広島原爆に遭った体験を英語で語り続ける小倉桂子さん(82)=広島市西区=を描いた紙芝居「ケイコの8月6日」が完成した。市立基町高校の生徒たちが、小倉さんから聞き取った証言を基に作った。11日に東京から訪れる修学旅行生の前で小倉さんが自ら披露する。
「弟と妹が泣きながら歩いてきます。2歳の妹はガラスが刺さった小さな手を見せてきました」。11月25日、広島市中区の基町高。紙芝居の筋書きを手がけた横山栞央(りお)さん(17)=2年=が読み上げると、小倉さんは記憶をたどりながらうなずいた。
8歳だった1945年8月6日、爆心地の北2.4キロにあった市内の自宅で被爆し、爆風で地面にたたきつけられた。周囲を見ると、血まみれになった人たちの皮膚が指先から垂れ下がっていた。喉の渇きを訴える重傷者の口に水を含ませるとその場で息絶えた。
原爆資料館長だった夫と死別した後の81年、海外メディアなどから被爆証言の翻訳を請け負う「平和のためのヒロシマ通訳者グループ」を設立した。ただ、かつて目の当たりにした光景がトラウマとなり、自ら証言を始めたのは60歳を過ぎてからだ。米国の子供たちにこそ、あの日、何があったかを自ら伝えたい。そんな思いもあり、通訳者ではなく、語り部となることを決意した。
紙芝居づくりは、昨秋、小倉さんの証言を聞いた基町高の生徒から提案された。小倉さんは生徒と被爆した場所に行き、改めて当時の様子を証言した。せりふや筋書きの作成にも協力し、時には「当時の子供は『平和』という言葉は使わなかった。『敵が来るか、来ないか』、それだけだった」などと注文もつけた。
「惨劇の一場面を切り取るよりも、原爆投下の前後の生活も含めた作品を」。小倉さんの意向を受け、生徒たちは被爆前夜の生活や戦後復興の過程も含め28枚の絵を描いた。横山さんは「子供がショックで目を背けてしまわないよう、表現に気を使いながらも史実が伝わるようにした」と話す。
小倉さんは生徒に「私は素材。紙芝居は皆さんの作品です」と言い続けている。今後は紙芝居を英訳し、自らの証言活動でも活用することも考えており、「若い感性で描いた紙芝居で、原爆を後の世代に語り継いでもらいたい」と願っている。【賀有勇】