昨年6月、大麻取締法違反で逮捕されたラッパーのD.O。同年7月には勾留中にも関わらずミックスCDをリリースし、初の自伝『悪党の詩』は発売1か月で4刷と、ここにきて人気の高さを見せつけている。収監直前のD.Oに、SPA!はロングインタビューを敢行。ギャングスタ・ラッパーとして人生を賭けてヒップホップを体現する姿勢について、改めて思うことを聞いた。
◆「留置所の中で誕生日を迎え、30代が終わった」
――『悪党の詩』でも今回の逮捕劇について書かれていますが、最終的な罪状はなんだったのですか?
D.O:麻薬取締法違反と大麻取締法違反ですね。
――テレビなどでは、密輸疑惑も大きく報じられていましたが?
D.O: それについては誤解が解けた……というか、当初は2件の密輸疑惑で逮捕されたんです。でも本当に関わっていない事件だったので、密輸の件はさっぱり疑惑が晴れました。ただ、家宅捜索されたときに大麻がでてきちゃったんですね。
自伝にも書きましたし、これはハッキリしておきたいんですが、僕が持っていたのはがんで闘病中だった母親と、シェーグレン症候群という難病を患っている父親に使ってもらおうと思っていたモノ。結果、それが今の日本では裁かれるべきモノだったってだけ。逮捕によって人に迷惑をかけたことについては素直に申し訳ないと思っているけど、自分としては腹をくくってやったことだから後悔は特にないです。30代最後の誕生日を留置所の中で迎えたのも、僕らしいといえば僕らしい。
――闘病中「だった」ということは……。
D.O:母は亡くなりました。勾留中やお勤め中じゃなかったのは不幸中の幸いかもしれませんが、日本でも購入できる医療大麻(CBDオイル)に効果を感じて、それならば、と色々試そうとしていた矢先の逮捕で何もできなくなってしまった。思うことは色々あります。
――『SPA!』でも過去に語って頂いたことがありますが、その後にもスカパー!の 『BAZOOKA!!!』の医療大麻特集への出演も話題になりました。
D.O:あの収録当日に母親が大腸がんだと告知を受けたんですよね。それで自分でも興奮していて、すごく熱の入った議論をしたのを覚えています。
――そんな背景があったとは。
D.O:カルマですよね。告知段階で、もうステージ4だったので早ければ余命3ヶ月から半年と言われていたけど、2年以上頑張ってくれました。CBDもそうだし、僕が知りうるすべての知識を母に伝え、治療、介護に取り組んでいた。自分にとって大事な人間が苦しんでいて、それを楽にするために法を破ることは否定できるのか? これはいくら話しても、僕の考え方は変わりません。僕は破る道を選んだ、ただそれだけ。
この国ではどうあがいても仕方がないけど、糞食らえ! 僕の治療プランでまだまだお袋を楽しませられたし、貴重な時間を返せってハナシ。僕がこんな状態にも関わらず、母の葬儀に駆けつけてくれたり、何年も交流がなかったのに連絡をくれたりした方々には感謝しています。
◆「ジブラじゃねぇ、ケオリ(DJ KAORI)じゃねぇ。練馬だぜ!」
――今回の逮捕含め、改めて自伝を読むと、幼少期からアップダウンの激しい人生に驚かされます。どうしたらそんなにタフでい続けられるのでしょうか。
D.O:そこだけが結局、僕が持っている武器なんだと。こういうことがあるたびに再確認している部分はあります。
アーティストに限らず、偉大なプレイヤーはみんな自分の中のルールというか、「このやり方で生きる」と決めたらブレない強固な意思を持っている。どんなことがあってもそれをやり通すタフネスこそが僕のヒップホップ、僕のアートだと思っています。
