「ひどいことが起きていることを知らせてほしい」。入管被収容者から届いた血染めのTシャツ

◆入管に収容されたクルド人難民申請者から、血染めのTシャツが送られてきた

10月7日、筆者の自宅に血染めのTシャツが届いた。

送り主は、法務省の出入国在留管理庁の収容施設「東日本入国管理センター」(茨城県牛久市。以下、牛久入管)に収容されているトルコ国籍のクルド人のデニズさん(40歳)だ。

なぜ、そんなものが届いたのか。話は5月にさかのぼる。

牛久入管は、在留資格のない外国人を「いずれは母国に送還する」ことを前提に収容している施設だ。その収容人数、今年6月末時点で316人。その3分の2ほどが、本国での迫害を逃れて来日し、難民認定申請をした人たちだ。

ここで5月から、仮放免(一時的に収容を解く措置)を求めてのハンガーストライキを始めたのがイラン人のシャーラムさんだ。彼はここにもう2年以上も収容されている。いつ出られるのかの説明がまったくない生活に「ある日突然頭にきて」ハンストを始めた。

◆仮放免申請「不許可」の決定通知書に書かれた「理由なし」

刑務所ならば、罪に応じていつ出所できるかわかる。だが入管の収容所では、難民認定申請をした人たちが「在留資格がない」との理由だけで外出も許されず、6畳に5人が押し込まれている。

家族との面会ですらアクリル板越しに30分だけという劣悪な生活を2年も3年も強いられているのだ。もちろん、被収容者は仮放免を求めて申請書を書くが、その返事が来るのはだいたい3か月後。ほとんどの人が不許可となる。

その決定通知書にはこう書かれているだけだ。

「理由なし」

被収容者は、なぜ自分の仮放免申請が不許可なのかを一切知ることができない。さらにここ2~3年の間、仮放免を許可される被収容者が激減し、長期収容が常態化している。

2019年6月末で、牛久入管の被収容者316人のうち、1年以上の長期被収容者が約9割の279人。長い人で5年以上も収容されている。この数字は、2013年2月時点の97人から3倍弱も増えている。

なぜこんなに激増したかというと、2018年2月28日に、入国管理局長が全国の収用所長に「収容に耐え難い傷病者でない限り、収容を継続しろ」との指示を出しているからだ。

◆「いつ出られるかわからない」絶望から自殺を図ったデニズさん

以前なら数か月待てば実現していた仮放免が、もしかしたら生涯ないかもしれないということに不安を抱いたシャーラムさんは、「仮放免を得るためには自分の命を懸けるしかない」とハンストを始めた。

そして徐々に同調者が現れ、デニズさんも6月からハンストを開始。デニズさんにいたっては、ハンスト開始時点で3年も収容されていた。

デニズさんには愛する日本人の妻がいる。筆者は昨年秋から何度かデニズさんをアクリル板越しに取材していたが、そのたびに「奥さんに会いたい」と訴えていた。だが「会えない」現実に絶望感が心を覆ったとき、デニズさんは咄嗟に自殺を図った。公になっただけで、これまで5回の自殺未遂が記録されている。

2017年2月には施設の天井を破壊し、むき出しになった鉄骨にシーツをかけて首を吊った。だが幸いにも、シーツが伸びてつま先が床についたために事なきを得た。デニズさんにとっても、収容所から出る手段はもうハンストしかなかったのだ。

◆仮放免を認めるも、わずか2週間で最収容

7月9日。1か月以上もハンストを続けていたシャーラムさんが仮放免された。だが、その日の朝、仮放免の決定通知書を見たシャーラムさんは驚いた。仮放免期間がわずかに13日間だったからだ。

そして見送る側のデニズさんたちも驚いたのが、入管職員が「彼は2週間で戻ってくるから」と言ったことだ。果たして7月22日、仮放免の更新手続きのためにシャーラムさんは東京出入国在留管理局(東京都港区。以下、東京入管)を訪れたが、そこで更新「不許可」を告げられ、その日のうちに牛久入管に再収容されてしまった。

