大分県豊後大野市を流れる奥嶽川のそばの岩壁に、筆跡の異なる古い墨書が見つかった。「阿弥陀佛(あみだぶつ)」「文化八歳」などとあるほか、人名も書かれている。江戸時代後期から数十年の間に複数の人が書いた可能性がある。墨書を見つけた同町の団体職員、嶋津広紀さん(64)は「この場所で遭難した人を供養したものかも知れない。由来を知りたい」と話す。
墨書があったのは、同市緒方町上畑の奥嶽川左岸で、県道7号(緒方高千穂線)のすぐ脇に切り立つ崖。2メートルほどの高さから50センチまでの約1・5メートル四方の岩肌に多くの文字が記されている。
墨が薄くなったり、コケが付いたりして多くは判読できないが、「文化八歳」(1811年)、やや大きな文字で「阿弥陀佛」と読み取れる。上の文字は不明だが「南無阿弥陀佛」とみられる。また、下の方には「岡竹田本町 関直治郎」などと書かれている。
毎日新聞社の調べで、関直治郎は竹田市上本町に住む関忠司さん(74)の曽祖父に当たることが分かった。
関さんによると、直治郎は江戸中期から続くお茶の製造・卸の「竹屋」の5代目。1856(安政3)年生まれで、1917(大正6)年に亡くなった。関さんは「上流にある尾平鉱山にお茶を納めに行った際に書いたのかもしれない」と話す。
一方、上部に書かれた「文化八歳」は、関直治郎の文字とは筆跡が異なり、墨も薄い。文化8年当時に書かれたとすれば関直治郎の墨書よりさらに数十年も古いことになる。
『竹田市史』(中巻)によると、文化8年は、岡藩の逼迫(ひっぱく)した財政立て直しのために厳しい倹約や労働を強いられた農民が一揆を起こして庄屋宅や商家を打ち壊した年だ。「阿弥陀佛」の文字が書かれた理由は不明だが、そうした政情を反映した可能性がある。
豊後大野市歴史民俗資料館の高野弘之館長は「昔の道はあの崖の上にあったと理解していたが、嶋津さんから墨書の存在を聞き、川沿いにもあったことが分かった」と話す。【衛藤親】