天皇陛下のお務めは、およそ3種類に整理できる。
その1つは、憲法に列挙されている国事行為。「内閣総理大臣の任命」や「国会の召集」など、13種類ある。
天皇陛下が法的な義務としてどうしてもなされなければならないのは、少し意外かも知れないが、じつはこの国事行為だけだ。
国事行為は、天皇陛下が必ずなされなければならないとともに、天皇陛下から正式の委任を受けた場合を除き、天皇陛下以外は誰も行うことができない。しかも、国家の運営にとって最も枢要な事項ばかりだ。
たとえば、国会の多数による議決で高市早苗衆院議員が内閣総理大臣に“指名”されても、天皇陛下によって“任命”されない限り、新しい内閣は発足できない……という具合だ。
ただし、国事行為については「内閣の助言と承認」が不可欠だ。よって、それは法的には“内閣の意思”による行為といえる。
たとえば、秋篠宮殿下が“傍系の皇嗣”でいらっしゃる既定の事実を改めて公示する、「立皇嗣の礼」という前代未聞の儀式が行われた。もともと“直系の皇太子”の場合は「立太子の礼」が行われる一方で、傍系の皇嗣は類似の儀式を行わないのが原則だった。しかし、それは国事行為だったので天皇陛下に選択肢はない。
これによって、天皇陛下がご自身のお気持ちによって秋篠宮殿下に次代を託そうとされた、と早合点してはならないだろう。むしろ、傍系の皇嗣を次の天皇として即位されることが確定している「皇太子」と同じ立場のように印象づけることを狙った、“内閣の思惑”が透けて見える儀式だった。
次に、象徴としての公的な行為がある。こちらは、もっぱら「日本国民統合の象徴」という憲法上の地位を根拠とするもので、具体的な内容は憲法にはいっさい記されていない。
しかし、恒例化した行事として、たとえば毎年、皇后陛下とご一緒に地方を訪れられる「4大行幸啓(ぎょうこうけい)」などは、広く知られているだろう。
この地方ご訪問は、昭和時代には「全国植樹祭」と「国民体育大会(今は国民スポーツ大会)」の2大行幸啓だけだった。
平成になると、それまで皇太子のご公務とされていた「全国豊かな海づくり大会」が、新しく天皇のご公務に格上げされた。その結果、3大行幸啓と呼ばれることになった。
令和の今は、天皇陛下が浩宮(ひろのみや)殿下と呼ばれていた頃に第1回から参加されてきた「国民文化祭」、および平成時代から始まった「全国障害者芸術・文化祭」が平成29年度から一体的に開催されることになり、皇太子のご公務から天皇のご公務へと引き上げられた。これによって、4大行幸啓という形が定着している。
国民に印象が深い被災地へのお出ましや「慰霊の旅」なども、「国民統合の象徴」にふさわしい行為としてなされている。
ただし、天皇陛下が次のようにおっしゃっている事実は見逃せない(令和3年[2021年]のお誕生日会見)。
つまり、「皇室としての」公的なお立場より前に、まずご本人の「自然な気持ち」がおありだということ。国事行為とは違って、制度的に与えられた務めというより、むしろご自身の“思い”に裏打ちされていることこそが、「象徴行為」の本質だろう。
国民との信頼と敬愛を踏まえ、国民全体の一体感を形作るかけがえのない貢献といえる。
以上の2つのお務めのほかに、国民の視野に入りにくいお務めがある。それは何か。「皇室の祭り」だ。
祭りは目立たなくても大切なお務めだ。何より皇室ご自身が歴史的に祭りを重んじてこられた事実がある(『宇多天皇御記(ぎょき)』『禁秘抄(きんぴしょう)』など)。
また、作家の三島由紀夫は次のような表現をしている(「問題提起」)。
「大統領とは世襲の一点において異なり、世俗的君主とは祭祀(さいし)の一点において異なる天皇」と。
選挙制の大統領に対して、君主は世襲制という違いがあり、一般の君主に対して、日本の天皇は祭祀を自らの本質的な務めとされる点で、はっきりと異なる、という指摘だ。
私なりの言い方をすれば、以下のようになる。古代以来、国家の公的な秩序の頂点に位置づけられ続けてきた「天皇」という地位にある方が、心身を清めて自ら祭りに仕える体験を繰り返されることによって、清浄・無私でへりくだった、まさに国民結合の中心であるにふさわしいご心境をより磨かれる意味をもつ、と。
「国事行為」や「象徴行為」の前提となる“心の構え”を作るために、欠かせない営みといえる。
皇室の祭りは3つに分類できる。
①の宮中祭祀というのは、皇居の中にある宮中三殿=皇祖の天照大神を祀る賢所(かしこどころ)、皇室の祖先の御霊を祀る皇霊殿(こうれいでん)、八百万の神々を祀る神殿、および新嘗祭(にいなめさい)を行う神嘉殿(しんかでん)などで行われる。その恒例の祭りの具体的な内容は、宮内庁のホームページに「主要祭儀一覧」として掲げている。
②の山陵祭祀は、おそらくほとんど見逃されているだろう。皇居の外、奈良県橿原(かしはら)市にある初代の神武天皇陵をはじめ、各地にある歴代天皇の山陵(みささぎ、お墓)での祭典だ。
宮中祭祀の恒例の「天皇祭」(昭和天皇祭=1月7日、神武天皇祭=4月3日)や「例祭」(孝明天皇例祭=1月30日、香淳皇后例祭=6月16日……など)のおりや、さらに臨時の「式年祭」(たとえば昨年10月1日に行われた懿徳(いとく)天皇二千五百年式年祭)のおりなどに、皇霊殿での祭りとは別に行われている。