デニズさんは「入管は、私たちハンスト者に『ハンストしたって無駄だぞ』と思わせようとしたけど、私たちは逆に怒った」と語った。それを機にハンスト者は増えて、一時期には100人にまで膨れ上がった。

そして、ハンストを続けていたデニズさんにも、ついに仮放免の許可が出た。だが8月2日、仮放免の朝にデニズさんが知ったのはやはり「仮放免の期間は2週間」というものだった。この時点でデニズさんは、自身も再収容されることを怖れた。

3年2か月ぶりに会える妻と、たった2週間だけの再会をしてまた収容される。そして2週間後の8月16日、その通りになった。デニズさんの仮放免も更新されることはなく、即日で再収容されたのだ。

◆再収容された後、ハンストを再開

このように再収容されたハンスト者は、筆者の知る限りでも十数人いる。シャーラムさんもデニズさんも、再収容されたその日のうちにハンストを再開した。

「収容に耐え難い傷病者でない限り、収容を継続しろ」との指示があるならば、その傷病者になるには、ハンストをして自分を痛めつけるしかなかったのだ。

筆者は5日後の8月21日にデニズさんの面会に行ったが、そこにはすでに体力をなくして車椅子に乗ったデニズさんがいた。目にも精気がない。それでも「また仮放免されるまでは絶対にハンストを続ける」と言葉に力を入れた。

◆こんなひどいことが起こっていると、マスコミに写真を配信して伝えてほしい

9月24日、デニズさんから電話が入った。

「一昨日、自殺するため両方の手首を切りました。外の病院で治療を受け、今、センターの懲罰房にいます。また自殺すると思います。私の血使ってサインした遺書をあなたに送る。それをいろいろなマスコミに広めてくれますか」

「え! とにかく私が行くまで待ってくれ」と、27日に筆者は面会に訪れた。話を聞くと、こういうことだった。

「9月20日、入管は私にまた仮放免を約束してくれました。でも、ここの偉い人がそのあとに私に言ったんです。『また2週間で戻すよ』って」

デニズさんはその絶望感から9月22日、コカ・コーラのアルミ缶を無理やりに二つに引き裂いて、手首を切ったのだ。首も切ろうとした。だが幸いにも近くにいたイラン人が「ダメ!」と体を抑えてことなきを得た。その後、外部の病院に搬送されて治療も受けた。

筆者との面会でちょっと落ち着いたデニズさんは、そのときに、「手首を切ったときのTシャツが血で汚れている。それを私の弁護士を仲介してあなたに送る」と言った。その目的は、とにかく「こんなひどいことが入管の施設で起こっていることを、マスコミに写真を配信して伝えてほしい」ということだ。

◆入管の「無期」収容の方針が変わらない限り、ハンストは続く

被収容者の弁護士や支援者の話を総合すれば、以下のようになる。

入管としては施設内で死者を出されては責任問題に発展するので、ハンスト者の体重が十数kg減った時点で仮放免を出すのだが、そのときには「食事再開」を条件にする。そしてある程度体重が戻ったところで仮放免するが、結局は2週間で再収容することで「収容を継続する」との方針だという。

デニズさんに面会した3日後の9月30日にはシャーラムさんから留守番電話が入った。

「私のブロック(居住区)では今日から15人がハンストを開始しました。他のブロックと合わせると30人以上はいる。また面会に来てください」

10月21日現在、再入所したハンスト者で、再び仮放免が許可された人は16日に1人、そして17日に2人(シャーラムさんを含む)だ。だが驚くことに、またしても入管は「仮放免期間は2週間」と通知した。入管は本当に再び、わずか2週間での再収容を同じ人たちに対してするのだろうか。

おそらく、入管の「無期」収容の姿勢が変わらない限り、ハンストは今後も断続的に続く。デニズさんについては、10月25日に仮放免されることが決まった。今度はその期間が2週間であれ1か月であれ、更新されることを祈るばかりだ。

<文・写真/樫田秀樹>