D.O(デンジャラス・オリジナル)というラッパーを名乗る以上、日本のヒップホップにおける歴史的な部分も背負っているつもりだし、「日本のギャングスタ・ラッパーの代表はD.Oってヤツだよね」と、世界中に思わせたい。本気でそう思ってやってきたし、これからもやっていく。
――自伝にありましたが、ニューヨークのクラブでファレル(・ウィリアムス)に「ジブラじゃねぇ、ケオリ(DJ KAORI)じゃねぇ。練馬だぜ!」と啖呵を切った10代の頃からブレていない。
D.O:そうです。ただ、それにはもちろん責任がともなうワケで。ヒップホップは黒人文化で、もちろんアメリカが先生みたいな感じだけど、当時から何となく自分なりに気づいていたことが、日本には日本のヒップホップ、リリック、スタイルがあるってこと。ただコピーするだけじゃなく、自分たちのヒップホップをどうメイクするか? ということをずっと考えてきた。
9年前、メジャーデビュー目前でパクられたときも、そりゃ落ち込みましたけど、てめぇのケツはてめぇで拭くだけ。ラッパーとして、華麗に立ち回るだけなんですよね。
――幻のメジャーデビューアルバムは、発売中止以前に店舗納品されていたものが流出して、ヤフオクで5万円もの値がつきました。
D.O:大麻をはじめ、イリーガルなことを包み隠さずラップして、勾留中にリリースもする。アメリカのヒップホップシーンでは当たり前のことだけど、日本では目立って当然。しょうがないですよね。僕はD.Oとして当然のことをしていて、でも今回僕を逮捕した組対五課(警視庁組織犯罪対策第五課)だってそれは同じ。ガキの頃から基本的に警察とは仲良くなれないんだけど(笑)、今回の担当刑事とはお互いリスペクトを持って向き合えたんです。
◆「悪そうな奴は大体友達」のその先の向こう側
――担当刑事とリスペクトを持って向き合ったとは?
D.O:逮捕後、僕のガラが運ばれた立川署というのはかなり特殊なところで、東京23区以外のほとんどの地域から悪党が集まっていた。週に何度も非常ベルが鳴って、やれ誰が暴れてるだの、やれ懲罰だの“立川劇場”って呼ぶくらい騒がしかった。そんな中、ある日の取り調べで「お前あれだな、思ったよりちゃんとしてるな」と言われた。本職よりある種、胆力があると。
――立川はぐれ刑事純情派!?
D.O:別に被害者がいるわけでもなく自己責任でこうなって、僕は自分のこと以外、何も言うことはない。ヒップホップの恩恵を受け、ヒップホップの世界でサバイブしてきた。裁くなら裁いてくれ、その腹はくくっているとなれば、向こうも「ドンマイ」ってなる。生意気で言うこと聞かないし、僕らみたいなのは普通、嫌われるんですけど「お互い筋を通して話そう」という姿勢が伝わると、「信用できる奴」になる。
――仁義ある人間には敬意を持って接する、と。
D.O:もちろん相手もうまいな、というのはあります。ただ立場が違っても、お互いリスペクトできる人はいる。先駆者から引き継いだシーンを、自分たちの世代でどう形にするか? ヒップホップのゲームはそれが面白いし、そうあるべき。でも、最近はそこに仁義というか、言わなくても共有できていたストリートのルールや、価値観がなくなりつつあるのも感じる。僕も、劇的にそれを食らった。
ただ、それはヒップホップに限らず政治やビジネスでもよくあるハナシ。むしろ社会がそうなっているから、アートに反映される側面もある。日本に限らず、世界中でスニッチ(密告)や司法取引はダサいことだけど、残念ながらそれをした方が儲かるのも現実だったりする。
――アメリカの格差社会から生まれたヒップホップが、日本でもリアルなことになってきていると感じますか?
