日韓不和なのに空前の「韓国文学ブーム」のなぜ

韓国のフェミニズム小説を特集した文藝が86年ぶりに増刷するなど、にわかに韓国文学が盛り上がっている(撮影:尾形 文繁)
日韓関係が一段と冷え込む一方、日本で韓国文学が盛り上がっている。2018年12月に発売されたチョ・ナムジュ氏の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』は、13万部のベストセラー。日韓の作品や翻訳者の対談を載せた特集「韓国・フェミニズム・日本」を組んだ『文藝』秋号は、86年ぶり2度目の緊急増刷を行い、3刷で1万4000部のヒットを記録し、秋に単行本化が予定されている。
また、今年3月に出たエッセイ集『私は私のままで生きることにした』も、20万部突破のベストセラーになっている。「文芸書が売れない」「翻訳文学はもっと売れない」と言われている今、いったいなぜ、急に韓国文学が注目され、売れているのだろうか。
理由の1つは、出版点数が増えたことだ。
2011年から「新しい韓国の文学」と題するシリーズを出している韓国関連コンテンツ専門のクオンは、19冊を刊行。9月末には「CUON韓国文学の名作」シリーズを発売する予定だ。
福岡市の書肆侃侃房は、2016年9月から始まった「韓国女性文学」シリーズ6冊に加え、今年7月から「韓国文学の源流」シリーズの刊行を開始。晶文社は2017年10月に「韓国文学のオクリモノ」シリーズで6冊を出し、2018年9月には亜紀書房が「となりの国のものがたり」シリーズを開始して3冊を出す。河出書房新社、白水社なども韓国文学本を出すなど、出版各社が“参戦”している。
新作が次々と刊行された結果、書店で目につきやすくなり、韓国文学が手に取られているのだ。
コンテンツそのものの質が高いというのも理由だ。勢いづいたのは、晶文社のシリーズが刊行された2017年から。その前年、世界3大文学賞といわれるイギリスのブッカー賞を、アジア人として初めて韓国の作家ハン・ガン氏が受賞したことも追い風になっている。受賞作の『菜食主義者』は、2011年にクオンのシリーズ第1弾として刊行。4刷までされた本の1つだ。
そこへ現れたのが、韓国で100万部を超える大ヒットで社会現象にもなり、政治も動いた『82年生まれ、キム・ジヨン』だ。同書は日本でも発売1カ月で発行部数が5万を超えるという異例の好スタートを切り、いまだに売れ続けている。これを読んだ人が韓国文学にハマるという流れが生まれている。
同書は、1982年に生まれた平凡な女性、キム・ジヨンの半生をひもとき、彼女が家庭や学校、社会で受けてきたさまざまな女性差別を伝える、ルポのような文体の小説だ。主人公に自分を投影させ、共感した女性読者は日韓共に多い。
物語はこうだ。主人公、キム・ジヨンは、何かにつけて弟が優先される家庭で育つ。学校でも男子が優先される環境に置かれ、高校生になって行動範囲が広がると、痴漢やストーカーに脅かされる。大学時代は就職活動でも苦労し、ようやく入った中堅の広告会社では、男性より劣る待遇を受ける。
結婚すると、帰省のたびに姑を手伝い料理に明け暮れ疲労困憊。両家の親たちから子どもを産むようせっつかれ、退職して育児に専念せざるをえなくなる。そしてある日休憩していた公園のベンチで、母親は気楽だと男性たちの陰口を聞いてしまい、ついに彼女の精神は、混乱をきたしてしまうのである。
主人公が受ける差別の多くは、女性なら身に覚えがあるが、騒ぐには大げさと取られがちなものだ。だからこそ、多くの共感を呼ぶのだろう。
同書をはじめ、韓国では「フェミニズム文学」と位置づけられる作品が多い。抑圧的な社会に対する異議申し立てを行った『私は私のままで生きることにした』も、フェミニズム文学の1つといえる。
