べた熊が、川のほとりで苦しみながらうずくまっていた。
自衛隊員2名、古多糠農協秘書長、そして傷も癒えていない角田川春雄さんの4名が腹這いで熊に近づいていった。30メートルほどに接近したところで、顔を見合わせた自衛隊員1名と農協秘書長が立ち上がった。
「やにわに立ちあがった二人はライフルと二連発銃を頭部めがけて、必死に撃ち込んだ。不意の急襲に、クマはワッといったん立ち上がり、一歩二歩とよろめくと、そのままドッとくずれ落ちた
『やった、やったぞ!』
大きなオスグマだ。四発ともみごとに頭に命中し、まだ真っ赤な血が吹きだしていた」(『週刊読売』)
打ち取ったのは、250キロほどの大ヒグマだった。
1971年にも、自衛隊員が熊を撃っている。陸上自衛隊元師団長で現在はNPO平和と安全ネットワーク理事の山下輝男氏による独自取材記事『羆(ヒグマ)を撃った男』に詳しい。以下参照しつつ、状況をみていこう。
北海道の剣山は、上川郡清水町と河西郡芽室町の2町にまたがる標高1,204.9mの山。その清水町に5月、陸上自衛隊丘珠駐屯地・北部方面航空隊所属のヘリコプターが墜落した。
捜索には第5特科連隊第6大隊が入った。すると、5月18日午後2時頃、頂上から400メートルの剣山東南山腹(芽室町)で、突然現れたヒグマが隊員の1人に襲いかかったという。彼は持っていた小銃を熊に向かって撃った。
それを目撃した、当時一等陸士だった隊員の言葉が紹介されている。
熊は雄で4歳、体長は約1メートル、体重は約120キロだった。
防衛法制に詳しいライターの稲葉義泰さんによれば、「これは『緊急避難』に該当し、任務遂行中の生命防衛として例外的に認められる」という。熊は製にされ、帯広駐屯地や美幌駐屯地に展示された。
一方で、熊に傷つけられながらも、発砲しなかった自衛官の例もある。2021年6月に起きた、札幌市東区ヒグマ襲撃事件でのことだ。
東区は札幌市で2番目に人口の多い住宅地。それまで札幌市に熊が出没することはあったが、山に近い南区や西区がもっぱらだった。これ以前に東区で人が熊に襲われたのは、これより143年前の1878年(明治11年)。つまりは、まだ住宅地ではなかった頃だ。
今でこそ、当たり前のように熊が住宅地を跋扈しているが、2021年当時にはあまりにも稀なことだった。
クマの襲撃により4人が負傷したが、死者はいない。それでもこの頃は「事件」だった。これを報じた『北海道新聞』2022年4月10日、14日、『文藝春秋』2022年3月号を参照しつつ、事件を見てみよう。
6月18日、熊が目撃されたのは、最初は北区で午前2時15分、東区では午前3時28分。午前5時台のテレビニュースで、報道された。
最初の被害者は、76歳の男性。熊出没をニュースで知っていたので、周囲を確認した上でゴミ出しのために外に出た。約15メートルの至近距離で、熊に遭遇。走って逃げると、熊が追いかけてきた。男性は足がもつれて転倒。その背中を熊は踏みつけて、走って行った。背中と尻に、熊の爪による傷ができた。
それが、5時55分頃のこと。この頃に、札幌市は広報車1台、消防車両13台を巡回させ始めていた。警察も出動した。
2人目の被害者は、81歳の女性。パトカーが熊への警告を呼びかけているのを耳にしたが、東区に熊など出るはずがないと、かまわずゴミ出しのために外に出た。6時15分頃、突進してきた熊に突き飛ばされ、2メートルほど先の路上に叩きつけられた。彼女もまた、熊に踏みつけられる。そのための傷ができたほか、地面に打ち付けた両膝と両肘が、翌日に鬱血した。
3人目の被害者は、44歳の男性会社員。熊出没のニュースは聞いていなかった。通勤で地下鉄東豊線新道東駅に向かっていた。スーパーマーケット周辺にパトカー数台が停まっていたが、熊への出動とは思ってもみなかった。その直後の7時18分頃、熊に襲われた。
被害者の言葉が『北海道新聞』に紹介されている。
「ものすごい勢いで人からタックルされたと思った。右腕をかまれている時に目が合い、ヒグマに襲われていると認識した。殺気立った表情で興奮状態だった」
とっさにあおむけになって体を丸め、手と足で顔や腹部を守った。肋骨を6本折り、140針を縫う重傷。入院とリハビリで、職場に復帰するには、7カ月間を要した。
4人目の被害者が、自衛官だ。熊出没の情報を警察から受けて、陸上自衛隊丘珠駐屯地は、いつもは全開にしている正面扉を半開にしていた。7時58分頃、そこに熊が入ろうとしたのだ。
警備の自衛官があわてて扉を閉じようとしたが、熊はそこに頭を押し込み、前足でこじ開けた。熊は自衛官の脇腹を噛んで裂傷を追わせて、駐屯地を出て行った。
この頃には、北海道警航空隊のヘリコプター3機が、熊の行方を上空から追い、緑地に入ったことを確かめた。
ハンター歴45年のベテランで北海道猟友会札幌支部長を務める斎藤羊一郎氏ら猟友会のメンバーが緑地を探ったが、熊の足跡が追えない。斉藤氏は、後ずさりしながら自らの足跡を消す「止め足」という技法を熊は使っていると指摘した。ヘリコプターが低空飛行して、草をなぎ倒しても熊は出てこない。
熊が緑地から出てきたのは1時間ほど経ってから。ハンターの発砲によって仕留められた。雄で、体長161センチメートル、体重158キログラム。ヘリコプターの他、機動隊を含む警察官105名、車両39台が出動する大捜査であった。
このケースでは、自衛隊員が負傷したが、「緊急避難」による発砲はなかった。
冒頭で自衛隊員が熊を撃てない理由を述べた。では、自衛隊員が狩猟免許を取ればいいのではないか。任務に必要であれば、取得にかかる費用は自衛隊が負担、取得のための専門教育課程も整備されている。資格・免許を取るために入隊するという者も珍しくない。
だが、自衛隊の任務は「防衛」「災害派遣」「治安維持」「海上警備行動」などに限定されている。自衛隊法のどこを探しても、その任務に野生動物の駆除は含まれていない。狩猟免許は任務と関係がないとされるので、自衛隊の費用負担で取得することはできない。
ただ、自衛隊員が退職後に狩猟免許を取得し、地域で鳥獣駆除隊員として活動している例は多くある。もともと、銃器の扱いに慣れているので、適性は抜群に高い。現役隊員でも、自費で、あるいは自治体の補助を受けて狩猟免許を取得し、趣味や地域活動に役立てている者もいるようだ。
しかしいくら狩猟免許を持っていても、任務中は「緊急避難」に当たらなければ、熊を撃つことはできない。野生動物の駆除は任務外だからだ。ハンターのように熊を待ち構えて射撃できるのは、私的な時間のみということになる。
先の稲葉氏によれば「鳥獣管理法に基づいて市町村長からの委託を受けて緊急銃猟を行うことも可能性としては考えられる」という。その例外がなければ、これまでの例で挙げたように熊に襲われれば任務中に撃てるが、熊を見つけただけでは撃てないということになる。
熊が相手でも、専守防衛というわけだ。
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(ライター 深笛 義也)