《“最後のドン”笹川堯氏の告白》「約束を反故にされた私は小泉さんに辞表を送りつけて…」「安倍さんの祖父と私の父は巣鴨プリズンの“同級生”」総理大臣経験者とのエピソード

日本船舶振興会(現・日本財団)会長や右翼団体総裁を務め、”政財界の黒幕”と呼ばれた笹川良一氏を父親に持つ、元自民党衆院議員の笹川堯氏(90)。卒寿を迎えた彼が自叙伝『昭和・平成 怪物秘録』(青志社)を上梓した。父親の影響もあり、若かりし頃から魑魅魍魎を相手にしてきた笹川氏が、戦後政界の光と闇を明かした。(文中一部敬称略)【第3回】
* * * 政治家になってから思い出深いのは、小泉純一郎さんだな。郵政大臣になった小泉さんの下で私は郵政政務次官を務めることになった。当時、小泉さんは郵政省解体を唱えていたけど、私は大臣就任の記者会見では持論を封印するよう具申し、小泉さんも言わないと約束してくれた。初めから解体まで踏み込めば役人が反乱を起こすのは目に見えていたからね。
小泉さんは会見を無難にこなしたけど、その夜に新聞記者から持論を引っ込めたのかと突かれ、「郵政省は解体する」と言っちゃったんだ。約束を反故にされた私は小泉さんに辞表を送りつけて、政務次官を辞任した。小泉さんが総理になったとき、”俺は干される”と思ったけど、そうはならなかったね。
他にも総理大臣経験者とのエピソードはいくつもあって、たとえば安倍晋三さん。平成18年(2006年)に総裁選に出た時に私は推薦人になった。あれは安倍さんの祖父の岸信介さんと親父の笹川良一が東京裁判の戦犯容疑者が入れられる巣鴨プリズンの”同級生”で、親しかったからなんだ。前から私は安倍さんに「将来総裁選に出るときは応援する」と言ってた。その約束を果たしたんです。
次の総理が福田康夫さん。安倍さんが総裁になるときも有力候補だった福田さんは「死んでもやらない」と言ってたけど、安倍さんが退陣するときは「死んでも」とまでは言わなかった。これは脈があると思って、当時自民党群馬県連会長だった私は県議を集めて、「福田さんのところに行って総裁選に出ると言うまで帰ってくるな」ってけしかけたんだ。
それで総裁選への出馬を決意し、総理となった福田さんから通産大臣を打診された。だけど、私は自民党3役の一つである総務会長以外はやらないと言ったんだ。当時、総務会長は「閣僚2つ分」って言われていたからね。大臣なんて屁みたいなもんですよ。
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※週刊ポスト2026年4月3日号