記録的な大雨となった台風19号では、東京電力福島第1原発事故で一時全域が避難指示区域になった福島県南相馬市小高(おだか)区の復興拠点施設で勤務していた市職員、大内涼平さん(25)も命を落とした。台風襲来に備え、避難所の開設などを終えて帰宅する途中だった。同僚らは「復興を目指す高い志があった」とその死を悼んでいる。
市などによると、大内さんは13日午前0時半ごろ「これから帰る。玄関の鍵を開けておいて」と家族に電話し、区役所から車で同市原町区の自宅に向かった。約10分後「小高川を渡ったところで水没し、車内に水が入り脱出した」と職場に電話したのを最後に連絡が途絶えた。
同僚たちが捜したが見つからず、午前1時40分ごろ、家族から区役所に「まだ帰宅していない」と電話があり警察や消防、家族も加わって捜索。同2時50分ごろ、区役所から西に約1キロ離れた県道交差点付近で車が発見された。遺体は同5時半ごろ、近くの農地で見つかった。一帯は大雨の影響で一時冠水し、車内には約50センチの高さまで水没した跡があった。大内さんは車外に出た後、濁流に流されたとみられる。
小高区は2016年7月、一部を除いて原発事故による避難指示が解除されたものの、居住者は事故前の3割にとどまる。大内さんが働いていた復興拠点施設は今年1月にオープンし、住民の交流や健康増進の場となっている。親しい同僚は「誰にでも丁寧に対応し、子どもにまで敬語で話していた。『復興のために頑張りたい』と先週も聞いたばかりだった」としのんだ。
大内さんは原発事故当時、小高区の商業高校1年生で、避難所生活も経験した。仙台市の専門学校を卒業後の15年に地元へ戻り、南相馬市役所に入庁した。会社員の父、敏正さん(56)は「古里思い、家族思いの息子だった。市内は若い人が少なくなったので、役立ちたいという気持ちがあったのだろう」と振り返り「市はなぜ、深夜に帰宅させたのか。なぜ、少しでも早く家族に連絡してくれなかったのか」と悔しさをにじませた。
門馬和夫市長は「一生懸命に市民の生命と財産を守る活動に従事していた職員を失い、痛恨の極み。命を守れなかったことは誠に申し訳なく、おわびの言葉もありません」とコメントを発表している。【高橋秀郎】