編集部からのお知らせ:
本記事は、書籍『アント・フィナンシャルの成功法則: アリペイを生み出した巨大ユニコーン企業』(著・由曦 、訳・永井麻生子、中信出版日本)の中から一部抜粋し、転載したものです。T-Mallやタオバオ、アリペイを生んだ中国を代表するIT企業であるアリババの原点をお読みください。
2003年9月のある日、淡い色のシャツ、黒のスラックス、革靴を履き、ブリーフケースを下げた倪行軍(ニーシンジュン)は、タオバオ(淘宝網)の面接試験を受けに来た。道に迷いながら進むと、彼の目の前に現れたのは住宅街の2階建ての小さなビルだったので、不安になった。
「場所を間違えたのだろうか」
焦った倪行軍が関係者に電話すると、電話の向こうから聞こえてきたのは、話を伝える大きな声だった。――「汪ばあさん、面接の人だよ」。間もなく20歳過ぎの若い女性が建物から走って出てきた。のちに倪行軍はこの「ばあさん」と呼ばれた若い女性が、花名(ニックネーム)を「藍鳳凰(らんほうおう)」というタオバオの最初の人事担当者だと知る。
タオバオは2003年5月にアリババが投資して設立されたC2C(消費者間取引)のWebサイト。現在では中国で知らぬ者のないこの企業の創業期のオフィスは杭州市湖畔花園の住宅地区にあった。
「アリババ発祥の地」で始まった秘密事業
湖畔花園は、杭州の西部にある「アリババ発祥の地」だ。アリババグループの創始者であるジャック・マー(本名=馬雲、マーユン)は、1990年代末に、湖畔花園小区の16棟1区画202号室を購入した。この150平方メートルの住宅が、1999年にアリババ創業の事務所となった。
現在ネット上で広く流布している「アリババ十八羅漢」(アリババの18人の創業者)会議の合同写真と動画はここで撮られたものだ。アリババが成功したのち、2003年にジャック・マーは、社員を集めて湖畔花園の2階建て一棟の住宅で秘密裏に新しい事業を始めさせた。
このとき、シーナ(新浪)、ソーフ(捜狐)、ネットイース(網易)などのポータルサイトが人気を博しており、インスタントメッセンジャーを中心とするテンセント(騰訊)、検索を主とするバイドゥ(百度)、ゲームを主とするシャンダ(盛大)など16の企業が頭角を現し始めていた。電子商取引(eコマース)の分野では、同年6月、世界最大のオークションサイトであるアメリカのイーベイが1.5億ドルでイーチュイ(易趣)を買収し、中国市場への参入を高らかに宣言した。
ジャック・マーが「消費者向けサイト」に舵を切った訳
当時、B2B(企業間取引)事業を中心としていたアリババは、中国のインターネット業界でまだトップではなかった。イーベイが中国に参入するという情報はジャック・マーの神経を刺激し、彼はC2C(消費者間取引)サイトの制作について考え始めた。これが現在その名を天下に轟かせるタオバオだ。
ジャック・マーがタオバオをやろうと思った理由について、アリババの元幹部ポーター・エリスマンはこのように回想する。当時ジャック・マーは、イーベイが中国でビジネスを大々的に展開するなら、小売業から始め、それからアリババと競合するB2B事業に参入するだろうと考えた。競争が避けられない状況のもと、アリババがイーベイを小売業界にくぎ付けにしておこうと思うのならば、彼らにできる唯一のことは自らもC2Cサイトを開き、直接戦うことだった。
2003年4月7日、ジャック・マーは、当時のアリババのB2Bの業務ラインのなかから十数名のスタッフを選び出し、彼らに、すぐに秘密保持契約にサインをし、会社を辞めて最短期間のうちにC2Cの商品取引サイトをつくるよう命じた。その後、彼らはこの記事の冒頭で倪行軍の目の前に現れたこの棟の2階へ連れて行かれた。
2015年12月のある日、私は杭州市の湖畔花園のある地区を訪れた。1990年代末に建てられたこの住宅区は、現在も静かで清潔で整然としていた。地区の中心の広場では2人の住人がのんびりと散歩をしていた。北へ行くと余杭塘河(よこうとうが)が西から東へとゆったりと流れ、水面には時折鳥が飛んできていた。今日目の前に見えているゆったりした風景から、当時のタオバオの創業に思いをつなげるのは難しいだろう。
2003年、若者たちはここで熱心に仕事をしていた。財務や管理のスタッフは11階、技術スタッフは2階で。オフィスに使われたこの2階建ての住宅は大変混み合っていたが、空間を最大限利用し、台所さえも使っていた。
この若者たちの責任者は「財神(ざいじん)」という花名をもつ孫(「丹」に「彡」)宇(スン・トンユー)だった。
いつもタバコをくわえてうろうろしているこの若者は、ジャック・マーの強力な右腕だった。1996年春、彼は中国イエローページ(ジャック・マーが95年に創業した企業サイトの作成会社)に入社し、1998年、ジャック・マーとともに北京へ行き起業した。
しかし成功を収めることはできず、1999年初頭、杭州に戻って再び起業した。彼は「アリババ十八羅漢」のうちの1人で、タオバオ創業当初、大きな貢献をした。彼にはもう1つ周知の立場がある。それは現在アント・フィナンシャルの社長である彭蕾(ポン・レイ)の夫であるということだ。
入社時には「自分のニックネーム選び」
