「ホンマに生えてきて驚いた」23歳女が交際相手の指や乳首を切断し、記念撮影…法廷で暴かれた「実母からの虐待」と「歪んだ愛」とは

〈 「指が冷蔵庫に瓶詰めされている」乳首を切断、斧で指を落とした23歳女が法廷で放った、“180度異なる主張”と被害者を支配した「恐怖の洗脳」 〉から続く
交際相手のAさんに凄惨な虐待を加え、乳首の切断、さらには斧を使って左手薬指の切断にまで及んだ佐藤紗希被告(当時23)。
「すべて同意の上だった」「喜んでいると思っていた」――。法廷で一転して罪を認めたものの、あまりに身勝手な“弁明”をくり返す凶行の背景にある佐藤被告の壮絶な生い立ちと、裁判のゆくえに迫る。
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親に受け入れてもらえず行き場を失って
2023年8月、Aさんが大学を辞めて佐藤被告の実家近くのマンションに引っ越してきた。「他の男性と付き合ってしまうかも」「取られてしまうかも」という心配が理由だ。Aさんの両親は激怒したが、最後は反対を押し切った。
ところが新生活を始めてから1週間ほどで、Aさんは親元に帰りたいと連絡を入れたが、「勝手に出て行ったんだから帰ってくるな!」と拒絶された。さらに1カ月後にはAさんが近くの交番に駆け込む騒ぎを起こした。
「実家に帰りたいために警察沙汰を起こした。結局、親に受け入れてもらえなかった。こんなことをするならもう2度と殴らないと言うと、『こんなことになるなんて思わなかった。僕を殴ってください』と言うので、殴り合いをした。そのときのことは記念撮影して保存した。私はそれを見ると、こんなに愛情表現してくれる人がいると嬉しくなり、愛されているんだな、生きてていいんだな、自分も存在価値があるんだなという気になった」(佐藤被告、以下同)
取るに足らない理由で暴力を振るうことを繰り返し、警察沙汰に
それから2カ月後の同年10月、佐藤被告がAさんに刃物を突きつけて脅したとして、警察に逮捕される騒ぎがあった。これも佐藤被告によると、取るに足らない些細な理由だ。
「Aさんが2人の約束を破った。どちらかが寝るときは両方が寝るという約束をしていたのに、それをAさんが破ってゲームをしてたから怒った」
反省の態度が見えないことから、佐藤被告は実家へ帰った。そこへAさんが押しかけてきて、「仲直りしてくれるまで帰らない」と言って居座るので、キッチンから包丁を取り出し、「帰ってくれなかったら刺すよ」と言ったというのが真相だと、佐藤被告は言うのだ。
「結局、被害届を取り下げて、その件は不起訴になりました。父親や友達には『もうあいつとは関わるな』と言われていましたが、交際は続いていました。しかし、その年の年末に別れることになり、Aさんはインターネットで知り合った千葉県の友達のところへ行きました」(同)
ところが、その友達ともケンカして、2024年1月にはまた大阪に戻ってきて、大阪市北区西天満のマンションを借り、そこで正式に同棲することになった。それから同年5月半ば頃までは同棲が続いたが、佐藤被告がまた性的行為の末の暴力行為に及ぶようになり、同棲解消の話が持ち上がった。
「私は荷物を運ぶときにかつて同棲していた元カレに手伝ってもらった。その途中でAさんが帰ってきて、元カレを見るなり、つかみ合いの大喧嘩になった。『どちらかが死ぬまで殴り合う』と言っていたので、警察に通報した。2人には謝って、被害届は出さないようにお願いしました。それで同棲は完全に終わりました」(同)
このときに別れていたら、Aさんも凄惨な被害に遭わずに済んだかもしれない。
すべてはAさんが望んだことかのように語る佐藤被告
同棲を解消したAさんはインターネットを通じて知り合った北海道の友達を頼って転居した。それが同年7月末、また佐藤被告との同棲話が持ち上がるのだ。
「Aさんがまた会いたい、大阪に行きたいと言うので、1日だけ遊ぶという約束をした。ところがAさんは自分の荷物を全部持ってきた。『話が違うやん、何その荷物』と言うと、『やっぱり一緒に住みたい。一緒におりたい』と言われた。それで一緒に住むことになったのが事件現場となったマンションです」(同)
佐藤被告とAさんは再び暴力的なセックスにふけるようになった。佐藤被告が「顔に傷がある人が好き」と言うと、Aさんは受け入れてくれた。佐藤被告の誕生日のローマ数字を胸に彫ったのもAさんの意思だった。生活保護もAさんが勝手に始めたことであり、通帳やパスポートやスマホの管理もAさんに頼まれたことである。ペットカメラは犬の様子を見るために取り付けていたものであって、Aさんを監視するために取り付けていたものではない。その末にAさんの乳首を切断する事件が起きたと言うのだ。
