「若いときにひどい目にあった」自慢のおじさんは、なぜヤバいのか

結局、喉元過ぎればなんとやらということか。

2015年末、24歳の女性社員が「過労自殺」に追い込まれていたことを受けて、労働環境改革を進めていた電通が、労働基準監督署から是正勧告を受けていたことが分かった。

また、これまでちょいちょい過労自殺や精神疾患による労災認定が相次いでいた三菱電機も今年8月下旬に新入社員が自殺していたことが明らかになった。現場からは、教育主任から「死ね」と言われたなどと訴えるメモが見つかって、この教育主任は自殺教唆の疑いで書類送検されたという。

過去にパワハラや過重労働が問題になった大企業が、相次いで「再犯」しているのだ。このような話を聞くと、「やっぱり電通の企業体質が問題だな」とか「三菱電機には日常的にパワハラを容認するようなカルチャーがあるのでは」なんて感じる方も多いだろう。実際、そのような論調の報道が目立つ。

が、報道対策アドバイザーとして、この手の問題企業の内部を見てきた経験から言わせていただくと、「組織風土」とか「体質」という”ふわっとした話”で片付けてしまうから、いつまでもパワハラや過重労働がなくならないのではという気もする。

電通や三菱電機という組織に問題がないと言っているわけではない。関西電力が、幹部社員たちが高浜町元助役を務めた男性から金品を受け取っていた問題を「組織風土」で幕引きを図ったように、問題の本質から目をそらさせてしまう恐れがあると申し上げているのだ。

問題の本質は何か
では、問題の本質は何かというと、個人的には、電通や三菱電機の幹部・管理職に、「若いときにひどい目にあった自慢」をするおじさんが多いからだと考えている。

「なんだよそれ?」と思う方も多いかもしれないが、要するにこれは、新入社員や若手社員のときに壮絶な過重労働や、上司からのハードなパワハラを経験して、なおかつそれを心のどこかで「勲章」のように誇らしげに感じているおじさんのことだ。

例えば、皆さんのまわりでも、以下のような「若いときにひどい目にあった自慢」をするおじさんは多くないか。

「若手のときは怖い上司に精神的に追い込まれたけど、あれのおかげで今の自分がある」

「新人のときはほとんど会社に泊まっていたけど、あの辛い日々のおかげで成長できた」

もちろん、自分自身の体験なので、何をどう解釈しても美化しても自由なのだが、このような「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」が管理職になると往々にして、部下や後輩に対して壮絶なパワハラや過重労働を強いることが多い。ちょっと前、十代の女子体操選手をヤカラ調に叱責して、横っ面をひっぱたいていたコーチが世間から叩かれて、「自分も若いころにそのような指導のおかげで成長した」という主旨の釈明をしたが、暴力やハラスメントを受けてきた人間は、自分が指導・育成する者にも暴力やハラスメントを強いるものなのだ。

筆者も仕事柄、40~50代の大企業に勤める管理職の方と多くお会いするが、自分が若いときに受けてきた過重労働やパワハラを、「部活のシゴキ」のように嬉しそうに振り返る人が思いのほか多い。そして、そのような人に限って、「最近若いのは根性がない」とか「やっぱり死ぬほどつ

らい目に追い込まれないと人間は成長できないよね」なんてことをのたまうのを何度も耳にしてきた。

自分を成長させた「試練」を再現
このように「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」が、電通や三菱電機という巨大組織の管理職にはかなり存在していることは、容易に想像できよう。

電通マンは激務で知られている。クライアントのためなら不眠不休はあたり前で、若手のうちは家に帰るのはシャワーと着替えのみなんてのも珍しい話ではない。代理店らしく得意先の接待などもかなりハードで、筆者の友人も毎晩のように一気飲みして吐きすぎて吐血していた。一方、三菱電機は先ほど触れたように、社員の過労自殺や精神疾患が多く報告されている。

このように伝統的にパワハラや過重労働が存在している大企業の中で生存競争を勝ち抜いて、それなりのポストに付いた人は、パワハラや過重労働に対する耐性がかなり強い人ということでもある。強いどころか、これを乗り越えたから今の自分があるといった感じの「試練」くらいにしか思っていないのだ。