③の勅祭は、天皇の使者である「勅使(ちょくし)」を、伊勢の神宮やそのほか各地にある皇室とのゆかりが深い16の神宮・神社(勅祭社)に差遣して、天皇のご祭文(さいもん)を神前で読み上げ、たてまつりもの(幣物(へいもつ))を捧げる祭りをいう。
皇室の祭りで注意すべきは、祭祀に仕える精神、作法の継承について、「直系」の皇太子による受け継ぎを前提としている事実だ。
皇室の方々の中で、古式の装束を身につけ、宮中三殿の殿内に入って作法を行われるのは、大祭では天皇皇后および皇太子(今は例外的に皇嗣、以下同じ)同妃、小祭では天皇と皇太子に限られる(現在、皇后陛下はご体調が整わない場合にはご遙拝(ようはい)やお慎み)。
宮中祭祀の中でも最も重要なのは、その年に収穫された新穀(米と粟)などを皇祖神などに供え、神の恩恵に感謝される新嘗祭だ。この祭典について、少し立ち入っておく。
新嘗祭は11月23日の夜から翌朝にかけて、先に述べたように神嘉殿で行われる。
天皇は、この祭りではほかの場合にお召しになる黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)ではなく、特別に純白の絹の御祭服(ごさいふく)をお召しになる。
冠の後ろに垂れ下がる纓(えい)と呼ばれる飾りも、天皇は普通ピンと立った立纓(りゅうえい)だが、この祭りの時だけは折りたたみ、白い生絹(すずし)の布で結ばれる。これは、新穀などをご自身で供えられる作法に支障がないようにするためとか、“神聖さ”の表示などと解釈されている。
あるいは、最も尊貴な天照大神に自らお供えされるにあたり、へりくだったお姿を示されるものとも考えられる。
この祭りで神嘉殿に入る皇室の方は、天皇のほかは皇太子だけ。神嘉殿の正殿(母屋)には天皇だけがお入りになり、皇太子は隣の西隔殿(にしかくでん)で正座をされたまま。
天皇は、新穀などを時間をかけて一つ一つ丁寧にお供えになり、ご拝礼の後、御告文(おつげぶみ)を読まれて、皇祖神からいただく形で、ご自身も新穀や白酒(しろき)・黒酒(くろき)をお召し上がりになる。その頃、皇太子は正殿外の南側のひさし部分に進んで拝礼をされる。
それが「夕(よい)の儀」(午後6時から午後8時まで)、「暁(あかつき)の儀」(午後11時から翌朝午前1時まで)と2度繰り返される。
皇太子は正殿内には入らない。だが、隣の部屋で心を澄ませて、神聖で厳粛な祭りを体感されるはずだ。
天皇陛下は平成時代にそのような体験を「皇太子」として積み重ねて、“天皇の祭り”を受け継ぐ境地に至られた。こうして、大切な祭りの次代への継承が、つつがなく行われる。
しかし、傍系の皇嗣の場合は事情が違う。
令和の皇室の場合、皇太子が不在だ。なので、傍系の皇嗣の秋篠宮殿下が殿内に入っておられる。
しかし、秋篠宮殿下がせっかくご熱心に祭りの体験を積まれても、天皇陛下とのご年齢差がわずか5歳と近い。だから、現実的には即位されない可能性が高い。
一方、次世代の敬宮(としのみや)(愛子内親王)殿下も悠仁親王殿下も、一般の皇族と同じように、大祭や例祭の時に三殿の外の庭上の幄舎(あくしゃ)という簡素な建物の中で参列されるにとどまる。
服装は、敬宮殿下はほかの女性皇族と同じくロングドレス(ローブモンタント)かデイドレス、悠仁殿下もほかの男性皇族と同じくモーニングコートという洋装だ。
作法としては祭典の終わり頃に、これもほかの皇族方と同じく、三殿正面の木の階段の下でそれぞれ拝礼をされるだけ。
同じ祭りに臨まれても、心身を清めて古式の装束で殿内にまで進むのと、洋装で殿外から拝礼するだけとの間には、“経験の質”において遠く隔たる距離がある。
現時点では、祭りを「次の世代」に受け継ぐべき経験をしている皇族が、誰もいらっしゃらないのが実情だ。
このままだとどうなるか。
宮中三殿や神嘉殿で繰り返し祭りに仕えるという経験を積まなかった方が、次の時代にいきなり皇室祭祀の中心に立たれることになりかねない。そのような事態は、祭りの継承を重んじる立場からは、決して望ましくないはずだ。
皇室の祭りは、「皇太子」によって次の世代に受け継がれるのが、本来の姿だ。
皇太子とは「皇嗣たる皇子」(皇位継承順位が第1位の天皇のお子さま)。だから、令和の皇室で皇太子になりえる資格をもっておられるのは、唯一の皇女、敬宮殿下お一方だけだ。
皇室の祭りがつつがなく次代に受け継がれることを願うのであれば、天皇陛下にお子さまがいらっしゃるのに女性だからというだけの理由で皇位継承のラインから除外される、今の皇室典範の欠陥ルールをすみやかに是正して、敬宮殿下に「皇太子」になっていただくのが当たり前ではないか。
11月17日から22日まで、敬宮殿下の初めての海外ご公務としてラオスをご訪問になった際は、「準国賓」としてすでに皇太子でいらっしゃるかのような丁重な待遇で迎えられた。日本国内のメディアも現地でのご動静について、国民の関心の高さを反映して大きな扱いが続いた。
とくに敬宮殿下ご自身が帰国後のご感想の中で「私も、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下を始め、皇室の方々の歩みを受け継いでいく思いを新たにするとともに……」と述べておられたことからは、皇室の将来を自ら担おうとされる、強いご覚悟が伝わってくる。
———-
———-
(神道学者、皇室研究者 高森 明勅)