太平洋戦争の学徒動員で旧ビルマ戦線に従軍し、死と隣り合わせの生活を送った山本栄策さん(99)=滋賀県草津市=が、小学校などで戦争体験を語り継ぐ活動を続けている。「戦地の体験を語れる人も減ってきたが、風化させてはならない。これからも活動は続けていきたい」。戦争の記憶が徐々に揺らいでいく中、太平洋戦争の開戦から8日で78年となる。【礒野健一】
大津市出身の山本さんは東京農業大在学中の1942(昭和17)年9月、学徒動員で旧陸軍に召集された。歩兵第119連隊の一員として44年に旧ビルマ(現ミャンマー)に入り、陣地守備などの任務に当たった。
ジャングルで行軍中に大雨に遭ったある夜、野営の際にぬれた服を仲間とたき火で乾かした。食器を洗いに谷川に降り、仲間の元へ戻ると、みな血まみれでうめいていた。たき火の明かりや煙に敵の戦闘機が気づき、機銃の一斉掃射を受けていた。たこつぼのような穴に潜り込み、敵の戦車隊と戦ったこともあった。浅い穴に潜って戦車に踏み潰された仲間の断末魔は、今でも忘れられないという。
山本さんは敵の銃撃で足を負傷し、運ばれた日本軍の病院で終戦を迎えた。タイの俘虜(ふりょ)収容所を経て、46年6月に復員。県職員を約30年勤めた後、70歳ごろから県内を中心に戦争体験を語り継ぐ活動を始めた。
先月22日には、草津市立第二小(大路2)の6年生の総合学習で、同学区に住む山本さんが体験を話す機会があった。同小は、母親の胎内で被爆した広島の「胎内被爆者」の話を修学旅行で聞いたり、空襲の体験談から防空頭巾を自作したりするなど「戦争と平和」を考える授業を続けている。山本さんは同小の依頼を受け、約10年前から戦争体験を語る授業を続けている。
この日、山本さんは戦地の地図で場所を示しながら、「生き地獄だった」という生々しい戦争の体験談を語り聞かせた。話を聞いた青原希咲さん(12)は「食べ物も水もない戦地の話を聞き、今の生活がどんなに素晴らしいか実感した」。鈴木大寛(ともひろ)さん(12)は「山本さんの『戦争は生き地獄』という言葉が印象的だった。今の平和が昔からあったわけじゃないんだと思った」と神妙な表情を浮かべた。
山本さんは「戦争の話から命の尊さを学べば、他人をいじめ、自殺に追い込むような悲しい話もなくなるはずだ」と訴えた。戦地で銃撃を受けた右足は変形したままだが、今も足取りはしっかりしている。