1カ月前の衆議院選挙での圧勝ぶりはどこへ行ったのか――。3月8日に投開票された石川県知事選では、自民党と日本維新の会が推薦し、23万9564票を獲得した現職の馳浩氏が、24万5674票を獲得した前金沢市長の山野之義氏に6110票差で敗退した。
【写真あり】高市政権に対する“見方”の変化、その一因を象徴する出来事が「2月22日」に起きた
2月8日の衆院選では、自民党は県内3つの小選挙区で29万6574票を獲得した。1区で日本維新の会の小林誠氏が獲得した1万9547票を加えると、与党側の獲得票数は31万6121票に上る。
さらに馳氏には、1995年参院選初当選で同期の林芳正総務相や橋本聖子元東京オリパラ担当相のほか、野田聖子元総務相や稲田朋美元防衛相など自民党の有力政治家が続々と応援に入った。顧問を務める日本維新の会からは、大阪府知事でもある吉村洋文代表が初日に応援に駆けつけ、馳氏のためにマイクを握った。
高市首相も2月28日に金沢市に入ったが、羽田空港を飛び立つ直前にアメリカとイスラエルによるイラン攻撃の一報を知らされた。だが官邸に引き返すことはなく、馳氏の応援へと向かった。
高市首相と馳氏の「浅からぬ関係性」
実は高市首相はその前の週に、金沢入りする予定だった。ところが日程が合わず、翌週に延ばされたという事情がある。
もともと馳氏とは同じ清和会(旧安倍派)のメンバーで、第3次安倍第1次改造内閣では高市氏が総務相、馳氏が文部科学相を務めた関係だ。本多の森 北電ホールで開かれた「未来を拓く石川県民大集会」には、2050人もの馳氏の支持者が集まった。これは、同じ日に金沢歌劇座で山野氏が開いた総決起大会より500人も多かった。
高市首相が「こんな大変なときに、一応内閣総理大臣をしている総裁を呼びつける、こういう知事を失っちゃいかんのです」と力強く訴えると、馳氏は深々と頭を下げるシーンも見られた。しかし馳氏は落選し、高市首相は「勝利の女神」になれなかった。
もっとも、馳氏の苦戦はずいぶん前から伝えられていた。
地元紙の北國新聞が昨年11月1日と2日に行った情勢調査では、馳氏は山野氏に10ポイントほどリードされていた。それが今年1月17日と18日の調査で差が縮まり、2月14日と15日の調査では逆転した。そして2月28日と3月1日に行われた4回目の情勢調査では、石川3区で馳氏がリードするなど、2024年1月に発生した能登半島地震からの復興についての評価が現れ始めた。