立春を迎えた直後の大阪はまだ肌寒く、空は雲に覆われていた。午前8時20分ごろ、男性(84)は、寝室のベッドに眠る72歳の妻に近づいた。 10分後、「妻の首を絞めた」。110番に、切羽詰まった声で通報が入った。警察からの連絡を受けた息子が急ぎ向かうと、男性は数人の警察官に囲まれ、放心したように寝室のベッドに腰かけていた。
男性は約40年間、途中からは寝たきりになった妻の介護を続けていた。70代半ばには認知症を発症。警察の聴取に「疲れた」と話した。 書き残した27冊の介護日誌には、深い苦悩や、体力への不安、ささいな体調の変化に一喜一憂する様子が克明に刻まれていた。なぜ、悲劇は起きたのか。(共同通信=富田真子、工藤優人)
取材に応じる男性=3月、大阪府内
取材に応じる男性=3月3日、大阪府
▽結婚から15年後
男性が8歳年下の妻に出会ったのは、20代の頃。妻は水産関係の会社の同僚で、笑顔がすてきだった。 1970年に結婚。夫婦仲も良く、男性は、性格も申し分なく「大好きだった」と振り返る。約4年後、息子が生まれた。 生活が一変したのは、1984年。30代の妻が脳出血で倒れ、右半身が不随になった。
入院先に簡易ベッドを置いて寝泊まりする日々。退院後のリハビリの付き添いも欠かさず、言語障害が残った妻に「あいうえお」と繰り返し発音させたり、体操させたりもした。 周囲から「離婚して縁を切れ」と迫られたことがあったが、男性は意に介さなかった。男性の献身的な介護は約35年間続き、簡単な会話や料理ができるまでに回復した。
だが2017年夏、妻は再び倒れた。脳梗塞を発症し、手術をしたが、意思疎通が難しくなり、寝たきりになった。
男性が記してきた介護日誌には、介護に対する決意や不安が書かれていた
▽自分が介護することが妻にとっての幸せ
男性の27冊の介護日誌はこの時期から始まる。
「ここから家での看護をして終いのスミカとして頑張っていくぞ。過去34年の実績で根性で何年できるか恐ろしい」(2017年9月20日)
1冊目に赤文字で書かれた決意と不安。 男性は「助けてやらんとあかんと思った」と当時を振り返った。しかし、寝たきりとなった妻の介護は想像を絶するものだった。
男性が寝たきりの妻の介護に使っていた、胃ろうや排せつ介助の道具など=3月3日、大阪府
栄養を管で送り込む「胃ろう」は1日3回。床ずれしないように日に何度も体位を変えた。口腔ケア、おむつの交換、時にかん腸を要する排せつ介助。 男性の息子(52)はこの頃を振り返り、こう語った。「父はこだわりが強くて、誰も手伝わせなかった。させるもんじゃないという感覚だった」
自分が介護することが妻にとっての幸せ―。 男性はそう思い続けていた。
取材に応じる男性。奥の部屋で、妻を殺害した=3月、大阪府内
▽「今夜は涙が出てくる」
拭い切れない不安を日誌に吐露することもあった。
「(妻が)このまま死んでいく感じがする。2人共一緒に死ねば幸せなのだ」(2017年9月29日) 「永く長生きしてほしい。1人ほど悲しいものはない」(10月24日)
妻が一時入院すると「別れがつらい」(2017年10月7日)と悲嘆に暮れた。 「早く妻の体を家に戻したい」(8日) 「今日は笑顔を見せてくれる。一瞬であるがなによりの幸せ」(28日) 「今夜は涙が出てくる。頑張っていく決意を持つ」(2018年9月9日)。
千々に乱れる感情を日誌にこめていた。
男性が妻を殺害した部屋。現在は自身の寝室となっている=3月、大阪府内
▽「今日妻が目で笑う」
自宅で世話することにこだわった男性だが、過酷な介護は日に日に体力を奪っていった。
料理が得意だった。小麦粉から作ったパスタ、自分でさばいた魚…。しかし、その料理もほとんどしなくなった。
「自分も看病しているが、お互い死に向かっているような気がする。35年の看病で頑張っているが、社会として尊厳死を認めてほしい」(2019年3月3日) 「看護で私の体がガタガタになっている」(8月27日) 「今日は疲れた。少しボケている」(2020年7月27日) 「3時起床で辛んどい」(10月4日)。
それでも元気な妻が戻って来ることを信じ、ささいな変化に喜びを見いだす記述もあった。
「奇蹟 今日妻が目で笑う」(2021年2月13日)
男性が約5年間、ほぼ毎日書き続けてきた妻の介護日誌
