「抵抗すれば殴られる」「ライターの火であぶって」怯える女子高校生を3人が強姦…「綾瀬コンクリ殺人事件」の加害者Fが語った、あの部屋で起きていたこと

〈 《女子高校生コンクリ詰め殺人事件》「女の子を騙して車に乗せてホテルに連れ込んだり…」加害者Fが語った、事件が起きる前の生活 〉から続く
史上最悪の少年犯罪と呼ばれる「綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件」。たった7日間しかなかった昭和64年(1989年)の1月4日に被害者のX子さんは命を落とした。その日から今日でちょうど37年が経つ。
事件から11年後、「ニュースステーション」ディレクター(当時)で、現在は北海道放送(HBC)報道部デスクを務める山﨑裕侍氏は、集団強姦に関与し少年院送致となった元少年・Fに接触した。刑を終え、家庭を持ち、社会の中で生活する彼は、事件とどのように向き合っているのか。山﨑氏の著書『 償い 綾瀬女子高校生コンクリート詰め殺人事件 6人の加害少年を追って 』より一部を抜粋して紹介する。(全3回の3回目/ 最初 から読む)
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部屋に入ったら見慣れない女の子が一人いて…
Fが綾瀬事件に最初に関わったのは1988年11月28日。
「A君から『ちょっと面白いものがあるから見に来いよ』みたいな感じで声をかけられた。夜中、ウチのお袋が寝静まったのを見計らってから出ていって、C君の家に行ったんですけど。部屋のなかに入ったら全然見慣れない女の子が一人いて、自分は最初誰かの彼女かなと思っていたんですけど、何時間かいるうちに段々雰囲気がおかしくなってきて彼女の様子もおかしかった」
被害者の女子高校生Ⅹ子さんがCの部屋に監禁されて3日目の夜だった。部屋にはA・B・C・Dの4人のほかに、Eもいた。EはFと中学の同級生だった。
「A君だかB君だかどっちかわからないですけど、『シンナー吸ってラリったふりしろ』と言われて、彼女もかなり怯えて、何せ4、5人もいたんで。 それから嫌がる彼女を押し倒したりとかして。B君か誰かに『やれ』って言われたんですよ。『いや、できませんよ』みたいに一応抵抗したんですけど『何でできねえんだ』って感じで。無理やりですよね。もう一人いた友だち(E)も嫌がっていたんですけど無理やりさせられて、腰まで押さえつけられて後ろで」
AやBの指示で、DとEとFの3人が強姦した。それだけではない。AはさらにⅩ子さんを凌辱し痛めつけ続けた。
「被害者の様子は?」
「もう放心状態ですね。はじめはすごい抵抗していたんですけど、抵抗すれば殴られる、何か言っても殴られる、当然1人、2人だけじゃなくて3人、4人の男が取り囲んでいるじゃないですか。最終的には無抵抗状態になっちゃって、目はうつろでしたね」
「そのときの表情は覚えていますか?」
「いまだにそれは忘れないですね。鮮明に焼き付いています」
彼女は「頑張れ、頑張れ」と小さくつぶやいていた
11月28日の集団強姦以降、AからⅩ子さんを見張るよう命じられたFは、Cの部屋に4、5回行ったという。
「何回か行くたびに彼女が酷い仕打ちを受けている場面も嫌というほど見ているわけですよ。ライターの火であぶったりとか。火傷の痕がケロイド状になってしまって、本当痛々しく、無数に残っていて。見るたびに傷とか痣とか増えるんで」
12月に入ると、Aたちは彼女を性の対象ではなく、暴力の対象とした。
「人を殴っていると言うよりサンドバッグを殴っているみたいに、何と言ったらいいか、憎しみじゃないんですけど怒りというか、自分のストレスをぶつけているような。何でそこまでできるのかなというぐらい。この野郎、この野郎という感じで、殴る場所も関係ないんですよ」
「殴られているときの被害者は?」
「とにかくはじめのうちは泣いて、平謝りなんですよね。ごめんなさい、ごめんなさいと、謝るしかないんですよ。彼女としては意味のないことで殴られて。言っても許してくれないし、自分が悪い訳でもないのに謝っている訳ですよ」
