住宅など187棟(暫定値)を焼いた大分市佐賀関(さがのせき)の大規模火災。あの時、現場では何が起きていたのか。なぜ、これほどまで被害が拡大したのか。18日で発生から1か月。住民の証言や国が所管する研究機関の現地調査などで、その一端が明らかになりつつある。(山本光慶、森咲野花、池田圭太)
市消防局によると、最初の通報は11月18日午後5時43分にあった。通報者の一人で、出火元の男性(76)宅近くに住む女性は「(男性宅の)1階の窓から火が噴き出していた」と当時を振り返る。
同5時55分頃、出火元から東に約160メートル離れた高台にある自宅にいた松本孝治さん(62)は、外が明るいことに気づいてベランダに出ると、オレンジ色の炎や真っ白な煙が強風にあおられているのが見えた=図表〈1〉。
地元の消防団副分団長、白石聡さん(58)は同6時過ぎ、出火元の近くに到着。熱気を感じ、思わず顔を手で覆った。「ボン、ボン」。プロパンガスに引火したような爆発音が鳴り響いた。プラスチック製のバケツが上空に舞い上がるほどの風が吹いていた。
現場周辺は木造住宅が密集している。方言で「せど」と呼ばれ、人同士がすれ違うのがやっとの狭い道が入り組む。消防車両が出火元のそばまで入れず、消防団員らはポンプやホースを人力で運んだ。家庭用の浴槽200杯分の防火水槽(40トン)のほか、海水を吸い上げて消火が行われた。
出火元から東約100メートルの場所に住む男性が同7時35分頃にベランダで撮影した映像には、自宅から数軒先に火の手が迫り、放水しても火の勢いが衰えない様子が映っていた=〈2〉。火の粉が風で舞う様子も収められていた。
岸壁のそばにあり、出火元から南に約110メートル離れた田中公民館に住民の多くが避難した。同7時50分頃、松本さんが岸壁から撮影した動画には、漁港周辺に消防車両が並び、煙が東方向に流れる様子が映っていた=〈3〉。
集落の南東端にある墓地近くに避難していた橋本友一さん(43)は同10時頃、炎が集落をのみ込んでいく様子=〈4〉を見届けるしかなかった。
大分県警のヘリコプターが同11時半頃に北西方向から撮影した映像では、佐賀関半島側の田中地区の大半が燃えて煙に包まれていた=〈5〉。同じ頃、周囲の山林や、南東に約1・4キロ離れた蔦島(つたしま)まで延焼している様子が確認できた。
住宅の密集や狭い路地といった地域特性に加え、乾燥などの気象条件も重なり、被害は拡大したと考えられる。
大分地方気象台によると、佐賀関の8月下旬から11月中旬の降水量は150・5ミリで平年の3分の1にも満たなかった。また、火災当日の現場近くの海上には強風注意報が発表されていた。白石さんは「風は上から吹きつけ一回転していた。周りの住宅は燃えていないのに、急に煙が出る家もあった」と証言する。
国土交通省国土技術政策総合研究所などが11月20~22日に行った現地調査の結果、住宅地の少なくとも9地点で「飛び火」とみられる焼損が確認された。
大分大減災・復興デザイン教育研究センターの小西忠司客員教授(火災物理)は▽北西からの強風で出火元から広範囲に飛び火した▽山と海に囲まれた地形により風向きが複雑に変化した▽風がせどを吹き抜ける際にスピードが増し、入り組んだ構造も複雑な風の流れを生んだ――可能性を指摘。「地形や密集した住宅地の影響で生じた風が多方向への延焼につながり、被害を拡大させたと考えられる」としている。