栃木県日光市足尾町に今年8月開館した足尾銅山記念館が展示している鉱毒事件に関わる年表に誤りがあることが「渡良瀬川鉱毒根絶太田期成同盟会」(長島佳男会長)の指摘で分かった。記念館は古河機械金属(本社・東京)など古河グループが出資した法人「古河市兵衛記念センター」が運営しており、同盟会は13日、同社足尾事業所に訂正するよう申し入れた。
問題の年表は、記念館2階の「大きな課題への挑戦」と題した展示室中央にある「鉱毒防除の歩み」。銅板製で、創業者の市兵衛による銅山買収から1974年の農作物減収補償調停の成立までの出来事を時系列に並べている。
同盟会によると、誤りの一つは「源五郎沢堆積(たいせき)場決壊」の発生年。実際には1958年5月30日に決壊したが、年表では「1956年(昭和31年)」と記していた。
また、年表は58年8月の出来事として「渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会結成」の見出しで、「群馬県の三市三町によって結成。最終的に150万円の見舞金を支出することで合意が成立。しかし、毛里田地区は解決内容に満足せず渡良瀬川鉱毒問題が再燃」と記述。しかし、同会によると、当時の毛里田村(現同県太田市)は同年7月10日に「毛里田村鉱毒根絶期成同盟会」を設立し、設立時に「上流、下流部は(被害の)格差が判然」として3市3郡とは別に補償交渉に臨むことを決めていた。
この他、田中正造による鉱毒問題の追及を「追求」としている箇所もあった。長島会長は「鉱毒拡大の原因となった源五郎沢決壊の年を間違うなど加害企業としてあり得ない誤り。同盟会を巡る記述にも誤認があり、信頼関係を損なう」と指摘した。一方、同事業所は「ルートを探し(法人側に)伝える」と答えた。【太田穣】