26年ぶり箱根駅伝 “主力10人離脱”の筑波大を変えた「週5のミーティング」

「全国制覇を成し遂げたいのなら、もはや何が起きようと揺らぐことのない――断固たる決意が必要なんだ」
日本が誇るスポーツ漫画のバイブルの中で、某バスケ部の監督はこんな言葉を伝えていた。良い言葉だと思う一方で、若かりし頃感じたのは「結局、それって精神論じゃん」という一抹の思いだ。
決意を新たにするだけで勝てるなら、誰だってそうする。でも、現実は漫画ほど単純にはできていないのだ。
近年、各競技で練習方法の合理化が進み、理不尽なトレーニングがなりを潜めるなかで、そういった精神論を排除する空気はますます大きくなっているように感じる。
ただ、時にそれ以外に理由を見つけられない出来事がおきるのがスポーツだ。
10月26日に行われた箱根駅伝予選会で、26年ぶりの本戦出場を決めた筑波大学の躍進は、まさにその「決意と覚悟」が生んだものだった。昨年の17位から6位へのジャンプアップは、多くのファンやメディアを驚かせた。
予選会通過を決めると、弘山勉監督は顔をほころばせた。
「練習もできて、調整もほぼ完ぺきにできたので、たぶん通るなとは思っていたんですよね。でも、目標としていたのはとにかく力を出し切ること。力を出し切って、その結果通用するのか、しないのかということです。全部が上手く行ったら6位くらいになるんじゃないかなというのは思っていたんですけど。マスコミには全然注目されていなかったので、絶対に通ってやろうと思っていました(笑)」

そんな冗談が口をついたように、予選会前の筑波大の下馬評は決して高くなかった。
それにはもちろん理由がある。
今季は春先からチーム全体の調子が上がらず、6月には3年ぶりに全日本大学駅伝の関東地区予選会への出場も逃した。この予選会への参加条件は、部員の10000mの上位8名の記録平均で上位20チーム(シード校を除く)に入ることであり、そこにすら入れないということは、箱根駅伝を目指す上でかなり厳しい状況にあった。
前回大会で関東学生連合チームとして5区を走った経験のあるエース格の相馬崇史(3年)は、当時をこう振り返る。
「自分も箱根駅伝を走ったあとから疲労もあってなかなか調子が上がらなくて。練習ができなくて、モチベーションも下がって……という感じでした。なんとなく自分の中での感覚と実際の走りがかみ合わなくて、それに伴って気持ちも沈んでいく状況で。そんな中で、全日本の予選会にも出られないということになって、これはちょっとまずいなと」
予選会への出場すらできないという危機的状況に追い込まれた中で、チームが立ち返ったのは「本気で箱根駅伝を目指す覚悟があるのか」という根本的な要素だった。
相馬は言う。
「春から夏にかけて、それぞれの選手が本音をぶつけあって、その上で『じゃあ、どれだけ箱根に対して犠牲を払えるのか』という部分を考えたんですよね。もちろんみんな、練習を頑張ってはいるんです。でも、例えば普段の生活だったり、摂る食事だったり、睡眠時間だったり。『夜更かししていないの?』とか、そういう基本的な部分から、『本当にすべてを懸けて、箱根駅伝を目指せるの?』と。そういうところを話し合いました」

ミーティングは選手だけで行い、多い時には週に5回、各4時間にも及んだという。
「もう練習は二の次で、まずは集団としてまとまった意識を持てるかをずっと話し合っていました」
話し合いを重ねる中で、駅伝よりもトラック種目に専念したいと考えた当時の駅伝主将をはじめ、4年生を中心に10人ほどの選手がチームから離脱。長距離部門の主力選手が文字通り二分されることになり、戦力的には大きな低下を余儀なくされた。
ただ一方で、それだけの犠牲を払ってなお、箱根駅伝を目指すという“覚悟”をもった選手たちの行動は、チームに好影響をもたらした。
例えば、他大学で取り入れているチームもあるが、目標管理シートの導入も行った。
「最初に年間の大きな目標を立てて、その後、その月々の目標を立てるんです。自分たちには大きく『箱根駅伝予選会』という目標があって、そこに対してどれぐらいの目標タイムが必要かということを明確にする。それに対して、いまどのくらいの実力なのかというのを考える。明確な目標があって、いまの自分の実力が分かれば、どれだけその目標に対して差があるかが分るじゃないですか。じゃあそれを具体的に、その差を埋めるためにどういう取り組みをしようというのを、ひとりひとり書き出して、紙にまとめるようにしました」(相馬)
まとめたものはミーティングの時にもちより互いに意見交換をするようにし、食堂の目につくところに張り出すようにしたという。

