ワタミは本当に「ホワイト化」したのか? 「ブラック企業批判」を否定し続けてきた“黒歴史”を振り返る

ワタミの創業者、渡邉美樹氏が10月1日付で同社の代表取締役に復帰した。同社は従業員が自殺するなど、「ブラック企業」として批判され続けてきた。しかし、渡邉氏の復帰会見では同社がホワイト企業認定を受けたことなどが発表。離職率も業界平均から大きく下回る数値を記録しているという。いまだにブラック企業として認識されがちなワタミだが、本当にホワイト企業になったのか。ブラック企業アナリストの新田龍氏が2回にわたり、ワタミの過去を振り返るとともに現状を検証する。

創業10年で株式公開した成長企業
「自業自得! ワタミを業績不振に追い込んだブラック経営の手口を振り返る」

「ワタミ渡邉会長は“Mr.ブラック企業” これだけの根拠」

「ワタミ元店長が告発! ブラック企業の実態」

これらは全て、大手外食チェーン「ワタミ」へのブラック企業批判がピークに達していたころ、さまざまなメディアで躍っていたワタミ批判記事の見出しである。

ワタミが東京の笹塚に「和民」1号店を開業したのは1992年。和民は中高年男性がたむろする大衆酒場、という位置づけだった居酒屋を、丁寧な接客、低価格、そして明るい雰囲気に変えて打ち出したところ好評を博した。同社は90年代を通して、売上高のみならず営業利益、経常利益とも2桁ペースで業績を伸長させ、創業10年目となる96年には株式公開、2000年には東証1部上場を果たす成長企業となる。

運送会社のセールスドライバーから身を立て、当時で売上高240億円規模の企業グループを率いるまでに至った創業者・渡邉美樹は、メディアから「外食産業の風雲児」、「平成のジャパニーズドリームを体現」などともてはやされ、テレビ出演や講演会などに引っ張りだこのスター経営者となった。その後も勢いは止まらず、海外出店、介護事業への参入など業容を拡大。弁当宅配事業に参入した08年には、ワタミの連結売上高は1000億円を超える規模となっていた。

しかしその年は、ワタミフードシステムズ(当時社名はワタミフードサービス)で新入社員が過労自殺し、大々的に報道された年でもあった。同じころから「アルバイトの残業時間切り捨て」や「告発したアルバイトに対する報復的解雇」など、同社店舗における長時間労働や法令違反に関する事件の報道が増え始める。また、社員に向けて「鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく1週間全力でやらせる」といった渡邉の厳しい姿勢などが報道で明らかになっていき、「ワタミはブラック企業」と大々的に批判されるようになった。

そして13年末、民間団体主催の「ブラック企業大賞」においてワタミフードシステムズは「同賞唯一の2年連続ノミネート」「一般参加のWeb投票では70%がワタミを選ぶ」という不本意な記録とともに、「ブラック企業大賞」と「一般投票賞」をダブル受賞。ワタミは名実ともに、「ブラック企業の代名詞」となってしまったのだ。

強すぎた渡邉のカリスマ性
ワタミの急成長には、2つの武器があった。それが「渡邉自身の力量」と「素直で一生懸命な従業員」だ。一方で足りなかったのは「渡邉以外の経営陣の力量」と「企業規模に即した適切な労務管理」、そして「渡邉の『経営者』としての自覚」であった。筆者はこれらの要素すべてが、ワタミのブラック化の原因となったと考えている。

渡邉はセールスドライバー時代、1日20時間近くの肉体労働をこなし、先輩社員からの

いじめも絶えないというブラックな環境での労働を耐え抜いて、わずか1年間で300万円の資本金を貯め独立した。彼にとっての労働とは「成功体験」であり「人間性の向上」につながるものだった。

そして渡邉は「労働が人間性を高める」ことが他人にもあまねく当てはまるものと確信し、自らのファミリーたる従業員たちにも、自身の成功体験を追体験してもらいたいと本気で願うことになる。渡邉が自身に向ける厳しさや、経てきた努力は誰しもがまねできるレベルではないのだが、彼は「自分にもできたんだから、君たちにもできる!」、「できないなら、能力の問題ではなく、やる気や意志の問題だ!」と考えた。これが、高いレベルの努力を無自覚に押し付け、それができない従業員を追いこんでしまう形になってしまう。渡邉は自身が強すぎたあまり、人の弱さに関して無自覚だったのだ。

「最強の組織」だからこそブラック企業に陥った
ワタミの従業員は、こうした渡邉の態度をどのように受け止めていたのだろうか。筆者がこれまでインタビューした中には経営幹部もいれば、現役社員にアルバイト、そして退職者もいたが、共通していたのは「素直」で「真面目」で「一生懸命」という人物像だ。彼らの話を聴くと、「社会貢献に携わりたい」、「飲食業で独立したい」など将来の目的こそ違えども、おのおのがワタミ、そして渡邉が掲げるミッションやビジョンに共感して入社してきている。ハードワークや不規則な時間帯の仕事も覚悟の上で、自らの学びや成長のために自主的に仕事をしていたのだ。

組織は成長するに従って、その規模や社会的影響力に見合った人材が、しかるべきポジションに就いてリーダーシップを発揮していかなくてはならない。しかしワタミの場合、理念やビジョンをはじめとしたリーダーシップは渡邉に、オペレーションは素直に頑張れる従業員に依存し、上場企業となった後でも、ガバナンス体制や人事制度は中小零細企業のままで変わっていなかった。組織規模が大きくなり、ワタミを「価値観への共感」よりも「大手有名企業だから」という理由で選んだ人にとっては、労働環境よりも人間的成長を重視する同社の社風はさぞ異様に映ったことであろう。

