※本稿は、大下英治『高市早苗 安倍晋三の後継者となった初の女性首相の戦い』(宝島社文庫)の一部を再編集したものです。
高市と接するようになると、山本は高市の真面目な性格を愛するようになった。
「昔は近寄りがたい印象を持っていましたが、実際に話してみると、警察官のお母さんに厳しく育てられたこともあって、非常に真面目なんです。ルールをきっちり守ったり、礼儀にも厳しかったり、そのギャップに魅かれました」
山本は、(編集部註:平成16年の衆院選で落選し)再起を目指している高市に対して、アドバイスを惜しまなかった。
「彼女は政策通で国家観を訴えるタイプでしたが、わたしは地方議員出身ですから、政策よりも、地元の人たちとどう付き合うか、という方が得意でした。だから、理屈だけでなく有権者との交流も大事だよ、とアドバイスしました」
高市は、山本の助言を「わたしにはそれが足りなかった」と素直に受け止めていたという。
山本は高市と時間を共にするようになり、政治家としても、高市のことを改めて評価するようになっていった。
高市は、向上心を絶やすことなく、常に政策の勉強を怠らなかった。
家でも政策についてよく勉強し、政策集などを盛んに執筆していた。
山本は、政治家ではなく、まるで女流作家と結婚したような気分になったという。
高市と山本の結婚披露宴は、東京と福井、大阪の合計3カ所でおこなわれた。
平成17年2月8日の東京の赤坂プリンスホテルでの結婚披露宴は、1000人規模の華やかさで、現職の総理大臣だった小泉純一郎も参加して、おおいに祝ってくれた。
小泉は、いつもの調子で語った。
「山本さんは良い伴侶を見つけた。結婚は人間を成長させる。円満なら幸せだし、そうでなくても人間、修養になる」
さらに小泉総理は、自身が掲げる郵政民営化について応援団となった山本のことを称賛した。
「山本さんは結婚でおおいに成長し、『郵政民営化を実現する会』の発起人になった。何より先見性が出てきた。時代の流れをよく掴んでいる」
高市は、山本と結婚するにあたって、山本から「姓をどうする?」と聞かれた。
夫婦別姓問題についての高市の主張は、「夫婦親子同姓という戸籍上のファミリーネームは堅持したうえで、『民法および戸籍法の一部改正法案』を提出して、仕事場での通称使用の利便性を高めよう」というものだ。
自民党内にも高市案として「戸籍上は夫婦親子が同姓であるという現行法を堅持。家族のファミリーネームは残すべきである。ただし、職場等での通称として旧姓使用を希望する届出をした場合には、各行政機関は通称使用の利便性に配慮する努力義務を負う」という案を提案していた。
高市は、何も迷わずに言った。
「戸籍は『山本早苗』でいいし、せっかく結婚したんだから、大学や政治活動も『山本早苗』でやりたいな」
すると、山本に叱られた。
「それでは君が主張していた法案の内容を自ら否定することになるんだよ。戸籍名も仕事上の名前も『山本』にするなら、君は楽でいいだろうけど、現行法のままで良いと認めたことになるじゃないか。自ら家の外で通称を使ってみて、免許証や健康保険証以外にも不便な点はないかよく検証して、法案内容をもっと充実させろよ」
「わたしは、通称使用を希望している人が便利になればいいなと思って法案を書いただけで、自分自身は対外的にも『夫婦同姓』を希望しているんだよ。自らを実験台にして法案内容に追加すべき点を探せって言うの?」
喧嘩腰(けんかごし)になる高市に、山本は取り合ってくれない。
「これからも政治家として働くつもりなら、自分を実験台にするくらいの根性を持てよ」
結局、山本の説得ができぬままに結婚の公表となり、「戸籍を入れて、同姓夫婦となったが、通称を使うかどうかは検討中」という現状になった。
その後も、高市は通称として高市早苗を使い、活動していくことになる。
平成29年7月19日、山本拓と高市は、突然離婚する。
この時山本は、安倍総理と距離がある自分の存在が政治家・高市早苗の将来にとって好ましいものではないと思い、自ら離婚を切り出したという。
第二次安倍政権が発足して以来、高市は、自民党の政調会長、そして総務大臣と要職を歴任していた。
