倒壊した自宅から聞こえた祖母の声、やがて途絶える…夜通し救助待った家族「助けられなくて悔しい」

最大震度7の揺れが襲った熊本地震の被災地では1日時点で、家屋が倒壊するなどして36人の命が失われた。突然、大切な家族を失った遺族は、やり場のない思いを抱えている。(柏木万里)
「あと少しだったんです。声が聞こえていたから……」
7月28日午後4時27分に発生した地震で、震度7を観測した氷川町。2階建て木造住宅の1階の寝室などがある部分が押しつぶされた自宅の前で、祖母の齊藤絹子さん(91)を亡くした修治さん(43)がつぶやいた。
絹子さんは、修治さん夫妻とその2人の子、修治さんの母の京子さん(67)との6人暮らし。地震が起きた時は絹子さんだけが在宅しており、1階の寝室で休んでいたところ、倒壊に巻き込まれたとみられる。
買い物から急いで戻った京子さんは、倒壊した家屋を目の当たりにし、「お母さん!」と叫んだ。すると、「助けて」と絹子さんの声が、がれきの中から聞こえた。「まだ、生きている」。発生時に勤務先の宇城市にいた修治さんや家族、近くの住民も駆けつけ、絹子さんの救助を試みた。
がれきの下の隙間を必死にこじ開けると、ベッドの上に横たわる絹子さんの顔が見えた。修治さんが声をかけると、「大丈夫だよ」と答えたという。だが、大きな家屋の重みは人力ではどうにもならなかった。そばに近寄ることはできず、ストローをさし入れたペットボトルを物干しざおにくくりつけ、口元に持っていこうとしたが、難しかったという。
午後8時前、何度呼びかけても絹子さんの返答がなくなった。他にも被災している人がおり、家族は倒壊した家屋の前で夜通し救助を待ったが、絹子さんが助け出されたのは翌日の正午前だった。すでに息を引き取っており、京子さんは、「助けられなくて悔しい」と声を絞り出す。
花卉 ( かき ) 農家だった絹子さんは、花をとても愛していた。現役時代はいつも畑作業に真剣に向き合い、押し花も楽しんでいた。引退してからも、自宅の前にはたくさんのプランターを置き、多種多様な花を育てていた。修治さんは、「大切に水やりをして植物を育てていたばあちゃんの姿を、いつも見ていた」と振り返る。
話し好きの明るい人柄で、演歌を歌うことや、ダンスが大好きだった。自宅ではいつも、ちょっかいを出しに来た幼いひ孫を、手押し車を押しながら追いかけて笑っていたという。
絹子さんが大切に保管していた押し花や着物は、がれきの下に埋まってしまった。プランターはいくつも割れて、断水が続く中で水やりができないままだ。
それでも、猛暑の中で、家族は絹子さんとの思い出の品を探していた。修治さんは、汗をぬぐいながら思いをはせた。「たくさん遊んでくれたこと、面倒をみてくれたこと、ずっと忘れない」