撮り続けた水俣の日常 土門拳賞受賞の小柴一良さんが作品展 山形

第44回土門拳賞(毎日新聞社主催)を受賞した小柴一良さん(77)の記念作品展「水俣物語 MINAMATA STORY 1971―2024」が山形県酒田市の土門拳写真美術館で開催されている。静謐(せいひつ)な雰囲気が漂うモノクロの作品50点には、半世紀にわたってレンズ越しに水俣病患者やその家族を見つめ続けた温かなまなざしがこもっている。
小柴さんは1948年、大阪府生まれ。大学卒業後に「ものをつくる仕事がしたい」と2年間、大阪の写真事務所で撮影助手をしていた。いわゆる「団塊の世代」で、「当時はフォトジャーナリストを志す者にとって『ベトナム戦争』や『水俣』は避けて通れないテーマだった」と振り返る。
71年、水俣病の取材を始め、翌年に熊本県水俣市を初めて訪れた。「水俣を撮り続けよう」と決意を抱き、74年に移住。生活のために船舶の免許を取得し、水銀汚染魚の捕獲などをした。
その後、取材相手だった網元の長女と結婚したが、取材対象の「身内」になることは撮影をさらに困難にさせた。水俣病の補償を巡る裁判で亀裂が入った地域だけに、「そっとしておいてほしい」と語る患者たちの声が心に響き、被写体との間に生まれた「距離感」に悩んだ。
6年間水俣に滞在したが「納得できる写真は撮れなかった」と、敗北感を胸に大阪に戻った。コマーシャルや広報写真の仕事に身を置き、妻との12年間の結婚生活に終止符を打った。「もう、水俣には行かないだろう」
しかし、新たなきっかけが小柴さんを再び水俣に引き寄せた。2006年、長年水俣をテーマに撮り続ける写真家の桑原史成さんから、企画展「水俣を見た7人の写真家たち」への参加を呼びかけられた。これまで押し入れに眠っていたネガを取り出し、改めて写真を見直した。
翌年、28年ぶりに水俣を訪れた。街並みは様変わりしていたが、自分のことを覚えてくれている患者が多くいたことに心を救われた。「今の水俣を撮りたい。最後まで患者たちを見届けたい」。止まっていた時計が動き出し、撮影を再開した。
写真集「水俣物語」は、小津安二郎の映画「東京物語」などから影響を受けて付けたタイトルだという。撮影する時に心がけたことがあった。「衝撃的な写真や善悪を分ける表現はしたくない」。伝えたかったのは、市井の人々が生きる「日常」だった。
土門拳賞の受賞記念講演会で小柴さんは、山形県酒田市出身の土門と水俣で交流があった世界的な報道写真家、ユージン・スミスとのエピソードを披露した。
また、土門の弟子の一人だった写真家の西川孟の下でアシスタントをしていた縁で、土門の晩年の名作である写真集「古寺巡礼」の撮影助手を務め、土門のドライバーや車椅子の介助をした時のことを振り返った。「思ったより重かった」。巨匠を背中におぶって奈良県にある山寺・室生寺の鎧(よろい)坂を上ったことなど、独特な撮影現場の様子を懐かしみ、写真家として影響を受けた土門ゆかりの地で受賞の喜びをかみしめた。
記念作品展は併催の写真展「縄文⇔現代⇔土門拳」とともに26年1月25日まで開かれている。【竹内幹】