那覇市の首里城の正殿などが全焼した火災で、約1500点の収蔵品や展示物のうち琉球王国の資料など約400点が焼失したことが判明した。首里城を管理する「沖縄美(ちゅ)ら島財団」が1日記者会見し、明らかにした。沖縄県指定の文化財3点を含む残る約1100点についても無事が確認できていないという。花城良広理事長は「初期消火ができなかった。防火体制を検証したい」と述べた。
会見の冒頭、花城理事長は「近隣の方々、県民、国民、関係各位、観光客の皆様へご心配と、ご迷惑をかけていることに深くおわび申し上げます」と謝罪した。
財団によると、首里城で収蔵していた絵画や漆器、書跡、染織などのうち、琉球王国を支配した尚家に伝わる資料など約400点が焼け落ちた正殿などにあった。残りは耐火性のある二つの収蔵庫に保管されているが、収蔵庫は熱が残り、火災でゆがんだ防火戸を開けられていない。
首里城は1945年の沖縄戦でも焼け落ち、琉球王国時代の文化財や資料が失われた。今回焼失した可能性がある約1500点の中には国宝や重要文化財などはないものの、沖縄戦での散逸を免れ、戦後集められたものが含まれる。花城理事長は「200~300年前の貴重なものがあるので何とか残っていてほしい」と語った。
会見では出火前後の状況も明らかになった。財団によると、10月31日午前1時すぎに、イベント業者が設営を終えて首里城を出た後、警備員が正殿内などを巡回し、異常がないことを確認していた。火元とみられる正殿のセンサーが火災を感知したのは約50分後の午前2時34分で、その間、人の出入りはなかったとみられる。
出火直後には警備員が正殿そばに設置されている3基の放水銃を使おうとしたが、火災の熱で近づくことができなかった。正殿の軒下から水が出る「ドレンチャー」も作動したが、ドレンチャーは建物の外側に水をかけるための設備で、火が出た建物内部を消火できなかった。焼失した7棟はいずれも復元建物で、文化財保護法や消防法の規制から外れ、スプリンクラーも設置されていなかった。
一方、焼け跡では1日、警察と消防による実況見分が始まった。正殿を中心に出火原因や延焼状況を調べる。【平川昌範、佐野格、浅野孝仁】