― 連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―
◆ダンスで「ヘソ出し」を俗情的に訴えた大週刊誌のこと
11月2日から始まる『地球防衛軍 苦情処理係』の稽古場に向かう電車の中で、『週刊文春』の中吊り広告に目が釘付けになりました。
「佳子さま 孤独の食卓と『ヘソ出し』『女豹』セクシーダンス」
一瞬、脳がポカーンとなりました。
どんなダンスを踊っているかとか、どんな構成かなんてことじゃなくて、とにかく「ヘソを出したかどうか」が問題なんだ、ということですね。
この見出しを見ながら「ああ、日本で、ミュージカルとかダンスがアートとか文化として定着するのに、あと何十年かかるんだろう」と暗澹たる気持ちになりました。
このことをツイートしたら、「皇族だから問題なんだ」なんていうリプが来ました。
でもね、例えば、絵画で考えて欲しいのですよ。
佳子さまが絵画展に絵を出品して、それがヌードだとしても、『週刊文春』は「佳子さま ヌード画出品!ヘソから乳首まで!」と書くかということです。
断言しますが、書きませんよ。だって15世紀のヨーロッパじゃないんだから。西洋の裸婦画に腰を抜かした明治の日本人じゃないんだから。
皇族が裸婦像を描いても、問題にするのはおかしいと思われるはずです。ヌード画は文化だと受け止められるでしょう。
佳子さまが小説を発表して、それにベッドシーンがあったとしても、『週刊文春』は「佳子さま 小説執筆、ベッドシーン!挿入乱発!」なんて書かないと思います。性愛の描写もまた、小説という文化・アートにとって珍しくないと思われているからです。
でも、ダンスは「ヘソ出し」を問題にするんです。そして、「女豹」のセクシーな動きが見出しなんです。
それはまるで、映画を見て、どんなドラマかとか、どんなテーマとか、どんな演技かなんて一切問題にしないで「おお!乳首が見えた!パンツが見えた!」と騒ぐ人と同じです。
通常、そういうのは、「俗情に訴える」という表現になります。
『週刊文春』は、呆れるぐらい俗情に訴えた見出しを選んだのです。
◆一番売れている週刊誌が俗情週刊誌の国?
もちろん、これが完全にエロ雑誌なら分かるのですよ。女に人格はない、あるのは肉体と穴だけである、という哲学(?)に基づいた編集方針なら、電車の中吊りは拒否されるでしょうが、ありうることです。
でも、あなた、『週刊文春』ですよ。『週刊SPA!』じゃないんですから。わはははは。
男性週刊誌はグラビアで「乳首が出ているかどうか」で分かれるでしょう?
ヌードグラビアがあって、ちゃんと乳首が写されている雑誌と、何があっても乳首は見せない雑誌には、きっちりとした世界観断絶があると、僕は思っていたのですよ。
イスラム圏などの税関で問題になる雑誌と持ちこめる雑誌の違いと言ってもいいし、子供の手の届く所に置いていい雑誌と気をつけなきゃいけない雑誌の違いと言ってもいいし、電車で何の抵抗もなく読める雑誌とちょっと気をつけないといけない雑誌の違いと言ってもいいでしょう。
いや、お前、それは『週刊文春』を買いかぶりすぎだよ、『週刊文春』は大衆の俗情に訴える雑誌なんだよ、と言わたらそれまでなんだけど、そうすると、今現在、国内最高部数を誇る、一番売れている週刊誌が俗情週刊誌の国ってのは、その国の民度がそういうレベルだという証明になるわけで、なんだか、とほほな気持ちになりませんか。
同じ号の『週刊文春』は、経済産業大臣の告発だの、同僚教師をいじめた教師に関する記事だの、一応、「公序良俗」や「正義と文化」を標榜するような姿勢を見せています。
なのに「ヘソ出し」なのですよ。それは、まるで「ヘソ出し」が「公序良俗」に反するような、「正義と文化」に対する挑戦のような誤解を与えるじゃないですか。だったら、エロをエロとして謳いあげる『週刊SPA!』の方がどれだけ正直ですがすがしいか!わははははは。
どんな名作の映画を見ても、女優のおっぱいの大きさしか問題にしない男はいます。
そういう人間だと開き直ることなく、政治や経済を語りながら「ヘソ出し」を問題にすることは、ものすごく、いやらしいと思うのです。