琉球政府から沖縄県への移行の中で持ち主の権利が消された「ゼロ番地」問題 解決を阻んでいるのは“土地の所有者である国”と“管理を委ねられている県”の対立

辺野古転覆事故を起こした抗議団体が自身の支持基盤・オール沖縄の構成団体であることからその対応が問われている玉城デニー沖縄県知事。「誰一人取り残さない沖縄の実現」を掲げ、9月の知事選での3選を目指す出馬表明をしたが、その陰では1972年の沖縄返還の喧噪と混乱に取り残されたままの人物がいた。
7600坪、東京ドームの半分に及ぶ、沖縄県北谷町にある更地は、番地がつかないことから「ゼロ番地」とも呼ばれる。ここを自力で埋め立てたのが、10年前に世を去った奥間盛行氏だ。ただこのゼロ番地は、手続きを欠いた「無願埋立」として取り上げられ、現在の登記上の所有者は、国だ。法定受託事務として県に管理権限が委ねられている。
盛行氏の息子で現在65歳の奥間浩氏は、「デニーさんには、聞く耳を持ってくれと言いたいです」と語る。沖縄県政と玉城知事が目を背け続ける半世紀を超える悲劇について、ノンフィクション作家・広野真嗣氏がレポートする。【全3回の第2回】
副知事は「これは県のミスだと思う」と発言
「先を読む、読みすぎて失敗する人だった」と奥間盛行氏の息子である浩氏は言う。船長に船員の給料を持ち逃げされる。金に困った人に気前よく配るうちに家が傾く。
そんな弱点も持つ愛郷の士が、過去の過ちに目をつぶる役人の事なかれ主義に虐げられる。そんな構図が浮かんでくる。
「決着済み」のスタンスを崩さない県に対し、盛行氏側が再び動き出したのは2015年。全盛期のオール沖縄に支えられた翁長県政のころだ。
盛行氏の支援者が情報公開請求を通じ、前述の「実施設計認可」などの新証拠を掘り当てたのだ。
裁判当時には明らかでなかった「琉球政府の指導」が裏付けられた上に、国交省など国の審議会などで委員や座長を務める公認会計士の樫谷隆夫氏が代理人に就いた。樫谷氏が続ける。
「資料を揃えて面会すると那覇市議出身の浦崎唯昭副知事(当時)は、すぐに『これは県のミスだと思う。気の毒なことをした。可能ならば奥間さんのものにしてあげたい』と言ってくれた」
このあたりから、問題解決を妨げる「2つの壁」が浮かび上がってくる。
1つは、土地の所有者である国と管理を委ねられている県の対立だ。
「浦崎氏からは、国の意向を聞いてきてもらいたい、と言われました。というのも、この問題を扱うのが、辺野古で紛争中の担当部署同士、意思疎通が難しいというのがその理由でした」(樫谷氏)