そこで想像していただきたい。そんなハードな労働環境が当たり前の組織に、ポコンと今風の若者が入社するわけだ。教師から殴られず、部活で意識が失くなるほどシゴかれたこともないスマートな若者を見て、「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」たちはどう感じるか。

ぬるい。甘えている。社会をナメている。そんなイライラとともに、企業の管理職としては、どうすればこの腑抜けた若者を一人前に鍛えられるかと思い悩むはずだ。そこですがるのが、自分が若いころはどうやって一人前になったのかという「成功体験」である。つまり、先ほどの体操コーチのように、自分を成長させた「試練」を再現するのだ。

これが電通や三菱電機のような大企業が過重労働やパワハラがなくならない構造的な理由だ。

パワハラや過重労働を正当化
どんなに会社として立派な再発防止策を出しても、労務環境改革を進めても、巨大組織がゆえ「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」が現場に溢れかえっている。彼らは建前的にはパワハラ防止研修などを受講してウンウンとうなずくが、本心としては「今の自分」をつくったパワハラや過重労働を全否定できない。むしろ、「あの試練があったから成長できた」くらいに思っている。

そのため、現場判断でよかれと思って、部下や後輩に同じ体験をさせる。つまり、自分が新人時代に味わったどう喝や嫌味、プレッシャー、理不尽な過重労働などありとあらゆるハラスメントを再現してあげるのだ。

もちろん、中にはこれらを単純に自分の欲望で実行するような心のひずんだ管理職も少なからず存在する。だが、これまでパワハラや過重労働が問題になった企業などで、加害者側の主張に耳を傾けてみると、問題児をブン殴った「体罰教師」のような言い訳をする人たちが圧倒的に多いのもまた事実なのだ。

つまり、「とんでもなく素行の悪い人間なので、本人のためにも厳しく指導をした」とか「自分も毎日終電、休日返上でようやく一人前になった。若いうちは寝食を忘れて働くのが当たり前だ」と、パワハラや過重労働を正当化するのだ。

「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」が、組織にとっていかにヤバいのかということがよく分かっていただけたと思う。

さて、そこで次に気になるのは解決策だろう。管理職研修などで徹底的にパワハラや過重労働を容認するような考え方をあらためさせる、とかいろいろな方法があるかもしれないが、個人的にあまり期待できないと思っている。

なぜかというと実は日本の教育システムが、「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」を量産させるような仕組みになっているからだ。つまり、会社に入った時点で、どんな教育をしたところで既に手遅れなのだ。

「苦痛を与えないと一人前にならない」思想
先日、児童虐待があまりにも多く一向に減らないので、子どもの体罰禁止を法制化するというニュースがあった。

「虐待はダメだけど、私が殴るのはしつけ」という御都合主義の親のせいで毎年、多くの子どもが殴り殺されていくこの日本で、ようやく先進国並に「子どもの人権」が認められる。喜ばしいことかと思ったら、驚くことに「子育てに悩む親を追いつめる」「道をそれる前に、ときには殴ってでもしつけをするのが親の義務」などと批判が殺到しているというのだ。

報道によれば、子どもを叩くことを禁止されたら、どのように子育てをすればいいのか分からない親がたくさんいるそうで、さらに、我が子に軽々しくビンタができないような世の中では、親になりたい人がもっと少なくなっていくと心配する人もいるらしい。

つまり、世界では子どもも1人の人間なので、親だからといって暴力にものを言わせて従わせちゃダメでしょという考え方だが、日本では「愛のある暴力」で子どもを服従させるのは致し方ないことであり、むしろ悪いことを体に叩き込む「効果的な教育」だという考え方なのである。

ここまで言えばもうお分かりだろう。この日本独特の”しつけ理論”こそが、いつまでたってもこの国でパワハラ、部活動のシゴキ、児童虐待などがなくならない諸悪の根源なのだ。

この国ではいまだに、人間というのはある程度の苦痛を与えないと一人前にならない、といった思想が社会のど真ん中にある。そして、この思想教育の申し子こそが、「若いときにひどい目にあった自慢おじさん」なのだ。

このあたりのクレイジーな考え方が変わらないことには、どんなに企業側が再発防止を叫んでも、パワハラも過重労働も日本社会からなくなることはないのではないか。

(窪田順生)