昨年10月28日未明、ハロウィンでにぎわう東京・渋谷のセンター街で軽トラックが横転させられ4名の逮捕者が出たことは記憶に新しい。前年の反省を受けて、渋谷区は今月18日にハロウィンにおける公共の場での飲酒の禁止への協力を発表。すでにドン・キホーテは期間中の酒類全品の販売自粛を決定したほか、コンビニ各社も販売自粛の動きを見せている。なぜ日本のハロウィンは、酔っぱらいの喧騒や路上のごみ問題など、負のイメージで取り沙汰されるまでに変容を遂げたのか。マーケティング、消費者行動論を専門分野とし、『ジャパニーズハロウィンの謎:若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎするのか?』(星海社新書)を学生と共に執筆した一橋大学の松井剛教授が解説する。
ちょうど1年ほど前の10月28日未明に、東京の渋谷で、軽トラを横転したかどで逮捕者が出た事件を覚えていますか? 「クレージーハロウィン事件」です。
ハロウィンといえば、カボチャをくり抜いたランタンを飾ったり、子どもたちが「トリック・オア・トリート」と言いながら近所を練り歩いてお菓子をもらう、心温まるイベントのはずですよね。それがなんで「クレージー」になってしまったのでしょうか?
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ぼくは東京の郊外にある一橋大学で、マーケティングとか消費者行動論といった科目を学部生に教えています。そういった勉強をしているぼくのゼミの学生たちと、日本のハロウィンについて調査、分析をした『ジャパニーズハロウィンの謎:若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎするのか?』という本を、最近、出版しました。
サブタイトルを「渋谷『だけ』で」としたのは、理由があります。去年のハロウィンを巡る報道の多くは、渋谷での狼藉者についてのものでした。多くの人が、「怖い」とか「近づきたくない」と思ったことでしょう。しかし、この本が示したように、日本のハロウィンには、様々な景色があり、渋谷の騒乱は、そのひとつに過ぎないのです。
同書では渋谷に加えて、川崎と池袋のハロウィン・イベント、そしてデイリーポータルZの林雄司さんが主宰している「地味ハロウィン」というイベントの現地レポートをまとめています。
例えば、池袋では、ドワンゴが豊島区や民間企業とコラボをして、コスプレーヤーのためのハロウィンイベントを、街をあげて盛り上げています。このイベントの会場は、屋内ではなく、池袋の街中です。ですので、イベントの当日には、セーラームーンがタピオカミルクティーを飲んでいる光景が、街中に自然に溶け込んでいるそうです。
そういうのって学生たちに言わせると「エモい」らしく、「えっ、その『エモい』ってどういう意味?」とぼくも教えてもらいながら、若者の観点から、ジャパニーズハロウィンの不思議に足を使って迫っています。
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学生たちは「足」だけでなく、「頭」も使ってこの謎現象を分析しています。例えば、渋谷では、仮装をする人だけが集まっているわけではありません。仮装した人とか暴れている人を、わざわざ見に来る人たちいるのです。この野次馬はなぜ集まるのでしょうか?
この数年、10月最後の週末、例えば去年だと27日(土)と28日(日)に、まず仮装した人と野次馬が渋谷に集まります。その様子が毎年、メディアで多数、報道されます。そうするとハロウィン当日、つまり10月31日には、仮装だけでなく、軽トラ横転のような「事件」を見たい人たちが、全国からわざわざ渋谷に集まるのです。ポイントは、メディアの報道が結果的に渋谷のハロウィンの「動員」をかけている、ということです。
この現象を学生たちは「観光のまなざし」という概念で分析しました。「観光のまなざし」とは、イギリスの社会学者ジョン・アーリによるものです。
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私たちは観光を未知なるものを「発見」する経験だと考えますが、実はガイドブックとかテレビ番組などが事前に教えてくれた訪問先の情報を「確認」する経験だと、アーリは考えたのです。ほら、ぼくらって観光地で写真を撮る時に、絵葉書の構図と同じようなものを取ることがあるでしょう。札幌の時計台しかり、パリのエッフェル塔しかりです。
学生たちは、観光での経験と同じことが、渋谷の野次馬にも起こっていると考えました。つまり野次馬は、未知なるものを「発見」するために渋谷に来るのではなく、メディアで見たことを「確認」するために来ているのです。観光のまなざしがゆえに、渋谷がますます混乱するのです。
現地レポートに加えて、この本の第二部ではハロウィンの歴史も調べています。詳しい内容は本書に譲りますが、ぼくも思わず「へえー」と頷いたのは、ケルト発祥のこの宗教的行事は、もともとカボチャではなく、カブが使われていた、ということです。
カボチャが使われるようになったのは、この行事がアメリカに広まってからのことだそうです。考えてみたら不思議じゃないですか? 地球を西の方向に移動しながら、ハロウィンは、カブからカボチャになり、そしてカボチャがオリエントに来ると軽トラになったのです。
このようにハロウィンという宗教的行事が商業化し、もともとの意味を失い変質するプロセスを、学生たちは「脱神聖化」という概念で捉えました。
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脱神聖化の典型例はクリスマスですね。クリスマスには、多くの人がクリスマスケーキやケンタッキーフライドチキンを買います。こうして日本ではクリスマスは、宗教的な意味は剥ぎ取られ、儲けるチャンスを生み出す商業的なイベントとなったのです。こういった神聖性の消滅を「脱神聖化」と言います。
いま街中では、どんなお店でもハロウィンの飾り付けで溢れています。恵方巻やバレンタインデー、ホワイトデー、クリスマスなど、こうしたイベントは、商売をする人からすると、儲ける貴重なチャンスです。そのチャンスが10月にもできたのですから、そのチャンスを活かさないわけにはいきません。こうして脱神聖化が進むのです。
「脱神聖化」や「観光のまなざし」といった概念は、マーケティングや消費者行動論を学ぶと身につくものです。概念はサーチライトであると昔の学者が言っています。つまり概念(や理論)を知ると、見えなかった本質があぶり出されることがあるのです。単に調べるだけでなく、サーチライトを駆使することで、学生たちは、この現象の謎を解き明かそうとしました。
第3部では、これまでの調査の内容を振り返り、ハロウィンがどんな進化を遂げるのか、ということを議論しています。そこで、学生たちが強く感じたと言っていたのは、メディアでの報道がいかに物事の限られた側面しか映し出していないか、ということです。
実際に現地に足を運び、歴史を調べると、渋谷の怖いイメージを超えたジャパニーズハロウィンの多様な「かたち」が見えてきたのです。
カワサキ・ハロウィンのほのぼのとした親子パレードやガチのコスプレ、池袋のコスプレーヤーたちの親密な雰囲気、実際に自分も参加してその面白さに気づく「地味ハロウィン」の大喜利勝負、各企業がハロウィンを商機として取り込んでいった経緯。こういった多様な景色は、家でテレビやネットを見ているだけでは、決して見えなかったはずです。
私たちは、多くの情報をメディアから仕入れており、自分の肌感覚に基づく一次情報はごくごく限られています。メディアを通じて形成されたステレオタイプに囚われると、物事の本質を見失います。ステレオタイプを克服するチャンスはなかなかありません。この貴重な経験が、学生の今後において、何らかの形で活きると嬉しいな、と思ってます。
『ジャパニーズハロウィンの謎 若者はなぜ渋谷だけで馬鹿騒ぎするのか?』(星海社新書)