D.O:それもあって僕は恵まれている、と言ったら、こんなタイミングで頭がおかしいように聞こえるだろうけど、本当に思っています。この一連の流れを受け入れてもらえるシーンを自分で作ってきたつもりだし、そのシーンを見つけてきた。ゲトーな環境から「お前には無理だ」と言われながら、這い上がってきた経験があるから、どんなことがあっても、またプラスに変えられると思える。
留置所で驚いたのは、半分以上の人間が僕のことをラッパーとして認識していた。それもあって「僕のことは、立川のサンシャインと呼べ」と(笑)。「我々にはこんなところでも楽しいことを探すしかない。おもしろい話教えてあげるから、やたら落ち込むの良さない?」って。
ラッパーである以上、ステージだろうがどこだろうが、これまでと変わらずパワーをバラ撒いて、実物のラッパーって、こんなにヤベェ奴なんだと分からせたい。ラップじゃなくても、僕を見て、それこそいい映画を見たような、そういう気持ちになってもらえたら、そうじゃないって人がいるのも理解した上ですけど、それが僕のアート、ヒップホップなワケで。
――どこにいても、ラッパーD.Oであり続けている。
D.O:あと面白かったのが、数回目の取り調べ中に「さっきお前より刺青がすごい奴が入ってきたけど、知り合いか?」と聞かれた。「いやいや、僕よりカブいている奴なんていないでしょ」って思って房に帰ったら、確かに頭のてっぺんから全身気合いの入った奴がいた。みんな警戒していて「ヤバくない?あいつ。D.Oさん、知り合いじゃないんですか?」って。
実際、僕ですら『どうやってこいつ日本でこうなった? 向こうのギャングか?』と思ったくらい。でも、ある時そいつが檻にいれられていて、前を通ったらなんか声が聞こえるんです。正直、目を合わせたくなかったけど「Hey!」って、いきなり“練マのハンドサイン”(※通称「N-(TOWN)サイン」上記写真参照)を出してきた(笑)。向こうは僕のことを知っていて「応援しています!」みたいな。それを見ていたみんなも「えー! 知り合いじゃないって言ってたじゃないですか!」って。結局、運動の時間に喋ってみたら、つながっていた。「悪そうな奴は大体友達」じゃないけど、先輩たちの世界のその先の向こう側に僕らはいたってハナシ。
◆「禍福はあざなえる三つ編みの如しメーン!!!」
――懲役三年という判決に関しては?
D.O:運命的な流れは受け入れているし、目を逸らさずに進んでいくべきだと思います。正しかったわけじゃないけど、間違ってはいない。でも、それが一生自分の責任として付いてくることなんだろうな、と。
僕がどこかで、こういう感じではなく違ったムーブを、なんて言えば良いんだろか……。簡単に言えば、僕が“イモを引いた”ら、今まで支持してくれてた人たちをガッカリさせると思うんです。僕の責任は、そういうことだし、アーティストとして特別な作品で楽しませている自信がある。
――タフネスは十分伝わってくるのですが、正直なところ、落ち込んだりはしないのでしょうか。
D.O:いや、もちろん落ち込んでますよ(笑)。 でもやっぱり自分の宿命というか、もう一個次のステージに行くなら頂いておきましょうか、じゃあ。そういう感じの心境です。バッドラックとグッドラックは表裏一体というか。
――D.Oさんはトレードマークだった三つ編みをやめましたけど、まるで禍福はあざなえる……ですね。
D.O:いいですね。じゃあ、太字で「禍福はあざなえる縄のごとしメーン!」って知的に締めといてください。メーンで知的台無しですけど(笑)。
【D.O(ディーオー)】
東京都練馬区出身。KAMINARI-KAZOKU.のメンバーとしての活動を皮切りに、‘78年生まれのラッパー黄金世代のひとりとして頭角を現す。「ディスる」「メ~ン」などのスラングをお茶の間に浸透させたことでも知られる。2014年から漢 a.k.a. GAMI率いる9SARI GROUPに所属。映画出演、また映画のプロデュースなど活動は多岐にわたり、今年9月、初の自伝『悪党の詩』を上梓。
取材・文/日刊スパ!取材班 撮影/グレート・ザ・歌舞伎町