「そうすると普段の会話で『お前はいまこういう風に練習できているから良いんじゃない?』とか、書いたことができてなければ『こういう取り組みをプラスしたらどう?』という形で、自然と会話が出てくる。高め合いというか、普段から陸上に対してストイックな会話ができるようになりました。意識が本当にガラッと変わりました」
弘山監督もこう振り返る。
「今までは『箱根駅伝を目指す』と言っても、やっぱりゆるいところがあったんです。『まだまだ箱根を目指すチームじゃないんじゃないか』という自問自答を繰り返して、その結果、『本気でやるんだ』というメンバーが残って、活動を始めた。再スタートを切った感じですね。9月の中旬くらいには、『これはいったかな』という手応えがありました」
筑波大の前身である東京高等師範学校は第1回目の箱根駅伝の優勝校だ。そんな背景もあり、長年箱根駅伝からは遠ざかっていた同大が「箱根駅伝復活プロジェクト」をはじめたのは2011年のことだ。2015年にはOBの弘山監督を呼び、本格的な強化をスタートした。しかし、ここまでの予選会では最高順位が17位となかなか結果が出せなかった。
筑波大は国立大学ではあるものの、体育専門学群もあり、数は少ないがスポーツ推薦で入ってくる選手もいる。数多く選手を獲れる私立大学と比べた時のリクルーティングの厳しさはもちろんあるが、それでも高校時代などに実績のある選手が全くいないわけではない。

難しかったのは、選手間の意識の統一だった。
前述の相馬のように、駅伝強豪校から高い意識を持って一般入試で体育専門学群に入学する選手もいるが、予選会で好走した猿橋拓己(3年)は理工学群、川瀬宙夢(5年)は医学群と、体育専門学群以外の選手も多い。特に初期はどうしても実力や意識にバラつきが出るため、実力の有無にかかわらずひとつの目標をめざしにくい状況に陥りやすい。箱根駅伝という、ある意味で「高すぎる」目標を、それぞれの選手がどれだけ現実的に受け止めることができるのかが大きな問題だった。
「正直、最初は意識の差があったと思います。国立大学ということもあって、もともとスポーツ推薦という形で入っている人はあまりいない。いろんな背景というか、いろんな形で来ている人が集まっている集団なので。そういうところでひとつになるというのは時間がかかったのかなと思います」(相馬)
弘山監督もこう振り返る。
「過去のチームでも力はまぁまぁあったんですよ。でも、10人の足並みがそろわないとか、養った力を発揮する能力が足りないとか、そういう部分で結果につながらなかったんですよね。やっぱり筑波大は授業も忙しくて、どうしても『自分が頑張れば良い』というところへいってしまうんです。それを『チームのために』というか、みんなで切磋琢磨して、自分だけじゃなくチームを引き上げるんだというマインドになかなかなれなくて。頭でわかっていても、ちゃんとした行動ができないというのが、今までだったような気がします」

それが今年、全日本の予選会に出られなかったことや、チームメイトの離脱を経て、一気にチームの「覚悟」が決まった。
「今年は夏の全日本の予選会に出られなくて『お前たちが変わらないんだったら、誰が指導しても同じだから』ということを言っていたんですけど、その気持ちに応えて、選手たちが本気で何回もミーティングで話し合ってくれた。それでいまのチームができあがったんです。『僕たちは本気で変わってやっていくので、引き続き指導をお願いします』と言われた。私も、もちろん本気ではやってきたんですけど『変わらず本気でやっていくから』と伝えて。そこからはもう非常に順調にきましたね」(弘山監督)
学生スポーツにおいて、多くの4年生が抜けるというのは非常に大きな痛手だ。それでも、それを上回って余りある各選手の“覚悟”こそが、筑波大の躍進の理由だったように感じた。
本大会へ向けては、弘山監督は冷静な見方を語っていた。
「もちろん出る以上はシード権というのを考えながらですね。ただ、それが本当に現実的に到達できるのかどうか。そこを見極めながらやっていきたいと思います」
一方で、箱根路最大の課題である山には自信も覗かせる。
「(前回5区を走った)相馬は下りも得意なんですよ。上りは今日トップだった金丸(逸樹、4年)が相当強いし、他にも上りなら強いという子も結構いるので、そういう子も視野に入れながらですね。3年生が充実していますし、1年生もいまは面白い子がたくさんいるので、来年以降も活躍を続けられる手応えはありますね」
「断固たる決意」とともに飛躍した筑波大。新年の本大会ではチームとしてどんな走りを見せてくれるだろうか。
(山崎 ダイ)