殴られているあいだ、彼女は「頑張れ、頑張れ」と小さくつぶやいていたという。
「三度目か四度目に行ったとき、彼女と2人きりになるときがあって、彼女から聞かれたんですよ。私このままどうなるのという感じで。それを聞かれたときに自分は何と言っていいかわからなくて『とりあえず自分は上の人に言われてやっているだけなんで、俺に聞かれてもわからないから』と逃げ口上で言うしかなくて、どっかで逃がしてあげられたらなとか何とかしてあげられたらという気持ちが全然ないわけではないんですけど、そんなことはできるはずもなくて。助けて逃がしてあげるチャンスもあったし、簡単なことだったんですよ。部屋のドアを開けてやればよかったわけですから。でも、やっぱりそれはできなかったですよね」
「彼女を最後に見たときは?」
「いや、もういわゆる(週刊誌に載った生前の)写真のイメージは全然なくて、やせ細っちゃって。すごい目の大きい子だったんですけど、違う意味で目がギョッとなっていて。日に日にやつれていっているのは自分でもわかっていて、おそらく食事もろくに摂っていないんじゃないかなと。自分も何回か『食事摂ったほうがいいよ』と言うんですけど、やっぱり食べられないんですね。食べられないですよね、食べる食べないの以前の問題なんで、扱いが」
Fは12年前のことを、まるで昨日の経験のように語る。後悔や罪悪感を繰り返し思い起こすことで、心に消えない痣ができているのだろうか。
最初の1、2日というのはどうしてもショックが大きくて
「チャンスはあったんですね。綾瀬のマンションで母子強盗殺人事件(1988年11月16日)があって刑事が家にも聞き込みに来たんですよ。何とか相談してみようと思って、刑事に『ちょっと相談があるんですけど』と言いかけたときに、刑事は『悪いけど担当違うから少年課に相談に行って』と言ったんです。当然、刑事はそんな事件が起きているなんて夢にも思っていないだろうし、自分の事件で頭がいっぱいだったと思うんですけど、結局それでその機会を逃しちゃったんですね」
Fは12月の暮れにはAたちと関係を絶ち、綾瀬に近寄らなくなっていた。事件の結末は、ニュースで知った。Fも強姦容疑で警察から取り調べを受ける。
「彼女が発見されたときの写真を出されたんですよ、目の前に。刑事に頭をつかまれて写真の前にぐっと近づけられて、『やったんだろ、やったんだろ』とずっとその繰り返しで。つらくて写真も見られないんですね。彼女と話したことや、生きていた姿を見ていただけに、すごい姿で写っていましたから。涙がボロボロ出てきてしまって、とにかく申し訳ないことをしたと」
犯行の関与度合いは低かったため、成人と同じ刑事裁判にかけられることは免れ、家庭裁判所の審判で少年院送致が決定した。Fは長野県の少年院、有明高原寮で半年間を過ごした。
「最初の1、2日というのはどうしてもショックが大きくて、食事もとれなくて」
少年院ではまず事件についてノートに書き記し、自分を見つめ直す作業から始めた。そして、都合の悪いことから逃げる自分の性格が、被害者を救えなかった原因だと思い知ったという。
「彼女がああいう形で死んだというのは悔しいですか?」
「悔しい。悔しいのもそうなんですけど、自分で自分に腹が立つというか、自分も危ない目に遭うかもしれないですけど、少なくとも誰も死なないで済む可能性だってあったわけじゃないですか。もうちょっと彼女の立場になって本気で考えてあげられたら、もうちょっと違う形でいろいろとあったんじゃないかなと。そうですね、悔やんでも悔やみきれないですけど」
Fの声が震えていた。その真剣な眼差しに、は感じられなかった。
「あそこまで真剣に人の命の大切さとか、一つの言葉にしても人がどう取るかということを学ぶところがないですから、普段の生活のなかでは。そんなこと真剣に思う時間もないですし、半年間丸々いたんですけど、いろいろな意味で考えさせられて、自分が変われた半年間でした」
(山﨑 裕侍/ノンフィクション出版)