日本で翻訳されているものも多い。フェミニストとしての主張をエッセイにした『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』。「韓国フェミニズム小説集」として白水社から出た短編集『ヒョンナムオッパへ』。同性愛者の娘を持つ女性を主人公に、貧困から高齢者介護まで幅広く社会問題を捉えた『娘について』。さまざまな年代の女性を主人公に、女性が生きる困難を描いた短編集『ショウコの微笑』。
いずれも、女性の苦しみを力強い筆致で書き上げ、何が差別でどのように人を苦しめるのかを伝えている。
フェミニズム文学が注目されるのは、ここ数年日本も報道やデモ、SNSでの拡散などを通じて盛り上がるフェミニズム・ムーブメントの渦中にあるからだ。
しかし残念ながら、日本ではフェミニズム文学と銘打った作品群はない。そのため、問題意識を持つ人が韓国文学へ向かう面もあるだろう。
もちろん日本にも、川上弘美氏、角田光代氏、川上未映子氏、松田青子氏、村田沙耶香氏、山崎ナオコーラ氏といった、フェミニズム文学者と位置づけられそうな女性作家はいる。また、柴崎友香氏の新作『待ち遠しい』も、女性が受ける抑圧を描いた作品である。しかし、彼女たちの小説を出版社が「フェミニズム文学」と売り出すことはない。
その意味で、韓国の女性文学者たちは、より意識的にフェミニズム文学に取り組んでいると言える。エンターテインメントとして楽しみつつ、時に日常に入り込みすぎて意識していなかったような差別や抑圧を、明確にする。その明確さも、わかりやすさが求められる現代の風潮に合っていたといえる。
なぜ、韓国ではフェミニズム文学が、成立するのだろうか。その理由について、晶文社で韓国文学シリーズを立ち上げた後、亜紀書房に移った編集者、斉藤典貴氏はこう話す。
「韓国は、日本より女性が暮らしにくい社会です。仕事の面でも生活の面でも。そこに対する怒りや問題意識が強く出ている文学が大きな流れになっています。通底しているのは、女性が持っている怒りや憤り」。韓国には兵役義務があり「マッチョになっていく男の人と、それに付き合う女性」の問題も大きいと指摘する。
世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数で韓国は2018年、149カ国中115位である。少子化も深刻で、2018年には女性が生涯に産む子どもの数、合計特殊出生率が0.98と1.0を割り込んでいる。背景には若者の経済不安と未婚率の高さがある。そういう社会の実情も『82年生まれ、キム・ジヨン』や『娘について』などに、はっきりと描かれている。
日本も韓国ほどではないにせよ、女性の社会的地位が低く少子化や非婚化問題は深刻だ。ジェンダーギャップ指数は110位と韓国とほとんど変わらず、2018年の合計特殊出生率は1.42。2007年から人口減少社会に転じていて超高齢社会である。抱えている問題の共通性が、共感を呼ぶのである。
以前から韓国と交流がある斉藤氏が韓国文学に注目した理由は、フェミニズム文学の勢いだけではない。
2社のシリーズ立ち上げのきっかけは、2017年6月、韓国の翻訳文学院から、ソウル国際ブックフェアに招待され、出版社や出版都市のパジュ市を訪問、作家の話を聞く機会ももらったことだった。その旅に斉藤氏は、亜紀書房の内藤寛編集長も誘っている。他社の編集者も含めて8人のツアーである。
その際接した作家たちについて斉藤氏は「すごく誠実で、言葉をどう紡ごうかと真剣で真摯なんです。日本では、芸術家は斜に構えるほうがいいような風潮があるけれど、韓国はそうじゃない」と語る。内藤編集長も「愚直に物語を書いていることが新鮮で、力強い感じがする」と言う。
読んだ文学に新しさを感じたことが、晶文社時代に一度に6冊の刊行を決める、といった大胆な企画へと斉藤氏を向かわせた。
「日本の文学は内面に向かいがちだけど、韓国には、国民のみんなで権利を勝ち取ってきたという意識がすごく強く、作品の社会性が強い。私が出したシリーズは純文学だけど、エンターテインメントとしてもよくできているもの。1970年代以降に生まれた若い著者たちは、日本のカルチャーを享受した世代です。今を生きる切実さや喜びや怒り、悲しみが海を越えた国の私たちにも琴線に触れるのではないか、と思ってスタートしました。
