《衆院選》高市首相の“沈黙”に「朝日新聞はハレモノに触るような書きぶりを…」今回の選挙で目についたメディアの姿勢とは

自民、歴史的大勝310超 過去最多議席3分の2。
今回の選挙は、歴史に残るものだった。選挙期間中にも首相が発言を控えたり、議論を避ける姿が見えていたにもかかわらず、それをあまり問題にしないメディアも目についたからだ。
たとえば朝日新聞である。次の1面記事を見てほしい。
『消費減税、首相が沈黙 「争点つぶし」成功、透ける戦略 衆院選』(2月4日)。
朝日と産経がほぼ同じスタンスに
首相の沈黙を「戦略」と書いてしまう朝日新聞なのである。記事では、複数の政権幹部の言葉が紹介されている。
「すでに争点をつぶしたからだ」

「余計なことは言わないことがリスクマネジメントだ」
朝日新聞はこうした首相側の説明を書くだけ。選挙期間中に政策について沈黙することの是非を論評していない。記事の最後は、「首相は1日のNHKの討論番組を手のけがを理由に欠席し、公示後に党首討論には参加していない」と淡々と締めくくられている。どこか、ハレモノに触るような書きぶりにも見えた。論評したら怒られるのだろうか。
この2日後に朝日は社説で「衆院選 語らぬ首相 拭えない逃げの姿勢」と書いたが、「逃げの姿勢」はお互い様に見えた。
ちなみに産経新聞は、「首相、消費税言及を封印」「安全運転」と1面で書いていた(2月5日)。
ここにきて朝日と産経がほぼ同じスタンスになるのがとても面白かった。
それにしても選挙中の首相発言は本来なら極めて重要なはずだ。
1998年の参院選では、当時の橋本龍太郎首相の減税発言のぶれを、メディアは連日追いかけた。
記者会見で恒久減税を示唆したと受け取られた発言は、その後のテレビ番組で追及されてトーンダウンし、「首相迷走」と批判を浴びた。勝利確実と言われた自民党は厳しい審判を受けた。
首相討論会欠席を聞いて、3年前の春を思い出した
こうした歴史を考えると今回の高市首相、消費税への沈黙だけでなく、「円安ホクホク」発言が海外や市場から注目されている。発言の真意や説明を、選挙期間中だからこそ、メディアは公的な場で求め続けるべきだったのではないか?
しかし首相は、2月1日のNHK討論会を欠席した。体調不良であれば仕方がないとしても、不思議だったのは、討論会の再設定を求める声が大きくならなかったことだ。
首相討論会欠席のニュースを聞いて、私は3年前の春を思い出した。奈良県知事選である。当時の報道を振り返ると、この選挙で痛手を被ったのが、高市早苗・経済安全保障相だったとされている。高市氏が擁立した候補が敗れ、お膝元で選挙基盤を築けなかったためだ。
高市氏は「県連会長でありながら、国会答弁に追われた上、高熱が続き、張り付きで応援することができませんでした」とおわびするコメントを出した。
このとき国会では、放送法を巡る答弁が大きな問題になっていた。3月の参院予算委員会。放送法の政治的公平をめぐる行政文書について、高市氏は「捏造」と断じ、「信用できないならもう質問しないでほしい」と答弁した。自民党内からも批判が出て、発言は撤回に追い込まれた。
奈良県知事選の告示後、最初の週末。高市氏は奈良入りを急きょ取りやめ、現地に入ったのは選挙戦最終盤の金曜日だけだった。私はその現場を見ていた。
屋内の集会で登場した高市氏は、15分ほどスピーチをしたが、その内容は応援演説というより、それまでの報道への反論を並べた「持論の披露」に近かった。
興味深いコラムがある。当時、政治ジャーナリストの田崎史郎氏はこう書いている。
あの田崎氏に「不安」と言われていた高市氏
《高市がここまで頑迷になると、首相になった時どうなるか、不安に駆られる》(四国新聞・2023年4月2日)
あの田崎氏に「不安」と言われていた高市氏は昨秋に首相となった。そして年明け、国会をドタキャンするかのように解散に踏み切った。さらに選挙期間中には、議論を避けるような姿勢を見せた。
徹底して議論を避け、議席数という「結果」だけを取りに行った解散だったようにも思える。
公示日の第一声となった福島で、高市首相は「政権は不安定で、はっきり言って行き詰まっている」と語った。重要な委員会の委員長を野党が握り、法案審議が進まない。これが解散の本音だったのだろう。
解散前、高市首相は「国論を二分するような大胆な政策」を実行するためには、国民の信任が必要だとも述べていた。
「まず私を信任してください。そうしたら大きなことをやります」
この構図は、やはり危うく映る。
本来、信任とは議論の結果として与えられるものだったはずだ。しかし今回の選挙では、検証が必要な発言があっても、政策に沈黙しても、それ自体が大きな問題として扱われなかった。
SNSでは、「論評」や「批判」を、「悪口」のように受け取る風潮も目についた。首相の発言が市場に影響を与えるという事実よりも、演説で涙したというエピソードのほうがエモーショナルに消費されていく。わかりやすさやエモさが事実を飲み込んでいく。
今回の選挙は、今後の国会運営の予告編を見せられているようだった。本編が始まったとき、一体何が始まるのか。そうした状況下では腰が引けないメディアの姿勢が重要になるのではないか。
(プチ鹿島)