一方、山本は、平成23年に清和政策研究会を退会して以来、無派閥の議員として活動していたが、平成26年になり、二階俊博が会長を務める志帥会に入っていた。
高市は、安倍総理のことを「安倍ちゃん」と呼ぶほど、付き合いが深く、政治信条も近かった。一方、山本は、清和政策研究会のなかでは、福田康夫元総理に近かった。平成24年9月の総裁選でも、高市と山本の対応は分かれた。
高市は安倍を支援したが、山本は石破茂を支援していた。
山本が語る。
「安倍さんがわたしに対して良い印象を持っていないという話もありましたから、籍を外した方が高市にとっても良いと思っていたんです」
山本が離婚を提案すると、高市は話の流れのなかで、応じた。
「夫婦じゃなくなったら、あなたは、もっと楽になれるんだよね。あなたがそういうならいいわよ」
高市は、この時、「わたし、ショックなんよ」と漏らして、マスコミに次のように答えている。
「一言で言えば、わたしのせい。わたしが至らなかった。主人は奔放な発言をするタイプなのに、言いたいことが言えない。それはわたしが閣内にいるから。その辛さに気づいたのが、2週間ほど前です」
それまで高市と山本は、赤坂の議員宿舎に2人で住んでいたが、たまたま隣室が空いていたので、山本が隣室に移ることになった。
その時、高市は山本に言った。
「食事は、どうしたらいいの?」
「それは、これまで通り俺が受け持つよ」
離婚したあとも、週に1回は、山本が高市の分まで食事をつくった。
料理が苦手な高市はカップ麺かコンビニ弁当で簡単に夕食を済ませると、深夜まで持ち帰った仕事をしており、明らかに顔色が悪くなっていた。
山本はさすがに高市のことが心配になり、高市の栄養補給に貢献した。
それまでは同僚議員から電話がかかってきた時にお互い気を遣うことも多かったが、部屋が別々になったために、そういう部分での気遣いはなくなったという。
総裁選が終わった直後の令和3年10月31日、衆院選がおこなわれた。
自民党は、岸田総理のもとで勝利を収めた。
一方、山本拓は、比例名簿で下位だったこともあって落選した。
衆院選後、山本と高市は復縁し、再婚する。
今回はどちらの姓を名乗るかについて、じゃんけんで決めることになった。
山本が敗れたために、山本が高市姓になったという。以前、結婚していた時は、高市が山本姓を名乗っていた。
山本が高市について語る。
「性格というか、好みが合うというか。彼女はお酒を飲むけれど、わたしはあんまり飲めませんから一緒に呑んだことはないですが、心遣いが細やかで女性らしいところがあります」
高市は亡くなった山本の母親のことも、大事にしてくれたという。
「うちの母親の写真を部屋に置いてくれて、福井に行くと、必ず墓参りをしてくれて、そういうところは非常に大事にしてくれます」
令和5年、高市の夫の山本拓は、高市は女性初の総理大臣に適していると語った。
「わたし自身も、いろいろなリーダーを見てきましたが、彼女を見ていると今の時期に一番合っていると思います。国際感覚もあり、政治資金も透明性を重んじている。しかも、彼女は普通のサラリーマンの家庭の出身で、多くの女性議員が世襲ですが、珍しく非世襲なんです」
高市は、自民党員もたくさん集めている。
令和5年5月に発表された令和4年の党員獲得数ランキングでは、高市は、青山繁晴参議院議員、堀内のり子衆院議員に次いで、3位となっている。
現在、日本各地で高市の後援会づくりも進みつつある。
第二次安倍政権で二度にわたり総務大臣を務めた高市は、各地の首長や地方議員とも付き合いがある。
山本によると、そのことが今、総裁選を戦ううえで大きな財産になっているという。
「長く総務大臣をやっていましたからすべての自治体と繋がりを持っている。保守系の首長を中心に高市を熱心に支持してくれる人は結構多いんです。それだけでなく、総務省の官僚も、各地の首長になっている場合が多い。日本各地に幅広いネットワークがあるんです」
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(作家 大下 英治)