避難、片付け…休みなかった1カ月 台風19号被害、長野の家族に密着した

長野市穂保の岩崎武さん(78)は生まれ育った木造2階建ての一軒家で妻徳子さん(78)と長女と暮らしていた。隣接する別宅には名古屋市に単身赴任している長男の家族が住む。台風19号で決壊した千曲川の堤防からは約700メートルしか離れておらず、どちらの家も浸水した。被災直後からの1カ月に密着した。【原奈摘】
<10月12日>避難勧告が出たため、徳子さんと長女らと午後6時ごろに高台の公園に一時避難した。名古屋にいた長男弘幸さん(51)から「堤防が決壊するかもしれない」と連絡があり、夜中に同市三才の北部スポーツ・レクリエーションパークへと移った。
<13日>家のすぐそばで堤防が決壊したことを知った。避難所で待機を続けたが、不安で弁当がのどを通らず、夜は目がさえて眠れなかった。
<14日>弘幸さんも合流し、初めて自宅を見に戻った。どちらの家も物置には泥が積もっており、屋内は浮き上がった家具や畳で荒れ果てていた。「どれだけやっても終わらない」と苦しげに吐き出した。
<15日>泥をかき出しつつ、浸水で浮き上がった畳を外に運び出そうとしたが、泥水を吸った畳は重すぎて、1枚運んでくたびれてしまった。弘幸さんからは「無理するな」と声が掛かる。
<16日>武さんと徳子さんは避難所を出て、長野市大豆島に住むめいの家に泊まらせてもらうように。中部電力の点検が入り、2階だけは電気がつくようになった。
<17日>めいの家ではもてなしてくれるからこそ気を使う。「食事は自分で用意するからいいよ」と伝え、北部スポーツ・レクリエーションパークに2人分の食事を取りに行くようにした。
<19日>家の前の泥はほとんど片付いた。知人や災害ボランティアが来てくれて、物置の片付けをする。「人手があると全然違う。若いっていいね」。常備薬の高血圧の薬をもらいに徳子さんと病院へ行った。
<21日>大半の家具を部屋から出し終えた。「きれいになったから見てってよ」と明るい様子だったが、がらんどうになった屋内に入ると「こっちの家は潰しちゃう。そっちの方がお金かからないから」と話し始めた。
朝、長男の妻ゆかりさん(47)から「心配だし寂しいから、こっち(隣)の家に来てください」と言われたという。「ずっと迷っていたけど、やっぱり解体すると決めたらちょっと心が楽になった」。そう言いつつも、肩を震わせた。「ずっとここにいたかった」。1階の天井近くに置いていて浸水を免れた、約70年前の家族写真を下ろした。この家の前で、武さんが小さい頃に撮ったものだ。
<27日>家の罹災(りさい)証明書の申請に、ゆかりさんが代わりに行った。市職員が既に家の調査を済ませていたため、その場で写真を提出し、手続きは10分ほどで済んだ。弘幸さんの家を修理するまで一時的に住む県営住宅の申し込みも25日にしたが、ゆかりさんは「倍率も高そう……」と心配そうな表情。
<11月1日>武さんが県営住宅の抽選に落ちたと、弘幸さんの携帯電話に県から連絡があった。「ショックさあ。期待して申し込んだんだもの……」
<9日>知人の紹介で、2年間無償で一軒家を借りられる見通しが立った。それでも引っ越しを済ませ、家を解体するまで気持ちは落ち着かない。この1カ月、休んだ日はなかった。「最初よりは楽になったよ。若い人たちの力も借りて……。長かったねえ、この1カ月っていうのは」。複雑な表情で語った。