丸森町の農業、台風で甚大被害 再起誓う農家「また『おいしかったよ』が聞けるまで」

台風19号で10人が死亡、1人が行方不明となった宮城県丸森町では、基幹産業である農業の被害も大きかった。土砂や泥に覆われた農地は規模が大きければ完全な復旧に数年かかるとみられるが、再起を誓う農家もいる。【伊澤拓也】
泥やがれきで1メートル以上盛り上がった地面から、ひしゃげたビニールハウスの骨材が無残な姿をさらしている。同町上地にある宍戸克美さん(64)の自宅裏庭の風景は、台風を境に一変した。「泥を出しても(田畑を)消毒しなきゃなんねえ。(再開まで)何年かかるのか、わかんね」。宍戸さんは作業の合間にため息をつく。
宍戸家は100年以上前から続く農家で、宍戸さんも消防士を定年退職した後は妻で野菜ソムリエの志津子さん(61)と二人三脚で野菜作りをしてきた。被災前は5棟のビニールハウスでナスやピーマン、オクラのほか、プンタレッラやカーボロネロといった西洋野菜を育て、近くの田んぼではコメを委託栽培していた。
台風が到来した10月12日、宍戸さんは朝から自宅に近い阿武隈川支流の五福谷川の雨量計を見つめていた。夕方になって雨脚は弱まるどころかさらに強くなり、避難を決めた。宍戸家の3世代6人が身支度を済ませて4台の車に分乗するころには、タイヤの半分以上が水につかっていた。
高台にある知人の建設会社に避難し、翌朝自宅に戻った。裏庭の脇の堤防が決壊し、五福谷川が氾濫していた。丹精込めて育ててきた収穫直前の作物が全て泥に埋まっている光景に言葉を失った。作業場に置いてあった30キロのコメ袋30袋も水に流された。

それから毎日、一家やボランティアが泥を搬出しているが、1カ月で元通りに姿を現したのはハウス1棟のみ。泥をはき出した後は土壌を消毒しなければならず、再開への道のりは長く険しい。それでも志津子さんが「珍しい野菜を食べてもらった時の反応が農家の醍醐味(だいごみ)。また『おいしかったよ』が聞けるまで頑張る」と話すように、夫妻は前を向いている。
台風は収穫期を迎えた被災地の田畑を直撃した。町ではコメのほかイチゴやブロッコリーなど364ヘクタールの農作物が被害に遭い、農地や水路も含めた農業関連の被害総額は約176億円に上る。
政府は土砂の撤去や稲わらの処分費用を補助するなど、東日本大震災を踏まえた支援対策を打ち出している。しかし、農家のビニールハウス撤去・再建にかかる費用への国の補助は支出額の半額にとどまるなど、台風で自宅の修理や車の買い替えを迫られる被災農家にとって十分とは言えない現状がある。