「電話に出ない」それだけの理由で集団リンチ受け亡くなった息子(18)「次男は二度と自分の口で語ることができません」【少年集団暴行事件/2025年度アーカイブス】

大人たちの目を盗み行われる「子どもたちの暴力」
1999年3月、岡山県備前市で、同級生ら3人に集団暴行を受けて亡くなった市原圭司さん(18)。
夜9時半ごろに、当時18歳の同級生・19歳と20歳の先輩という「3人の幼馴染」たちから殴る、蹴る、川に蹴り込まれるなどの暴行を受け、亡くなりました。
2025年11月19日、母親の千代子さんは「なぜ、息子がこのような事件に巻き込まれたのか」、そして「二度とこのようなことが繰り返されない」ために、岡山県赤磐市の赤坂中学校【画像①】で、生徒たちに思いを語りました。
市原千代子さんが掲げるのは、Vサインをする若い男性の写真。25年前、18歳で亡くなった次男・圭司さんの写真です。
18歳で亡くなった次男「圭司は、二度と自分の口で語れません」
市原さんは、生徒たちに静かに語り始めます【画像②】。
(市原 千代子さん)

「私がお話をさせていただく時に、必ず持ってきているものがあるので、それをまず見ていただこうと思います」
「これがもう25年前になりますけれども、平成11年に18歳で亡くなりました、次男・圭司の写真 です」
千代子さんは、「圭司さんが集団暴行という暴力に遭って亡くなるまでは、皆さんのお母さんと同じ生活をしていただけだ」と語りかけます。
(市原 千代子さん)

「私は『犯罪被害者』と言われます。でも本当の犯罪被害にあったのは、(写真を見て)この次男の圭司だけだと思います」
「犯罪被害にあった辛さ、悲しさ、悔しさ、怒り、そのほかいろいろなものは、この圭司しか語れないと思います。でも圭司は二度と自分の口で語ることができません」
次男が生まれた日のことを鮮明に覚えている その息子が…
市原さんが暮らすのは、岡山県備前市三石地区。市原さんは、「コンビニもスーパーもない小さな町」だと言います。
地区の子供は1学年で50人ほど。子供たちは、保育園に入ると中学校を卒業するまでほとんどが顔見知りの関係。それだけ繋がりの強い地域でした。
事件に遭うまでの市原さんは、夫婦と男の子2人・女の子1人という、3人の子どもがいる家庭で生活を送っていました。
圭司さんは次男として1980年11月2日に生まれました。市原さんは、その日のことを鮮明に覚えています。
(市原千代子さん)

「生まれてきてくれたのが夜9時少し前でしたから、私は深夜に産科病室に移されましたけど、2階の分娩室の隣の新生児室に寝かされていた圭司の泣き声が、一晩中その病院の中に響き渡っていました」
圭司さん【画像③】は幼い頃から「じっとしていることが嫌いな子で、いつも動き回ってるような子」でした。
目の下を真っ黒にして帰宅「楽しい高校生活を送っていた」と思っていたが…
圭司さんは、小学3年生からソフトテニスを始め、中学・高校でもテニス部に所属。友達が多く、人との関わりを大切にする子どもだったといいます。
ところが、高校に入ると、圭司さんの生活は変わっていきました。1年生の秋、目の下を真っ黒にして、友だちに連れられて帰宅したことがありました。
圭司さんは「学校の体育館で友だちとふざけてバスケットボールをしていて、ぶつかってこうなった」と母親の千代子さんに話しました。
しかしその後市原さんは、圭司さんの同級生から「あれは、学校の中で殴られていた」と教えられました。
(市原千代子さん)

「実は当時、圭司が通っていた高校には、複数のそういった問題があり、それは他のお母さんからも聞いていました」
「でも、私は圭司の身の上に、そういうことが起こってると思っていませんでした。私の目から見て、それなりに楽しい高校生活を送ってるように思いました」
しかし、事態はもっと深刻化していきます。
エスカレートしていく「暴力」
高校2年生に進級して間も無く、圭司さん【画像⑤】は同級生の男子から暴力を受け、左目の上側の骨を折る「眼底骨折」の怪我を負い、救急車で病院に搬送される出来事がありました。
(市原千代子さん)

「殴られた直後は、目の周りは真っ黒でしたし、痛みもありました。また鼻血が出たり、戻したりすることもありました」
「腫れや痛みや、戻したりする症状が落ち着いた1週間から10日ほどして、圭司は退院を許され、ちょうどゴールデンウィーク明けに病院から退院をしてきました。でも、圭司は病院を退院してきてから後、高校に行こうとしなくなりました」
いったい圭司さんに何があったのか、、、市原さんは語り続けます。
【第2話】「先輩が川へ放り込んだ 目を開けんのじゃ」集団リンチ受け息子(18)は亡くなった「わずか30分で動かなくなった」

に続く