渡邉は強力なリーダーシップを持っているが、常に正しいわけではないし、たまに暴走もする。そんなとき、彼をいさめ、メッセージをかみ砕いて現場に伝え、効率的なオペレーションを構築すべき経営陣がその機能を果たせず、そのしわ寄せやあおりは全て現場の、人のいい従業員が残業して頑張ることで「なんとかなって」しまっていた。仕事は辛うじて回っているが、問題の原因を根本から改革する機会は先延ばしになっていくばかりだった。

人事マネジメントの観点から考えれば、起業家精神にあふれ、個々人がリーダーシップを発揮できる組織は最強だ。しかし、労働者はあくまで労働者。義務だけを強いて権利を認めない組織はブラック企業だと批判されても文句は言えない。そのような、理念の良い部分は維持しながら、制度や仕組みは

コンプライアンスを順守し、組織の急拡大に伴って露呈してきたネガティブな部分をカバーできるガバナンスを導入できていればよかったのだ。

ワタミだけが「ブラック企業」として名を轟かせ続ける理由
1企業に対して何らかのネガティブな評判が立っても、また新たなニュースが入れば通常は忘れ去られるものだ。しかしワタミにおいては、08年ごろから現在に至るまで、10年以上にわたって「ブラック企業の代名詞」的な扱いを受けてしまっている。もっと悪質な法律違反や、不幸にも過労死が起きてしまった企業がその後も多数報道されているにも関わらず、だ。その構造は、ワタミという会社が急成長し、渡邉が広く知られる著名人となったという一見名誉なことに起因する。

ワタミは短期間で急成長し、渡邉が創業時に公言した目標通り、創業10年での株式公開を成し遂げ、13年時点では全都道府県へ出店していた。全国的にも認知度が高く、当然ながら相応に幅広い世代が店舗を利用したり、少なくとも看板を目にしたりする機会は多かっただろう。それだけの“共通言語”があったがゆえに、話題となり、噂も広がりやすくなってしまったのだ。これが名前も知らない地方の1企業なら、いくらニュースで報道されても「何それ? 知らない」で済まされていたはずだ。

同時に渡邉はメディア出演機会も多く、多くの人が名前を知り、顔を思い浮かべることができる状態であった。実際、過労自殺事件が起こって同社のブラック的な面が大々的に報道される前まで、渡邉は実業界や起業を目指す若者の間では「一代で外食・介護大手のワタミグループを築き上げた立志伝中の人物」であり、「発展途上国の子どもたちへの教育支援活動を熱心に行う篤志家」としてポジティブに認識されていた。日本経団連理事、教育再生会議委員、そして参議院議員まで歴任し、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍していた。

そのようにポジティブなイメージだったところから、急転直下でネガティブに落ちていくという展開だったことでメディアでは衝撃的なスキャンダルとして大々的に扱われ、人々の記憶にも残りやすくなった、という面も大きい。しかも、ブラック企業批判が高まった10年ごろから渡邉は政治家=公人として活動をし始めており、メディアも遠慮なく実名で批判できたという背景も重なっていた。

2年連続の赤字、成長事業の売却を経て労働環境の改善へ
リーマンショック後の不景気、これまでにない低価格帯居酒屋の台頭、東日本大震災以降の消費スタイルの変化――。ブラック企業批判に加え、当時の社会情勢は「中途半端な低価格」になってしまったワタミを直撃した。14年、ワタミは上場以降初めて49億円の最終赤字を計上する。アルバイト採用にも苦心し始めたこともあり、同年から労働環境改善に着手し、不採算店舗60店の閉鎖、「和民」以外の専門店業態への転換などを進めていく。

しかし桑原豊社長(当時)が経済誌のインタビューに対して「ブラックという定義は今でも困惑している」、「ワタミがブラックだとは全然思っていない」、「ワタミに労使関係は存在しない」、「今のワタミに労働組合は必要ない」などと発言したことがさらに批判を強くさせてしまった。

こうした批判もあり、翌15年度3月期の最終赤字は126億円にまで拡大。2期連続の赤字、かつ主力である外食事業は43カ月連続で売上が減少しており、手元の現金は底をついていた。このまま赤字が拡大すると、金融機関からの融資も引き上げられるのは確実という状況であった。

追い込まれたワタミは苦渋の決断を行う。「将来の中核事業の1つ」とされていた介護事業を210億円で売却することで、キャッシュアウトをすんでのところで回避。しかし、介護事業売却を伝える報道では、社名に当時の同社を象徴する一言が添えられていた。

「経営再建中のワタミは……」

かたくなに自社がブラック企業だと認めてこなかったワタミだが、15年に現社長の清水邦晃氏が就任してようやく、対外的に「世間のブラック企業との批判を真正面から受け止める必要がある」との発言がなされた。ここからワタミは、聖域なく過去を見直し改善を進めていく。

著者プロフィール・新田龍(にったりょう)

働き方改革総合研究所株式会社 代表取締役/ブラック企業アナリスト

早稲田大学卒業後、複数の上場企業で事業企画、営業管理職、コンサルタント、人事採用担当職などを歴任。2007年、働き方改革総合研究所株式会社設立。労働環境改善による企業価値向上のコンサルティングと、ブラック企業/ブラック社員関連のトラブル解決を手掛ける。またTV、新聞など各種メディアでもコメント。著書に「ワタミの失敗~『善意の会社』がブラック企業と呼ばれた構造」(KADOKAWA)他多数。