▽空白
約5年間、ほぼ毎日書き続けてきたが、最後となった27冊目は空白が目立っていた。 寝たきりの妻を手にかけたのは2022年2月13日。その1週間前、男性は糖尿病の影響で転倒し、救急搬送された。 点滴後、すぐに自宅に戻ったが、そこから妻の薬を間違えて飲むなど男性に異変が相次いだ。事件直前はいずれも息子の字で、2022年2月9~11日「?」、12日は「夕食遅れて入れる。多分夕方に薬は飲ましている」と記されていた。
事件の前日の12日、男性は日に3度の胃ろうを初めて忘れた。翌13日未明に、仕事帰りの息子が気づき代わりに施したが、認知症が進み自身が失念したことも忘れるほどだった。 息子は当時の状況を振り返り、「とんでもないことをしたと思ったのだろう。介護の限界を感じた」と話した。 まもなく、妻は入院する予定だったが、その前に事件は起きてしまった。
取材に応じる男性(左)。奥の部屋で、約40年介護した妻を殺害した。右は男性の息子=3月、大阪府内
▽再び始めたノート
「今でも、妻を、愛しています」
2022年11月、男性のすすり泣く声が、大阪地裁の法廷に響いた。大阪府警に逮捕された男性は、殺人罪で起訴され、約10カ月を大阪拘置所などで過ごした。 再びペンを取り、春以降胸に去来する思いやその日の天気を、B5判のノート1冊に刻んだ。きちょうめんだが、ところどころ乱れた文字で、判決までの約8カ月間、欠かさずにずっと。
男性がノートに記した「お母さん好きだよ」の文字
2022年5月4日(晴)祝日(3連休の2日目)「胸がいたい。天国に行って妻と一緒にすごしたい。大好きなお母さんと再会したい。今でもお母さん好きだよ」 「35年の介護もだいなし。最愛の妻を殺した罪をかんじながら苦しみを感じる。本当にむなしい」(2022年5月5日) 「おれの人生はなんだったんだ」(5月6日) 「許して下さい。バカな父を許して下さい」(7日) 「自分のオカシタ罪の深さに残念なり」(9日)
妻と一緒に写った写真を手に取る男性=3月、大阪府内
▽「半生をささげた。強く非難するのはやや酷だ」
2022年12月2日に懲役3年、執行猶予5年の有罪判決が下った。判決文では、「介護に自らの半生をささげた。強く非難するのはやや酷だ」と、結論付けた。その日のノートには、「第4回目公判の判決宣告される」とだけ、書かれていた。
取材に対し、男性の息子は「おやじは精いっぱいやっていた。回復すると奇跡を信じていた。責める気持ちは一切ない」と話した。 男性は「命がけだった」「助けてくれとは言えなかった」とつぶやく。反応がなくても、ベッド脇につきっきりで、妻に声をかけ続けた。
妻の写真が飾られた仏壇に手を合わせる男性=3月3日、大阪府
男性は判決後、再び自宅に戻り1人、暮らす。現在は認知症もあり、事件前後のことをあまり覚えていない。ただ、妻への思いや、過酷だった介護は思い出すことができる。 毎朝毎晩、部屋の片隅に置かれた仏壇に手を合わせる男性。「おはよう」と声をかけたり、水を替えたり。「俺も早ういかなあかん」。ぽつりとつぶやいた。 あの日から4年。夫婦で長い年月を過ごした寝室の本棚に飾られた写真には、寄り添い、笑顔を浮かべる2人がいた。
妻と一緒に写った写真が飾られた本棚を開ける男性=3月、大阪府内
▽19年で486人
共同通信が厚生労働省の調査を分析したところ、介護をしていた家族、親族らによる殺人や虐待で死亡した65歳以上が、2006~24年度に少なくとも486人確認されたことが、分かった。 調査は、今年4月で施行20年となる高齢者虐待防止法に基づき06年度から毎年実施されたもので、各年度中に全国の市区町村と47都道府県に寄せられた相談などを集計、公表している。 厚労省によると、亡くなった486人は男性142人、女性344人。死亡原因は、親族らによる殺人や心中・心中未遂(世話されていた高齢者のみ死亡)が220人、ネグレクト(放棄・放置)132人、虐待死69人。「その他(不明も含む)」(65人)もあった。 「加害者」となったのは483人で内訳は男性343人、女性140人だった。世話をされていた被害者との関係性は、最多が息子の219人で、夫の98人が続く。 殺人などの原因については、経済的困窮や、介護疲れが背景にあったとする回答が寄せられた。