「左手薬指を切断した事件もAさんが自ら志願した」と発言
「友達が『乳首を触っていたら、ポロッと取れたけど、放置していたら元に戻った』と知らせてきて、メッチャおもろいと思った。Aさんに実験させてと言ったら、『いいよ』と言われた。嫌がっている様子はなかった。ネイル用のハサミで切ったが、抵抗されることもなかった。血もあまり出なくて、絆創膏を貼ろうかと聞いたら、『いいわ』と言われた。それから10日ぐらい経ったら、ホンマに生えてきて驚いた」(同)
続いてAさんの左手薬指を切断した事件についても、Aさんが自ら志願したと言うのだ。Aさんが「別れたくない。何をしたら許してくれる?」と言うので、「元カレができなかった指の切断をしてくれたら許してあげる。最大の愛情表現になるから、結婚してあげる」と提案したところ、Aさんが「分かった」と承諾したという。
「だけどAさんは自分で指が切れず、私がやってあげようかと言うと、『うん』と了承した。包丁では切れないので、2人でAmazonを見て斧を買った。Aさんは『やり遂げたい』と言ってて、指の切断方法を検索し、『指の血を止めた方がいい』と言って、私の髪のゴムを準備した。その写真を撮ったのは、私がしんどくなったとき、私のためにこんなことをしてくれたんだと感謝するため。『指を食べて』と言っていたのはAさんの方。私は食べるんじゃなく、飾りたいと言ったが、Aさんが『どうしても食べてほしい』と言うので、その折衷案として、Aさんが食べるだけの肉を切り取って、あとは瓶に入れて飾るために冷凍庫に入れました」(同)
「私と同じぐらい鼻が痛くなって」と…
逮捕されるきっかけとなる暴力事件は、Aさんと佐藤被告が韓国旅行に出かけ、佐藤被告は現地で鼻の整形手術をした。帰国後、鼻が痛くてイライラし、理由もないのに「別れたい」と切り出し、「どうしたら別れずに済むの?」と尋ねるAさんに対し、「私と同じぐらい鼻が痛くなって」と持ちかけた。
「鼻も殴ったし、耳も殴った。耳の軟骨を切り取って移植する手術をしたので、耳も痛かった。それでも私の方が痛いと思い、出て行けと叫んでいる間にもみくちゃになった。Aさんも私の鼻を叩き、ギプスが折れてしまって、どうしてくれるのと怒った。それで110番通報した」(同)
まさに墓穴を掘ってしまったのだ。Aさんは警察に連れて行かれ、翌日に警察がやって来た。金庫を開けるように言われたが、「金庫が壊れている」と言って拒否した。その後、マンションから逃げ出し、LINEでつながっている友人に〈法律って本当に嫌になる。こんなことでヒヤヒヤするぐらいなら、指なんて切らなければ良かった〉とメッセージを送り、その返信として〈佐藤ちゃん、無理やりやったわけじゃないのに逮捕なんておかしいよね〉などと励まされていた。
「お互い好きでやっていたことを深刻に捉えられたらどうしようと思いました。Aさんがいいって言ったからやったことなのに、事件になって納得いきませんでした。でも、今は行き過ぎたことをしてしまったと思っています。私もAさんも他の人と付き合っていたら、こんなことにはならなかった。歪んだ者同士がくっついていたから、こんなことになってしまった。私たちは一緒にいない方がいいと思います」(同)
佐藤被告は裁判長から「3件ともあなたがやったということで間違いないんですね。当時、どういうふうに感じていた?」と問われ、「これだけ愛しているって証明してもらって、嬉しく思っていました。写真や動画は形にしたくて残しました。それを見て感動していました」と述べた。
佐藤被告の凄惨な生い立ちと家庭環境
いったいこの歪んだ感覚はどこからきているのか。
2026年3月19日、佐藤被告の養父が情状証人として出廷し、佐藤被告の生い立ちや家庭環境などについて話した。
「紗希の母親とは紗希が1歳半のときに知り合い、2歳半から一緒に暮らし始めた。紗希も高校で寮生活していたし、私も紗希が小2のときから高1まで名古屋へ単身赴任していたので、離れていた時期もあったが、22歳までは同居していた」(佐藤被告の養父、以下同)
問題は母親の暴力癖だったという。
「機嫌がいいと仲が良いが、悪いと暴力を振るうことがあった。紗希はグーパンチで顔を殴られ、ゴミ箱を投げられて頭から出血したこともあった。ソロバンを使って指を骨折させたこともあった。『死ねー!』と言って包丁を持ち出してきたりするので、私が何をするんだと言って止めた。情緒不安定なところは今の紗希にそっくりで、紗希が高校に入った頃から3年ぐらい心療内科に通っていた。紗希が一方的にやられている状況で、児相に保護されたこともあった。紗希も精神的におかしくなり、リストカットしたり、オーバードーズをしたり、家や学校のものを壊すという問題行動もあった」(同)
