避難でつらい日々支えてくれたのは犬だった、「恩返し」と獣医師に…誰かの命救おうと必死だった母の姿は今も誇り

[東日本大震災15年]明日への道<3>
おびえたように体を震わせる小型犬の顔をなで、語りかける。「ごめんね。でも、おりこうさんだね」。さいたま市内の動物病院で、獣医師の佐藤森(しん)さん(28)が、神経症の疑いで訪れた犬の検査に当たっていた。
勤務先の動物病院には磁気共鳴画像装置(MRI)などの最新鋭の検査機器があり、ほかの病院で対応が難しい犬や猫が相次いで来院する。病巣などを見逃すまいと、時間を惜しんで検査結果に目を凝らす。
「動物に恩返しできる獣医師になれてよかった」。この道に導いたのは、不安で胸が押しつぶされそうな15年前の避難生活を支えてくれた一頭の犬だった。
中学1年だった2011年3月11日。通っていた岩手県山田町の学校で地震に遭い、そのまま同級生らと高台の避難所へ向かった。
町内の高齢者施設で働いていた母・由美さん(当時51歳)とずっと連絡も取れず、安否がわからなかった。2週間ほど後、由美さんの職場の仲間から「仕事中、津波に流されたようだ」と聞かされた。現実として受け止められなかった。
父は長く千葉県へ単身赴任しており、由美さんが1人で仕事と家事を両立させていた。慌ただしい日々の中でも、少年野球の試合には大好物の唐揚げと特大のおにぎりを持たせ、応援に駆けつけては「しんー!」と外野にはっきり届く大きな声援を送った。夏場になると船に乗って離島へ海水浴につれて行ってくれるのも、大きな楽しみだった。
母が見つからない不安と寂しさでいっぱいだったが、避難所では努めて明るく振る舞い、雑務をせっせと手伝った。高齢住民が連れてきた犬の世話も引き受け、一緒に周辺を散歩した。
犬は、垂れた耳と長い眉毛が特徴のミニチュアシュナウザー。人なつっこくまとわりつくのが愛くるしく、気付けば誰にも言えない思いを語りかけていた。
「お母さん、どこに行ったんだろう」「また学校に行けるかな」――。言葉なんて伝わらないはずなのに、犬は沈んだ気持ちを癒やすようにじゃれてくれた。「ほかの避難者もピリピリしていた。あの犬のおかげで気持ちが落ち着いた」
避難生活を終えて犬と別れても、由美さんの行方はわからなかった。2年半後、施設から約10キロ南の海岸で由美さんの遺体が見つかった。母を失ったと、ようやく諦めがついた気がした。
中学3年で父が働く千葉に転居しても、つらい日々を支えてくれたあの犬のことは忘れられなかった。「動物の力になれる仕事がしたい」。いつしか獣医師を志していた。
進学した北里大獣医学部では、がんなどの重病の兆候を早期発見できる放射線学を専攻した。大学病院で診察の補助を経験した時には、命を救えず無力さを味わったこともあるが、手を尽くしたことに飼い主から感謝され、仕事の重みを実感した。
恩師で同大准教授の和田成一さん(55)は、入院中の犬や猫の食事管理や飼い主への説明に丁寧に当たる佐藤さんの姿をよく覚えている。「不安を抱える動物と飼い主の両方に誠実に向き合う獣医師になれると思った」と振り返る。
23年に国家試験に合格し、獣医師としての歩みを始めた。毎日、介護職として高齢者を支えた由美さんを今も誇りに感じる。「自分も誰かの役に立てる存在でありたい」。そんな気持ちで小さな命に向き合い続ける今の姿を、誰よりも由美さんが喜んでくれると思っている。
由美さんは車いすの入所者らを避難させるため、逃げるのが遅れたと同僚から伝えられた。母もまた、命を守ろうと必死だった。
震災でかけがえのない母を失った。それでも、こうも思う。「震災がなければきっと獣医師にならなかった。大きなものも得られたんだな」(柳沼晃太朗)