タオバオの起業チームのメンバーには、ジャック・マーと孫(「丹」に「彡」)宇のほかに、周嵐(ジョウラン)、虚竹(シュージュー)、三豊(サンフォン)、多隆(ドゥオロン)、二当家(アルダンジア)、小宝(シャオバオ)、阿珂(アーカー)、楊過(ヤングオ)などがいた(いずれも花名)。
そのなかの師(「日」の下に「立」)峰(シーユーフォン)(花名=虚竹。当時のタオバオ技術チーム責任者、現在のアリババ管理部)、姜鵬(ジアンポン)(花名=三豊。当時のタオバオ開発チーム責任者、現在アリババ名誉顧問)、蔡景現(ツァイジンシエン)(花名=多隆)の三人は開発エンジニア、二当家はUED(ユーザー体験設計)エンジニア、小宝、阿珂、楊過はオペレーションエンジニアだった。
その日、倪行軍を面接していたのは、技術開発の責任者である三豊だった。
倪行軍は、浙江財経学院の会計学科を卒業した。彼が大学で勉強していたのは、ちょうど世紀が変わる頃で、中国におけるインターネットの発展はすさまじかった。彼は大学時代に独学でコンピュータ関連の知識を得ており、卒業論文のテーマは『情報化の環境下における会計情報の虚偽の問題』だった。面白いことに、「情報」と「会計」の結合は、彼が以後アリペイで行う仕事のメインラインとなる。
倪行軍は、タオバオの面接試験を受ける前、起業した経験があったが、その後、杭州市の医薬系のある国営企業で働くようになった。国の医薬局が改編されてできたその企業は、官僚的な雰囲気が強く、彼が入社したときにはまだERP(企業資源計画)の仕事もできたが、そのプロジェクトが終わったあとは何もすることがなくなってしまった。
国営企業の単調な仕事は彼を憂鬱にさせた。大学の同級生との集まりで、皆がいろいろと自分の経験を話しているときに、倪行軍はやっと自分の思いをぶちまける機会を得た。宴席が進むと、自分の悩みを打ち明け始めた。
倪行軍は、酒をすするように飲んだあと、「もっとも怖いのは25~26歳で老人のようになってしまうことだ」と言った。この言葉は友達に聞かせるというよりも自分に言い聞かせるためのものだった。彼の考えは大変シンプルだった。自分が身につけた技術は、インターネット企業でしか活かせない。再び仕事を探すなら、やはりインターネット企業に行かなければならないと考えた。
倪行軍はすぐに転職先を探して履歴書を送り始めた。2003年、杭州市のインターネット企業はまだ数えるほどしかなかった。履歴書をアリババに送ると、すぐに冒頭の面接の一幕となった。タオバオではちょうど人手が必要だったため、技術と会計に通じた倪行軍はすぐに採用通知書を手にすることができた。
2003年11月下旬のある日、倪行軍は正式にタオバオに加わった。入社当日、彼の指導係となる茅十八(マオ・シーバー)が、数枚の「金庸(きんよう)の武侠人物関係図」とタイトルの書かれた紙を持って、彼にその中から花名を選ばせた。 倪行軍は何度もそれを見て、残っている名前の中から『雪山飛孤』に登場する名侠客「苗人鳳」を選んだ。
ここで、アリババの花名文化について紹介しておこう。
全スタッフに「人気小説キャラ」のあだ名
タオバオができてすぐの頃、ジャック・マーは全てのスタッフに金庸の武侠小説中の人物の名前を花名とするよう命じた。この伝統はアント・フィナンシャルにも息づいている。ジャック・マーは金庸マニアで、彼の好みが花名文化の誕生を促した。ジャック・マーの花名は「風清揚」である。
「本名は人がつけたものだが、花名は自分でつけたものだ」
私がアント・フィナンシャルのスタッフとやりとりをするなかで気づいたのは、花名は彼ら自身の本質を反映しているということだった。ある花名は自分の人生に対する一種の希望を託していた。花名のもととなる武侠人物の言動や使命は、彼らがバーチャルなイメージと精神的なモデルを構築することを助けていた。彼らは花名によって、現実の仕事のなかで理想や心情、あるいは奮闘精神なども強めていた。
花名は聞いて美しく面白いだけでない。覚えやすく、職位の等級を曖昧にする効果もある。タオバオとアリペイの多くの一般社員は、自分の上司に対しても花名で呼び捨てにする。このことは、職位の上下による権力関係に対する意識を取り除き、親しい雰囲気をつくることができ、会社の管理体制にも貢献している。
親しくない人でも小説のエピソードや人間関係などが実際の人間関係に反映して、冗談を言い合ったり、実際の関係と花名同士の関係のギャップが面白いとからかい合ったりした。みんなで大笑いしていると、より親密な関係になり、打ち解け合うことができる。
長らくそうしていると、多くのスタッフの間で花名だけを知っていて本名を知らないということが出てくる。こうしてタオバオという企業は一種の文化を醸成していった。タオバオは「遊び心」が非常に強く、その臨機応変さはインターネットのイノベーションの特質と合致する。
花名文化には隠れた力があり、アリババ系列の多くの元社員は起業するときにそれを模倣しようとする。これが花名文化を中国の多くのインターネット企業に根づかせた。
現在、アント・フィナンシャルの多くの社員は倪行軍の本名を知らない。みんな彼を老苗(ラオミャオ)と呼ぶ。老苗はアント・フィナンシャルの発展の歴史を目撃してきた社員だった。