【時任兼作】山口組ナンバー2「緊迫の出所祝い」で司組長が吐き捨てた「ひと言」 「七代目就任」に暗雲か…?

「寄るな!」
東京・品川駅の新幹線ホームに怒声が響き渡った。10月18日、早朝のことだ。
怒声を上げたのは、同日、府中刑務所から出所し、迎えの車で品川駅に着いたばかりの山口組ナンバー2・高山清司若頭のボディガードを務めていた人物だった。
「いったい、何事だ?」
その場に臨場していた捜査幹部の間に緊張が走った。暴力団捜査を担当する警視庁組織犯罪対策第4課、3課の課長とそれぞれの課の理事官らは、高山氏が襲撃されたのではないかと思いかけたという。2015年に分裂した山口組の対立抗争が激化している最中であったからだ。

山口組の本部や主要組織、また同組の中核組織である弘道会を管轄する兵庫県警、大阪府警、愛知県警など、同じく現場にいた捜査幹部らも同様の反応を示した。
だが、襲撃ではなかった。組内のゴタゴタであったようだ。ボディガードに一喝されたのは、弘道会の若頭を務めるある組長。高山氏の放免祝い(出所祝い)を取り仕切るために出迎えに来ていたと見られる人物だった。
「何か粗相があったようだな」
「放免祝いの段取りで何かあったのかもしれないな」
捜査幹部らは、そんな観測を口にしたものの、どうにも腑に落ちない様子だった──。
その後ほどなく、高山氏は山口組幹部らに囲まれながら、1両貸切にした東海道新幹線のグリーン車に乗車した。向かった先は名古屋だった。
警察幹部が語る。
「本来であれば、神戸市内の山口組総本部へ向かうところだが、同本部は山口組分裂抗争の激化で使用制限がかかって使えなくなった。今月10日、(2015年に山口組から離脱した)神戸山口組の中核組織・山健組の組員2人が、山口組の司忍六代目組長、高山若頭らの出身母体である弘道会傘下の組員に射殺されたからだ」

午前9時前、名古屋駅で下車した高山氏は改札を出ると、待機していたワゴン車に乗り込んだ。この時点で、警察に動揺が走ったという。警察幹部が続ける。
「ここまでは予測済みだったが、その先がよくわからなかった。しかも、警察の目を欺くために別の事務所に関するメールなども流布されていたため、確定情報が取れなかった」
最終的に高山氏が行き着いたのは、警察が予想もしていなかった山口組の4次団体、弘道会傘下の佐々木一家だった。同日午前10時過ぎ、高山氏は名古屋市南区の同組事務所に入った。そして、その15分後、司組長を乗せた車が到着。組関係者と見られる男性らが、出所祝いの準備のために、風呂敷に包まれた重箱などを次々と運び込んだのである。その詳細は「山口組ナンバー2、グリーン車で向かった出所祝いと『七代目就任の噂』」で報じた。
警察による総本部などの使用制限や監視体制の強化のなかにもかかわらず、若頭出所の祝宴はかくして滞りなく開かれたかに見えた。ところが──。
この祝宴、とんだ結果に終わったという。
「あとで考えてみれば、そもそも会場の選択からして波乱含みだった。品川駅で見られた部下に対する厳しい姿勢は、会場変更に関することが原因だったのだろう。
総本部が使えない以上、出所祝いは六代目山口組の中核組織であり、組長の出身母体でもある弘道会の主要な事務所で開くのが筋だが、高山はそれを拒否。弘道会が結成される以前に自身が所属していた組織であり、極道としての出発点であった佐々木一家を選んだ。
おそらく高山は自らの『原点回帰』を目指しているのだ。自分の足で立つ──つまり、暗に七代目への就任を宣言するものだと見られたため、祝宴が始まる前から波紋を呼んでいた」(前出の警察幹部)

高山氏は1967年、三代目山口組の二次団体・弘田組傘下にあった佐々木組組長・佐々木康裕氏と縁を持ったことから渡世入りした。1969年5月、弘田組傘下の組事務所が襲撃を受けたことへの報復戦に高山氏も加わり、懲役4年の刑を受けた。
この功績により出所後、高山氏は佐々木組若頭に就任。1974年には自らの組織として高山組を結成した。そして1984年に四代目山口組が発足し、弘田氏が引退すると、司氏が弘田組の地盤を引き継ぎ弘道会を創設。高山氏は若頭補佐となった。なお、菱心会は1994年に佐々木氏が死去したのち名称を佐々木組に戻して弘道会傘下に復帰。その後、佐々木一家と改称し、現在に至っている。
1989年に若頭に昇格した高山氏は、2005年には二代目として弘道会を継承し、五代目山口組若頭補佐にも抜擢された。さらに同年7月、山口組が六代目体制に変わると、8月には若頭に就任。司組長が12月に銃刀法違反の罪で収監されたのちは不在の組長に代わって組織運営を担い、弘道会による支配体制を強化した。
以来、2013年に恐喝罪の有罪判決を受け、2014年6月に懲役6年の実刑が確定して府中刑務所に収監されるまで、山口組の実務責任者として君臨。さらに獄中からも指示を出すなど、現体制を支えてきたと言われている。
だが、山口組は高山氏の服役中の2015年に分裂した。それだけに、再統一が宿願となっていた。
出所した高山氏は、早速、檄を飛ばした。かくして祝いの席は、まさに「7代目就任宣言」の場と化したのだという。複数の警察関係者の証言から、以下のような場面が展開されたことが明らかになった。

「たわけ!」
祝い膳に付けた箸を止めた高山氏は怒声を放った。口の中のものを吐き出す勢いで、側近を叱り飛ばしたのだ。
「来賓が少なくて申し訳ありませんが、何分、総本部さえも使えない有様で人が集まりにくいもので──」
そう詫びる側近の言葉をさえぎってのことであった。そして、高山氏はこう続けた。
「わしがいるとこが、本部じゃ」
まさに七代目宣言である。
さらに高山氏は、獄中から出した指示通りに物事が運んでいないことも叱責し、こう檄を飛ばした。
「入江(禎・二代目宅見組組長。神戸山口組の副組長)に組を戻させろ。それから寺岡(修・侠友会会長。神戸山口組の若頭)、正木(年男・正木組組長。神戸山口組総本部長)もだ。組を戻させて引退させろ。そうしないなら、戦争だ」
早くも下された、宣戦布告の厳命──。居並ぶ山口組幹部たちは、愕然としたという。
「いまはそんな時代じゃない。戦争なんてしたら、とんでもないことになる」
「ムショ(刑務所)ボケしたんじゃないか」
声を潜めて、そんな感想を漏らした。一方、当代たる司組長は、
「付き合いきれん」
と匙を投げた。さらには中枢幹部も、
「戦争ごっこするなら、(ヤクザを)辞める」
「絶対にやらない」
と明言した。高山氏自身が立ち上げた高山組の関係者以外に、賛同するものはなかったという。

「笛吹けど踊らず。旗を振っても兵は動かぬ状況のようだ。このまま高山氏の孤立が続けば、七代目就任もなくなるのではないか」
前出の警察幹部は、そう語った。
分裂抗争の激化に苛まれている山口組は、路線対立という大きな内憂をも抱えてしまったかに見える。今後の動向が気にかかる。