佐藤被告も心療内科で何度もカウンセリングを受け、20歳までにAさんとは別の男性との間で刃傷沙汰を起こし、少年審判で保護観察処分を受けたこともあった。
離婚後も佐藤被告を引き取った義父
結局、佐藤被告の母親とは佐藤被告が19歳のときに離婚したと言うが、佐藤被告のことは引き続き引き取って暮らすことにしたという。
Aさんとのトラブルは把握していて、「早く別れなさい」と言っていたというが、佐藤被告が家を出てからのことはほとんど何も知らず、養父は別の女性と再婚。佐藤被告の国選弁護人から電話があるまで、事件のことも知らなかったという。
「紗希は10代の頃から境界性パーソナリティ障害に悩まされていた。見捨てられ不安があり、紗希が求めていることを彼氏が受け止めてくれるとホッとする。出所後は自宅に住まわせて病院で治療させたい。妻は承諾している。妻との関係は難しいんですけど、一緒に食事したことはあります」(同)
佐藤被告は養父の言葉を「情けないです……」と言いながら涙ながらに聞き、事件を総括して次のように述べた。
「事件を起こした原因の一つは、私が風俗で働いていて、暴力が喜ばれることがたくさんあって、感覚が麻痺していたのではないかと思います。もう一つは幼少期から母に虐待を受けていて、暴力が日常的なものだったから、あんまりおかしなことをしているという抵抗感がなかったです。境界性パーソナリティ障害の影響から、感情の起伏が激しく、人間関係の依存と拒絶を繰り返してしまい、それはAさんとの関係の中にもありました」
Aさんはすでに弁護士を立てて300万円の損害賠償を求めていたが、佐藤被告が250万円を用意し、養父が50万円を立て替えたことから示談が成立し、「執行猶予付きの有罪判決にしてもらっても構わない」という文言を取ることができた。ただし、今後はAさんやAさんの家族に2度と接触しないという条件を付けられた。
検察官に「ずっとウソをついていたのか?」と問いただされた佐藤被告
最後に検察官が取り調べの段階から一貫して否認していたことについて、厳しく問いただした。
検察官「あなた、初公判のときは被害者の自傷行為だと言っていませんでしたか?」
佐藤被告「ハイ……」
検察官「ずっとウソをついていたということなんですか?」
佐藤被告「ハイ……」
検察「本来ならもっと早く自分がやったんだと話すべきだったんじゃないですか?」
佐藤被告「そうです」
検察官「被害者はどんな気持ちだったと思いますか?」
佐藤被告「腹が立ったと思います」
検察官「乳首を切られて、指1本欠損、顔面を殴られ、300万円。本当にそれで許していると思いますか?」
佐藤被告「私は思いません」
検察官「どれほどの痛みと恐怖だったか考えていますか?」
佐藤被告「ハイ……」
検察官「逮捕されるまで3週間逃亡していましたよね?」
佐藤被告「ハイ……」
検察官「そのときにAさんの母親に『今回のはAさんの自傷行為です』という手紙を書いていませんか?」
佐藤被告「お母さんとは仲が良かったので、誤解されたくなかった……」
検察官「いや、詳細に書いていますよ。ウソの内容を書いていますよ。今後、AさんやAさんの家族とは一切接触しないということでいいですね?」
佐藤被告「ハイ、分かりました……」
同年6月19日、大阪地裁の藤永祐介裁判長は佐藤被告に懲役3年、保護観察付きの執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。その瞬間、佐藤被告は驚いたような表情で知人たちが座る傍聴席の方角を振り返り、それから嗚咽を上げて泣き始めた。
同裁判長は3件の傷害事件についていずれも佐藤被告が主張していたような「被害者の同意があると誤信していた」という主張は認めなかったが、「刑事責任は相当高いものの、被害者の宥恕を得られたことは、刑罰を下げる事情になる。遅まきながら犯行を認め、治療に取り組み、反省の態度を見せ、養父の監督も期待できることから、それでもなお実刑相当とも考えられるが、今回に限って社会内での更生の機会を与えるものとする」と述べた。佐藤被告は判決文を読み上げられる間中、泣きづめだった。
最後に同裁判長は次のように説諭した。
「裁判所としてはあなたの主張は認められないということになります。自らの問題と向き合った上で更生してもらいたいと思います。実刑相当ではありますが、被害者に300万円を支払い、更生に向けて努力し、ギリギリの判断をしたということです。あなたのやったことは到底許されない。被害者に一生残るケガを負わせた。そのことを忘れないようにしてください」
判決言い渡しが終わると、佐藤被告は満面の笑みを浮かべて立ち上がり、スキップしながら両手でVサインを見せた。
(諸岡 宏樹)