固有名詞を抜けば、自分の国のモノのように読めるものを選んで翻訳しています。ほかの出版社の人たちも、それぞれ面白いと思うものを真剣に選んだことが、今の人気につながっているのではないでしょうか」(斎藤氏)
クオン代表で、神保町で韓国語の原書および翻訳書を扱うブックカフェ「チェッコリ」を営む韓国からのニューカマー、金承福氏は、問題意識が濃厚な作品が多い理由を、1960年代までに生まれた作家たちがこれまで、「南北分断や民族の問題」を描いてきた歴史がベースにあると話す。変化の始まりは1990年代。
「チェッコリ」には韓国語の原書や翻訳書が並ぶ(筆者撮影)
「1992年に国家や民族でないテーマを歌う、ソテジワアイドゥルというK-POPグループが登場した。その頃から、個人を描いた村上春樹や村上龍、吉本ばななの小説が入ってくる。
民主化運動の影響もあって、1990年代末には個人を描いた作品が登場する。なので、私たちは2000年以降の作品を出しています。それらの作品は個人の話を描いているけれど、社会問題も入っている。いくつものレイヤーがあるのです。
そこに加えて、韓流ブームが日本で続いています。韓国のモノはかっこいいというイメージがあるところへ、今ようやく文学まで流れが来たと思います」(金氏)
近年、勢いがあるといわれる1970年代以降に生まれた作家たちは、日本の文学作品にも親しんできた。1989年には海外旅行を自由化し、1998年に金大中が政権を担い、公式に日本文化開放をしたという、自由な時代を生きてきた世代といえる。
一方、1950~1960年代に生まれた世代は、植民地時代や第2次世界大戦、朝鮮戦争を体験した親の下で育っている。1961年に朴正煕のクーデターで始まった独裁政権時代を過ごし、民主化運動を武力で鎮圧した1980年の光州事件の悲劇も同時代に接している。そういう時代を通過していない若手が、より自由な発想を持つのは当然といえる。
韓国の政治体制が変わり、経済成長時代に入ったのは、1987年に民主化運動が起こって大統領直接選挙、憲法改正が実現してからだ。1988年のソウルオリンピック、1991年の国連加盟と順調だったが、1997年のIMF危機で大きなダメージを受けた。2014年には日本でも報道された韓国最大の海難事故、セウォル号事件が起こっている。
韓国の現代史をたどると、試練と抑圧、自由の激しい波にもまれ、作家が社会意識を持たざるをえないことがわかる。
また、人口が約5182万人と、日本の半分以下しかない。そもそものマーケットが小さい国で、K-POPと同じように、文学も輸出を前提とせざるをえないのではないだろうか。留学で来た日本でそのまま就職するなど、就職が困難な国内に見切りをつけ、海外へ出ていく若者も多い。国内で充足することが可能な日本より、外国を身近に感じざるをえない環境なのだ。
善きにつけあしきにつけ、世界の中の自国を意識しつつ、現代社会の共通の悩みに取り組んだ意欲作が次々と出される韓国文学。儒教文化圏という共通性を持ち、同時代を生きる隣国の日本人にとって面白いのは、当然なのだろう。
文学はノウハウ本やビジネス書のように、問題を明確に指摘して解決法を伝えるわけではない。しかし、人間の心は問題を解決すれば癒やされるとは限らない。たやすく解決できない問題もある。そんなときに助けとなるのは、寄り添ってくれる誰かや何かである。
文学には、個人の体験や思いを描くことで、読む人の心に寄り添い解放させる側面がある。モヤモヤとしていた思いを代弁し、自分の気持ちを明確にしてくれる。そして、現実から離れた世界に没頭する楽しさは、ゲームや映画が登場する以前は文学が担っていた部分が大きい。
その力を今、とくに強く発揮しているのが韓国文学なのである。文芸書が売れないと言われる中で生まれたブームが、本を読む楽しさをより多くの人に伝え、再び文学が活性化する時代をもたらすかもしれない。