首里城火災で正殿などほぼ全焼 住民に避難呼びかけ

31日午前2時40分ごろ、那覇市の首里城で火災が発生した。沖縄県警那覇署などによると消防車十数台が消火に当たったが「正殿」と「北殿」「南殿」など主要部分がほぼ全焼した。「奉神門」や「書院・鎖之間」にも延焼して消火活動が続いている。けが人は確認されていない。
那覇市によると周辺は住宅地。延焼の恐れがあるとして市は防災無線で首里城近くの住民に避難を呼び掛け、小学校や公民館に避難所3カ所を設置した。
那覇署によると、正殿と北殿、南殿はいずれも木造。今月27日から琉球王国時代の儀式などを再現したイベント「首里城祭」が開かれていた。
首里城で最古の遺構は14世紀のものとされ、1879年に最後の琉球国王・尚泰(しょうたい)が明治政府に明け渡すまで琉球王国の政治や外交、文化の中心だった。1945年の沖縄戦で焼失したが、その後復元された。首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は2000年に世界遺産登録された。独特の建築様式や石組み技術は高い価値があるとされ、北殿は同年7月の九州・沖縄サミットの夕食会場として利用された。
首里城から西に約1キロ離れたコンビニエンスストアの男性店員(26)は「付近で消防車のサイレンが鳴り響いた。付近の住民からも心配する声が上がっている」と話した。【遠藤孝康、生野貴紀、柿崎誠】
首里城
那覇市・首里の標高120~130メートルの丘にあり、面積約5万平方メートル。琉球王国の居城や祭礼の拠点として築城され、1879年までの約450年間、琉球王朝の中心だった。国王らの儀式の場となった正殿や王府の行政施設だった北殿などから成る。中国と日本の文化を融合した独特の建築様式や石組み技術に高い価値があるとされる。首里城公園ホームページによると、内郭(内側城郭)は15世紀初期、外郭(外側城郭)は16世紀中期に完成したが、1945年の沖縄戦を含め過去にも4度全焼した。順次復元が進められ、92年に本土復帰20周年を記念して国営公園となった。2000年に首里城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録。同年の「九州・沖縄サミット」では社交夕食会も開かれた。