戦争への怒り赤色に込め 東京大空襲描いた元日本軍兵士「正義なんてない」

約10万人が犠牲となった1945年3月10日の東京大空襲を目撃後、日本軍兵士として満州に渡り、シベリア抑留も経験した三鷹市の長谷緑也さん(94)が、74年の時を経て東京大空襲の絵を描き上げた。「壮絶な空襲の惨状を記録にとどめなくては」と昨年末に描き始め、約3カ月かけて計13点を完成させた。
運送会社で働きながら、東京・立川で画家を目指していた19歳の時、赤紙(召集令状)が届いた。45年3月5日、千葉県柏市にあった陸軍部隊に入隊。3月10日未明、高台にある兵舎から真っ赤に燃える東京・下町が目に飛び込んできた。低空で飛来し、次々と焼夷(しょうい)弾を落とすB29。燃え上がる炎で銀色の腹を赤く染めた巨体は柏市付近で急上昇していった。「阿鼻叫喚(あびきょうかん)というか、ただあきれて見ているだけだった」
空襲後、軍用列車に乗るため、煙が立ち上り死臭の漂う東京の街を品川駅まで隊列を組んで歩いた。木造の民家は一軒も残っていなかった。「敗戦したようだった」と長谷さん。着いたのは満州の東寧(現在の中国黒竜江省牡丹江市)だった。
満州では主に兵器弾薬の荷受けなどの業務に従事。銃は演習で5発撃っただけだった。8月9日にソ連が参戦。迫ってくるソ連軍を迎え撃つため、兵舎の周りに掘った穴に爆弾を抱えて身を潜めている時、敗戦を知った。ソ連軍に武装解除され、シベリアへ。約4年間の抑留生活を経て、帰国できたのは49年8月だった。
東京大空襲が忘れられつつあるという危機感が募り、昨年末、「人生の総括」と考えて絵画に着手。下町を焼きつくし、B29の胴体を染める赤色にさまざまな「怒り」を込めたという。無差別殺戮(さつりく)への怒り、首都が焼け落ち「敗戦」を感じながら戦地へ送られたことへの怒り――。
戦争について「正義なんてどこにもない」と語る長谷さん。作品は三鷹市に寄贈した。「戦争に反対し、平和のために東京大空襲を語る一助にしてほしい」【後藤由耶】