「堤防が修復されないと戻れない」「洪水が再び起きても、もう流されるものはない」――。台風19号による河川の氾濫などで洪水や土砂災害に見舞われた東日本各地では、17日夕から断続的に雨が降り続いている。各地の避難所では18日朝、厳しくなる寒さの中で、失意に暮れる住民たちの深いため息が漏れた。【百武信幸、井川諒太郎、中川友希】
住民7人死亡、5人の捜索が続く宮城県丸森町。26世帯58人が避難している丸森小体育館は18日午前、ぽつぽつと雨が降り始めていた。段ボールで仕切られた狭いスペースで寝起きする被災者の表情に疲労の色がにじむ。
同町飯泉の自宅が被災した遠藤きよ子さん(73)は、同居の長男(51)と体育館で3度目の朝を迎えた。17日夜、避難所に段ボールベッドが設置され、毛布と膝掛けの6枚重ねで底冷えの夜から少しだけ解放された。ただ、家に残している飼い猫6匹のことや、これからの生活のことを考えると、朝食のパンものどを通らなかった。
足の悪い遠藤さんは、いつも1階で寝ていたが、台風が上陸した12日は2階で眠った。13日朝、茶色い水で階段が途中まで水没していた。「1階にいたら死んでいた」
冠水で2晩避難できず、避難できた時には食料も水も切れ、寒さにこごえていた。たどり着いた避難所で「まずお茶をいただいて『ああ、生きてる』って感じがした」という。
避難所では、弁当や温かい豚汁などが3食出た。ともに身を寄せる被災者とはトイレなどで顔を合わせると「ご飯食べた」「足元気をつけて」と声を掛け合い、派遣された医療スタッフにかかりつけの病院まで同行してもらい薬も手に入った。「ここまでよくしてもらって感謝しきれない」。それでも、将来を思うと心が押しつぶされそうになる。
丸森町の小斎まちづくりセンターでは、天野百合子さん(75)が13日から避難している。「雨が降れば、川がまた増水するのでは」と不安が尽きない。
天野さんの平屋の自宅は12日深夜、浸水した。隣家に避難し、一命を取り留めた。翌日から自宅から離れた舘矢間小に避難していたが、15日に自宅近くのセンターに移った。天野さんは「最初は知らない人が多く、食事も非常食だけで不安が多かった。避難所が変わってから知り合いが増え、ボランティアの人たちのおかげで食事もおいしくなり、ほっとしている」と話した。
自宅にはがれきの山が残る。「泥で荷物を運び出せない。雨が降れば作業が遅れる」
「流されるものもない」 ため息の住民
埼玉県東松山市下野本の野本コミュニティセンターには、堤防が決壊した都幾(とき)川と越辺(おっぺ)川に挟まれた早俣地区の11世帯34人が避難していた。
水が引いた後、住民たちは自宅の後片付けに追われている。17日夕、清掃作業を終えた住民がぽつぽつと避難所に戻ってきた。
男性(50)の自宅は、2階建ての2階床上まで浸水した。1階は家具が泥だらけで物や畳が散乱し、ボランティアの手を借りて、ようやく1階の荷物を運び出したばかりだという。悪天候の予報に「片付けの作業ができない。決壊した堤防が直っていないので、また水浸しになってしまうかも」と話した。
別の70代男性の平屋の自宅は水没した。屋根瓦が半分無くなり、「天井からは空が見える」状態。庭には近くの店舗のものと思われる商品タグがついた靴などが流れ着き、屋外の物置も水に流され玄関を塞いだ。17日は着られなくなった衣類などを運ぶため、災害ごみ収集所と自宅を10回ほども往復した。
「また雨が降っても、もう家の中のものは全部ぬれてしまっているし、流されるものもない」。男性が避難所でため息をついた。