400人以上犠牲の第10東予丸沈没から74年 慰霊祭で親子3代手を合わせ

終戦から3カ月後の1945(昭和20)年11月、復員した元軍人ら400人以上が犠牲になった民間連絡船「第10東予丸」の沈没事故から6日で74年。犠牲者の名簿が引き継がれる愛媛県今治市・伯方島の「禅興寺」で4日、慰霊祭があった。「事故を風化させない」との思いで9年前に法要が復活して以来、県内外の遺族が誘い合って寺や現場海域を訪れるようになり、この日も親子3代で手を合わせる家族があった。【松倉展人】
「ひいおじいさんの姿を心にとどめて生活していきたい」。法要後、小型船で伯方島沖の沈没地点を訪れた砥部町立砥部小6年、中村優太さん(12)はそっと小菊の花束を投げ入れた。曽祖父の中村義光さんは満州(中国東北部)からの復員途中、ほかの復員者らと広島・尾道港から第10東予丸に乗り込み、現場海域で突風を受けて転覆・沈没した。
優太さんは、祖父博治さん(81)の誘いで母千奈美さん(43)とともに初めて現場海域にやって来た。
松山市の安永勉さん(74)は父勇さん(当時36歳)の顔を知らない。10歳の長兄から10カ月の勉さんまでの5人の子が残り、「母は苦労したと思う。戦後74年、多くのことが忘れられていく中、慰霊を続けていただけることは本当にありがたい」と話した。
第10東予丸の乗客はほとんどが復員兵だった。救出されたのは145人。故郷を目前にしながら多くの人が命を絶たれた痛ましさは、本四架橋運動のきっかけの一つになった。慰霊の法要は長く途絶えていたが、六十六回忌に当たる2010年に執り行われ、七十回忌の14年以降は毎年、同市木浦にある禅興寺で営まれている。
寺には、阿部信宏住職(45)の祖父で事故当時住職だった故信隆(しんりゅう)さんが多くの犠牲者を浜辺で弔った縁で、加筆・訂正を重ねた3冊の犠牲者名簿が引き継がれ、慰霊塔が立っている。